・死刑強化論
いきなり突然で恐縮ですが、自分は死刑制度を支持する人間です。
同時に、死刑という最も非人間的な刑罰がこの世から消え去ることを願って止みません。起こされた犯罪についてではなく、犯罪が起こらないことを前提に考えた結果が、死刑の支持となったのです。今回の議論はちょっと、気持ち先行の極論です。
自分が死刑を支持する理由はただひとつ、「犯罪抑止効果」です。その抑止効果には疑問を投げかける人もいる。「死刑になりたいから」という理由で無差別殺人を行った例もある(秋葉原通り魔殺人事件)。だから、自分は死刑の恐怖をもっと前面に出すべきだと考えてもいます。
そして、死刑という量刑の適用範囲をもっと広げる。殺人だけでなく傷害行為にも適用し、愉快犯的な動物殺傷にも適用する。冤罪の問題や精神鑑定の問題など、慎重に議論する個別案件はあれど、原則裁判なしの死刑です。罰金刑については、動物といえどもその命や一生をお金で償うことはできないと考えます。
以前に、杉本彩さんの「アニマルポリス設置運動」への参加を呼びかけました。過去の動物愛護法が適用された判例を見ると、確かにあまりにも甘すぎる。(「猫、虐待、判例」で検索してみて下さい。※) 正気の沙汰とは思えない残虐な殺し方に、結果的に何も問わないのと同じことで終わっているのです。
※判例は数多いが、世間を騒がせたものをいくつか挙げると;
2002.10.21 福岡地裁 猫虐待殺傷事件 懲役6ヶ月・執行猶予3年
残虐な殺傷の動画がネットに投稿されて騒然となった
2012.5.23 横浜地裁川﨑支部 猫里親詐欺虐待殺傷事件 懲役3年・執行猶予5年
里親詐欺の氷山の一角が明るみに、隠された残虐性がショッキングだった
2017.12.12 東京地裁 猫虐待殺傷事件 懲役1年10ヶ月・執行猶予4年
元税理士による虐待、やはり残虐な殺害方法に騒然となった
こんな甘い判決だから、犯罪が後を絶たないのだと思います。犯罪とは無縁の人にとっては、犬猫を遊びで殺傷したくらいで死刑だなんてと思う前に、そもそも徒に殺傷すること自体がとんでもない。つまり起こらないことを前提に考えれば、量刑なんてどうでもいいはずです。
ニャー:「オジンはちょっと過激すぎるよ」
・残虐非道行為を見逃すな
物言わぬ動物たちへの徒な虐待、殺傷や遺棄をどう止めるか。彼らを”器物”として扱う日本の立法府、行政府(役所)や警察には、はじめからやる気のないことは見えている。前述のように、おそらく司法も同様だ。
ではどうする? 「1億国民総監視体制」を実現するしかないのだと思います。そのためには核となる連絡先と猛烈な広報活動が不可欠で、それを担えるのがテレビメディアだ。各局でお盛んなあの”ワイドニュース”での取り上げ方のしつこさと熱心さ、あの推進力こそが最も頼りになると思うのです。
さらに頼りにしたいのは、地域猫活動などに反対してボラさんたちを攻撃する、”動物愛誤”と書く人たち。ネット上を騒がしている割に実数は少ないと思われるが、超エネルギッシュだし、調査能力のある人も多い。このエネルギーがずれた方向に向かっているのは如何にももったいない。
本シリーズの前記事で調べたように、人間の手によって新たに”排出”されるノラの数は、自然増に勝るくらい多いと思われます。地域猫活動がうまくいかない場合、その最大の理由は活動に便乗して新たに猫捨てを行う人間自身、「ここに捨てれば大丈夫」といったさもしい人間の根性なのです。
だがこれも虐待と同じで、絶対に許してはならない。万死に値する行為です。自宅で生まれた子猫は責任を持って里親探しをすべきなのだ。地域猫活動家も反対論者も、今こそ手をつないで真の犯罪行為を監視し、不幸なノラを減らすという共通の目的に向かって邁進してほしいのです。
尚、警察内に強制捜査権を持つアニマルポリスを設置することは、後述の理由で重要なことです。
・考慮すべき善意の悪行
ノラを生み出す人間の行為は、不法な猫捨てばかりではない。愛猫に脱走されたり、可哀想だと次々保護するうちに多頭飼育が崩壊するケース。これらの件数が調査された報告は見当たらないが、意外と多いと思われます。結果的には悪行になっても、他人に迷惑をかけない限り罪に問うことはできないと考えます。
つまり、対策としては未然に防ぐしかない。猫の飼育は犬と同じように玄関にシールを貼って告知したり、首輪などの装着を義務付ける。多頭飼育に関しては、通報によるアニマルポリスの査察受け入れを義務付ける、違反者には禁固刑より罰金刑(小額ではない)が相応。だが、脱走防止には啓蒙活動の強化しかないのかもしれない。今後の課題です。尚、環境省では「家庭動物等の飼養及び保管に関する基準」という法律(ガイドライン)を制定しています。
みう:「難聴だけど頑張ってます」
・ペットビジネスの闇
この業界には動物の虐待や遺棄を生み出す仕組みが内在している。それは人間の欲と命の軽視を正当化し、しかも覆い隠すために官民合わせて作り上げた仕組みなのです。組織的に行われている点で罪も重く根も深いが、業界全体を一緒くたに論じられないところがある。何故ならこの業界には、本当に動物が大好きで、幸せになってほしいと願っている人も少なくないからです。
なので、ここでは不買運動の提唱などはしません。善良なる業界の人たちには、勇気を持ってこの業界のウミの部分を告発して頂きたいと願う次第です。では問題とは何か。命を扱うという点から考えれば様々な問題があるが、大きくは2つあります。
1.「パピーミル」と呼ばれる、ペット生産卸売りの悪徳業者(または個人)
ブリーダーの中でも悪質な連中のこと。営利目的で生産する以上、コストダウンは不可欠な命題です。病弱や障害を持って生まれたり、さらには柄模様が悪いとか尻尾の長さが足りないとか、様々な理由で”流通”に乗れない子たちがいる。流通過程で病気になる子もいるだろう。これらの子たちにいちいち対応していたらとても採算がとれない。だから・・・。
この業界が宿命的に持つ「命を軽視する仕組み」なのです。そもそも、ブリーダーには免許も登録も不要で報告の義務もない。簡単に金儲けができるからと軽薄な連中がせっせと”生産”に励んでも、止めることも罪を問うこともできないのです。
2.売れ残った子たちの行き着く先は ~引取り屋と呼ばれる闇業者~
どんな小売店でも、売れ残りは不可避的に生じます。ペット販売店もしかり。ペットを販売する店には実数報告の義務がある。仕入数、販売数、途中死亡数です。では、売れ残りはどうなるのか。
本ブログでも何度か取り上げたように、売れ残った子たちは引取り屋に回されます。そして狭いケージの中で食事糞尿の世話もろくにされずに、ただただ死を待ち続けるのです。引取りはペット店から購入の形になるため、引取り屋に回された子たちの数は販売数として報告され、その実数すら把握できない仕組みになっています。
こんなごまかしを官民揃って行っている。かつて売れ残りは役所(保健所)に回され殺処分されていた。これはさすがにひどいので動物愛護法が改正され、役所が引き取らなくなった。その結果として必然的に生まれたのが引取り屋です。そのような経緯から、引取り屋は明らかな動物愛護法違反なのに、役所や警察によって黙認されているのが現状です。
これらの問題を一掃するには、この業界の総ての活動を免許登録制とし、詳細な扱い数量の報告義務を設ける。同時に告発あるいは通報によるアニマルポリスの査察受け入れを義務付ける。違反者には相応の刑罰を与える。虐待や遺棄が伴った違反には、もちろん無条件の死刑です。
そしてここでは、もう一歩進んだ提案もしたい。ペット販売目的での"生産行為"を禁止するのです。その代わりに元ノラの保護猫を扱ってもらう。もちろん、生活がかかっているので有料販売です。現在各地で行われている保護猫の譲渡会も、ペットショップに集約すればいいのではないでしょうか。
これまで何度も、犬猫の殺処分や多頭飼育の崩壊、ペットビジネスの闇などがNHKやTBS系列の番組を中心に取り上げられました。取り上げてくれるのはありがたいけど、その内容が問題提起型なのでしばらく経つと忘れ去られてしまう。独自の対策を打ちたて、その実現に向かって議論や啓蒙を持続してもらえると、社会全体の意識が高揚するのではないかと思います。
テンちゃん:「ペットショップって何だ?」
「ノラたちとの共存を目指して」:予告編(期日未定)
その1 資料編「現状と動向調査」(追記:餌やり、地域猫問題)
2017.2.27
その2 現場編「ノラを守るのに理由は要らない」(報道されたボラさんたち)
2017.5.31
その3 エサやり問題・続編「裁判事例の検証・他」(司法が肯定したもの、否定したもの)
2017.8.31
その4 一服編「ノラだからこそ・・かわいい!」(ニャー&みう+テンちゃんの日常)
2017.11.30
その5 闘魂編「許さない、虐待に不法投棄に暗闇ビジネス」
その6 原点回帰編「再確認・人間性とは?」(食肉、動物駆除と保護活動)
その7 形而上学編「ノラの幸せとは」(シャッポやソトチビの行動に想う)
その8 地域猫問題・続編「殺処分ゼロに向けて」(目的達成のために必要なこと)
いきなり突然で恐縮ですが、自分は死刑制度を支持する人間です。
同時に、死刑という最も非人間的な刑罰がこの世から消え去ることを願って止みません。起こされた犯罪についてではなく、犯罪が起こらないことを前提に考えた結果が、死刑の支持となったのです。今回の議論はちょっと、気持ち先行の極論です。
自分が死刑を支持する理由はただひとつ、「犯罪抑止効果」です。その抑止効果には疑問を投げかける人もいる。「死刑になりたいから」という理由で無差別殺人を行った例もある(秋葉原通り魔殺人事件)。だから、自分は死刑の恐怖をもっと前面に出すべきだと考えてもいます。
そして、死刑という量刑の適用範囲をもっと広げる。殺人だけでなく傷害行為にも適用し、愉快犯的な動物殺傷にも適用する。冤罪の問題や精神鑑定の問題など、慎重に議論する個別案件はあれど、原則裁判なしの死刑です。罰金刑については、動物といえどもその命や一生をお金で償うことはできないと考えます。
以前に、杉本彩さんの「アニマルポリス設置運動」への参加を呼びかけました。過去の動物愛護法が適用された判例を見ると、確かにあまりにも甘すぎる。(「猫、虐待、判例」で検索してみて下さい。※) 正気の沙汰とは思えない残虐な殺し方に、結果的に何も問わないのと同じことで終わっているのです。
※判例は数多いが、世間を騒がせたものをいくつか挙げると;
2002.10.21 福岡地裁 猫虐待殺傷事件 懲役6ヶ月・執行猶予3年
残虐な殺傷の動画がネットに投稿されて騒然となった
2012.5.23 横浜地裁川﨑支部 猫里親詐欺虐待殺傷事件 懲役3年・執行猶予5年
里親詐欺の氷山の一角が明るみに、隠された残虐性がショッキングだった
2017.12.12 東京地裁 猫虐待殺傷事件 懲役1年10ヶ月・執行猶予4年
元税理士による虐待、やはり残虐な殺害方法に騒然となった
こんな甘い判決だから、犯罪が後を絶たないのだと思います。犯罪とは無縁の人にとっては、犬猫を遊びで殺傷したくらいで死刑だなんてと思う前に、そもそも徒に殺傷すること自体がとんでもない。つまり起こらないことを前提に考えれば、量刑なんてどうでもいいはずです。
ニャー:「オジンはちょっと過激すぎるよ」
・残虐非道行為を見逃すな
物言わぬ動物たちへの徒な虐待、殺傷や遺棄をどう止めるか。彼らを”器物”として扱う日本の立法府、行政府(役所)や警察には、はじめからやる気のないことは見えている。前述のように、おそらく司法も同様だ。
ではどうする? 「1億国民総監視体制」を実現するしかないのだと思います。そのためには核となる連絡先と猛烈な広報活動が不可欠で、それを担えるのがテレビメディアだ。各局でお盛んなあの”ワイドニュース”での取り上げ方のしつこさと熱心さ、あの推進力こそが最も頼りになると思うのです。
さらに頼りにしたいのは、地域猫活動などに反対してボラさんたちを攻撃する、”動物愛誤”と書く人たち。ネット上を騒がしている割に実数は少ないと思われるが、超エネルギッシュだし、調査能力のある人も多い。このエネルギーがずれた方向に向かっているのは如何にももったいない。
本シリーズの前記事で調べたように、人間の手によって新たに”排出”されるノラの数は、自然増に勝るくらい多いと思われます。地域猫活動がうまくいかない場合、その最大の理由は活動に便乗して新たに猫捨てを行う人間自身、「ここに捨てれば大丈夫」といったさもしい人間の根性なのです。
だがこれも虐待と同じで、絶対に許してはならない。万死に値する行為です。自宅で生まれた子猫は責任を持って里親探しをすべきなのだ。地域猫活動家も反対論者も、今こそ手をつないで真の犯罪行為を監視し、不幸なノラを減らすという共通の目的に向かって邁進してほしいのです。
尚、警察内に強制捜査権を持つアニマルポリスを設置することは、後述の理由で重要なことです。
・考慮すべき善意の悪行
ノラを生み出す人間の行為は、不法な猫捨てばかりではない。愛猫に脱走されたり、可哀想だと次々保護するうちに多頭飼育が崩壊するケース。これらの件数が調査された報告は見当たらないが、意外と多いと思われます。結果的には悪行になっても、他人に迷惑をかけない限り罪に問うことはできないと考えます。
つまり、対策としては未然に防ぐしかない。猫の飼育は犬と同じように玄関にシールを貼って告知したり、首輪などの装着を義務付ける。多頭飼育に関しては、通報によるアニマルポリスの査察受け入れを義務付ける、違反者には禁固刑より罰金刑(小額ではない)が相応。だが、脱走防止には啓蒙活動の強化しかないのかもしれない。今後の課題です。尚、環境省では「家庭動物等の飼養及び保管に関する基準」という法律(ガイドライン)を制定しています。
みう:「難聴だけど頑張ってます」
・ペットビジネスの闇
この業界には動物の虐待や遺棄を生み出す仕組みが内在している。それは人間の欲と命の軽視を正当化し、しかも覆い隠すために官民合わせて作り上げた仕組みなのです。組織的に行われている点で罪も重く根も深いが、業界全体を一緒くたに論じられないところがある。何故ならこの業界には、本当に動物が大好きで、幸せになってほしいと願っている人も少なくないからです。
なので、ここでは不買運動の提唱などはしません。善良なる業界の人たちには、勇気を持ってこの業界のウミの部分を告発して頂きたいと願う次第です。では問題とは何か。命を扱うという点から考えれば様々な問題があるが、大きくは2つあります。
1.「パピーミル」と呼ばれる、ペット生産卸売りの悪徳業者(または個人)
ブリーダーの中でも悪質な連中のこと。営利目的で生産する以上、コストダウンは不可欠な命題です。病弱や障害を持って生まれたり、さらには柄模様が悪いとか尻尾の長さが足りないとか、様々な理由で”流通”に乗れない子たちがいる。流通過程で病気になる子もいるだろう。これらの子たちにいちいち対応していたらとても採算がとれない。だから・・・。
この業界が宿命的に持つ「命を軽視する仕組み」なのです。そもそも、ブリーダーには免許も登録も不要で報告の義務もない。簡単に金儲けができるからと軽薄な連中がせっせと”生産”に励んでも、止めることも罪を問うこともできないのです。
2.売れ残った子たちの行き着く先は ~引取り屋と呼ばれる闇業者~
どんな小売店でも、売れ残りは不可避的に生じます。ペット販売店もしかり。ペットを販売する店には実数報告の義務がある。仕入数、販売数、途中死亡数です。では、売れ残りはどうなるのか。
本ブログでも何度か取り上げたように、売れ残った子たちは引取り屋に回されます。そして狭いケージの中で食事糞尿の世話もろくにされずに、ただただ死を待ち続けるのです。引取りはペット店から購入の形になるため、引取り屋に回された子たちの数は販売数として報告され、その実数すら把握できない仕組みになっています。
こんなごまかしを官民揃って行っている。かつて売れ残りは役所(保健所)に回され殺処分されていた。これはさすがにひどいので動物愛護法が改正され、役所が引き取らなくなった。その結果として必然的に生まれたのが引取り屋です。そのような経緯から、引取り屋は明らかな動物愛護法違反なのに、役所や警察によって黙認されているのが現状です。
これらの問題を一掃するには、この業界の総ての活動を免許登録制とし、詳細な扱い数量の報告義務を設ける。同時に告発あるいは通報によるアニマルポリスの査察受け入れを義務付ける。違反者には相応の刑罰を与える。虐待や遺棄が伴った違反には、もちろん無条件の死刑です。
そしてここでは、もう一歩進んだ提案もしたい。ペット販売目的での"生産行為"を禁止するのです。その代わりに元ノラの保護猫を扱ってもらう。もちろん、生活がかかっているので有料販売です。現在各地で行われている保護猫の譲渡会も、ペットショップに集約すればいいのではないでしょうか。
************************
これまで何度も、犬猫の殺処分や多頭飼育の崩壊、ペットビジネスの闇などがNHKやTBS系列の番組を中心に取り上げられました。取り上げてくれるのはありがたいけど、その内容が問題提起型なのでしばらく経つと忘れ去られてしまう。独自の対策を打ちたて、その実現に向かって議論や啓蒙を持続してもらえると、社会全体の意識が高揚するのではないかと思います。
テンちゃん:「ペットショップって何だ?」
「ノラたちとの共存を目指して」:予告編(期日未定)
その1 資料編「現状と動向調査」(追記:餌やり、地域猫問題)
2017.2.27
その2 現場編「ノラを守るのに理由は要らない」(報道されたボラさんたち)
2017.5.31
その3 エサやり問題・続編「裁判事例の検証・他」(司法が肯定したもの、否定したもの)
2017.8.31
その4 一服編「ノラだからこそ・・かわいい!」(ニャー&みう+テンちゃんの日常)
2017.11.30
その5 闘魂編「許さない、虐待に不法投棄に暗闇ビジネス」
その6 原点回帰編「再確認・人間性とは?」(食肉、動物駆除と保護活動)
その7 形而上学編「ノラの幸せとは」(シャッポやソトチビの行動に想う)
その8 地域猫問題・続編「殺処分ゼロに向けて」(目的達成のために必要なこと)