「天災は忘れた頃にやって来る。」
猫風邪が蔓延したと思ったら今度はリンの口内炎。
久々の通院となって先生にご挨拶と相成り、お陰様でリンも回復。
しかしながら、そう、「一難去ってまた一難」だったのであります。
今度は誰かと言いますと、実は保護者である自分(オジン)自身でした。
伏線はずっとあった。先の3月初めに突然の発熱でダウンしたとき。
最も疑われたコロナは陰性で、発熱も検査結果の出た頃には平常に戻った。
その後咳は多かったものの生活を普通に戻した。
今にして思えば、あのとき原因をしっかり追求しなかったのがまずかった。
何だか体力が減退し、ちょっとした動作にも動悸と息切れがつきまとう。
そのうち鼻水が絶え間なく出だした。しかもドボドボと尋常じゃない。
自分の身体に何か異変が起こっていることは間違いなかった。
5月になって、リンが通院する少し前に行きつけの先生に診てもらった。
呼気中の一酸化窒素を検出する科学的な方法で、チェック結果は喘息でした。
鼻炎も伴っていた。ただパルスオキシメーターの値は、97で正常の部類だった。
薬をもらって一安心だったはずが、しかしその後急速に悪化したのです。
息するたびにヒューヒュー音がして、どんなに吸っても酸素が来ない。
動悸と息切れが半端なくなった。
特に早朝と夕方がひどく、過呼吸状態になることもあった。
みう (2019.8.9没・享年5才推定)
正直、あれは恐怖そのものだ。
忍び寄って来る死に抗いようのない状態。
幸いそのときは、窓の隙間から入ってくる冷たい外気に救われた。
横になると呼吸がさらに苦しくなるので、寝ることができなくなった。
救急車は何故か我慢し、担当医には臨時休業と定休で2日間行けなかった。
息のできない恐怖と眠れない状態が4日続き、頭と肩が痛くなった。
ようやく病院で窮状を訴えた時、パルスオキシメーターの値は90でした。
先生は驚いた。これは人工呼吸器が必要な値だそうです。
とりあえず応急処置と強い薬を出してもらった。
今は安静にしていれば大丈夫だけど、少し動いただけで動悸と息切れがひどくなる。
自分が経験したあの絶望的な過呼吸のなかで、頭に浮かんだのは殺処分のことでした。
殺処分とは、2酸化炭素で窒息死させるのです。
息のできない苦しみ、そしてあの絶望感。これ以上残忍な殺し方があるだろうか。
溺死でも煙に巻かれての死亡も、窒息死にはあの絶望感が伴うのだと思います。
テン (2019.6.16没・享年14才推定)
かつて自分は捕獲機を忌み嫌うと書いた。(過去記事「サクラ耳になったレオ」)
幼少のころ親の実家の納屋で出会ったネズミ。捕獲機ごと水中に漬けられていた。
水中の籠の中から自分を見つめる澄んだ目。生きたいと必死な目。
息ができない恐怖、誰もいないところでひっそりと死んでいく絶望感。
思わずそのネズミを水から出して自由を与えた。もう捕まるなよと。
しかし当時は、ネズミをそうやって処分することが文化だった。
自分は死刑肯定論者です。かつて「死刑に処すべし」という記事も書いた。
犯罪に無縁な者にとって、死刑の有無などどうでもいいと思うからです。
ただ、同じ死刑でも絞首刑(窒息死)という残忍な方法には反対したい。
あの絶望感だけは味合わせてはいけない。
重度の犯罪を犯したとはいえ、せめて安楽死にすることが人情というものだろう。
相手が動物であっても、何の罪もない命に対してはそれがせめてもの償いだ。
まだ朧げな頭の中で、そんなことを考えていました。
しかし現実の世界では「2度あることは3度ある」。次の試練が待っていた。
今度はチキンでした。尿管結石から膀胱炎、急性腎不全に尿毒症。
あっと言う間に、生死を彷徨う重篤な病気になってしまいました。
現在入院治療中。自分同様全快復に向けて病魔と闘っている最中です。
というわけで当面また筆が鈍ります。
既に書き終えた記事があるので月末までにアップしようと思います。
あとは、いいその後報告ができることを期して。
チビ (2016.9.9没・享年1歳推定)