空前のペットブーム猫ブームで、Yahooなどネットニュースには関連記事が溢れています。特にやさしい人々の手で不幸なノラが幸せになった話は読み手の心を和ませる。書き手の方もほっこりした記事になるよう、心がけているのかもしれないな。最近見た記事を挙げてみます。
◆ゴミ袋に入れて捨てられていた瀕死の子猫たち。保護して懸命に介抱すると1匹が奇跡的に持ち直し、今では里親さんのもとで活発な子として暮らしている。
◆虐待で母猫が死亡。しかし子猫たちは何とか保護された。2匹は衰弱激しく力尽きたが、残った2匹は里親さんのもとで仲良く暮らしている。
◆一つの部屋に140匹もの猫を閉じ込め餌も水もやらず、扉が開かないように外から針金で固定(典型的なネグレクト虐待)。糞尿まみれに共食いという凄惨な現場から生きていた2匹が助け出され、今は普通の生活を取り戻した。
◆店じまいが近いペットショップで売れ残ったワンちゃん。ケアもされずに病気になるがやさしい人に引き取られて幸せをつかんだ。
◆中国の流通倉庫で5000匹もの猫をはじめとする動物たちが段ボール箱に入れられたまま放置された。生きていた数十匹が助け出され、里親探しが始まった。
◆滋賀県では7、8年も前からノラを中心とする猫の虐待が続いている。頭を割られたり手足を切り取られたりと聞くに堪えない猟奇的な事件で、何度も通報されているのに警察が動かず、ボランティアによる見回りが続いている。
◆コロナ禍の自粛で猫でもと購入した飼い主が、3日で飽きて動物愛護センターに持ち込む。殺処分直前でボランティアに引き取られ今では幸せに暮らす。
◆8畳2間に160匹のワンちゃん(主に大型犬)。数年前より近所から通報あるも役所は動かず、民間保護団体が動き始めた。出雲市長は今日のニュースで動物愛護法違反と立件できず市としては手が出せなかった、ボランティアに任せるしかないと発言。
etc,etc,etc・・・
我々夫婦が保護猫活動を始めるきっかけとなった猫、みうです(2019.8.9没)
いやあ、悲劇のどん底から幸せをつかんだワンちゃんニャンちゃんは本当によかった。確かにこの世の中、やさしい人が多くてまだまだ捨てたもんじゃない。特にボランティアさんたちの献身的な活動には頭が下がります。でも・・、上に挙げた例はそんなに美談なのだろうか。
写真はすべて再掲写真です
記事のまとめ方からして、もう言いたいことはわかるでしょう。実際の記事は猫たちが助け出された後、幸せになるまでの過程がインタビューなどを含めて強調されているわけです。でも自分にはそれを素直に受け止められない。冒頭の1、2行に書かれた救い出されるまでのいきさつに、どうしても思いがいってしまうのです。
捨てられた猫が死んだ事実。虐待で死んだ事実。有名無実化された動物愛護法の実態。幸せになった猫たちの陰で謂れのない、無念の死を遂げた仲間たち。いや野良ネコが殺された話なんて、記事にもならない例が無数にあるのだ。
わが家では夫婦でノラ救済を始めたのが5年前。今では家もいっぱいで、新しくノラに出会ってもおいそれと手を出せないでいる。老齢夫婦がパートで得た報酬は殆どが保護猫たちのために消えていく。それでも、ノラたちを救ったという達成感など微塵もない。相手は無尽蔵にいるからだ。
このままでは、当のノラはおろか保護活動するボラさんたちも疲弊する。ノラ保護を美談にするのではなく、源流管理に焦点を当てなけれなならないのです。そもそも、殺処分する場所の名前が「動物愛護センター」だなんていったいどういう神経をしているのか。猫捨てや多頭飼育崩壊やペット業界の闇や無実化した動物愛護法の問題をもっと強く指摘して、みんなで声をあげて糾弾しなければならないのだと思います。
リンとみう