当ブログの屋台骨となっているこのシリーズは、その7・形而上学編を前にして随分空いてしまいました。普段は軽く使っている「幸せ」という言葉。しかしこれを真剣に追求しようとすると、思索の深みにはまって容易には書けなくなってしまうのです。しかも相手は人間ではなくてノラちゃん。彼らの幸せを考える前にどうしても整理しておきたいことが出てきて、2年前に予告した全8編にいくつかの追加をしました。今回考察するテーマは新しく挿入したうちのひとつで、その5・闘魂編の後続的な位置づけとなっています。
さて、本シリーズの闘魂編では、死刑制度強化の主張に呆れたことと思います。世界的にはむしろ死刑制度の廃止が趨勢となっていますが、犯罪が起こることを前提とするのではなく、起こらないことを前提とすれば量刑自体は問題ではないはず・・と考えたのです。死刑廃止論はどうしても加害者の人権に手厚く見えてしまう。何故なら犯罪が起こったとき、被害者は既にこの世にいないからです。だから被害者の人権を守るには、犯罪を未然に防ぐしかない。
つまり確信犯的な犯罪をどうなくすか。それが闘魂編の本来のテーマだったのに、死刑強化論のインパクトが強すぎて議論がわかり難くなってしまった。何よりもその非現実性が問題で、まじめに考えているとは思えない危うげな印象を与えてしまったと反省しています。
実は動物の虐待に限って言えば、死刑強化など持ち出さなくても現行の動物愛護法で十分なのかもしれません。下記に動物愛護法の罰則規定を要約して掲げます。個人的には、同文における「以下」という言葉を「以上」に改定できたらもう完璧です。
動物の愛護及び管理に関する法律(「第6章罰則 第44条」より抜粋)
1.愛護動物をみだりに殺したり傷つけた者
→2年以下の懲役または200万円以下の罰金
2.愛護動物に対し、みだりにえさや水を与えずに衰弱させるなど虐待を行った者
→100万円以下の罰金
3.愛護動物を遺棄した者
→100万円以下の罰金
注)家猫もノラ猫も、猫自体が同法律で愛護動物として指定されています。
1.愛護動物をみだりに殺したり傷つけた者
→2年以下の懲役または200万円以下の罰金
2.愛護動物に対し、みだりにえさや水を与えずに衰弱させるなど虐待を行った者
→100万円以下の罰金
3.愛護動物を遺棄した者
→100万円以下の罰金
注)家猫もノラ猫も、猫自体が同法律で愛護動物として指定されています。
つまりノラを虐待したら2年の監獄入りか200万円の罰金、猫を捨てたり、弱っているノラに餌をあげなかったら100万円の罰金です。この犯罪を犯す人がいるとすれば「たかが猫」と思っている人だろうから、そんなことのために100万円払うリスクをとらないだろう。じゃあ、猫捨てや虐待はそれでなくなった? いや、そうならないのが悩ましいところなのです。
その理由は、スピード違反という犯罪と似ている。命にかかわる問題をスピード違反と並べるのは気が引けますが、意識の点では共通点があるのです。車を運転する人でスピード違反をしたことのない人はまずいないでしょう。厳密に制限速度を守れば、逆にスムーズな流れに迷惑をかけてしまうことの方が多い。でも犯罪は犯罪。だからたまに取り締まりがある。捕まった人はその場で罰金の切符を切られます。そして「あーあ、ついてねえや。」
それでも、たまに取り締まりがあるから歯止めが効く。もし取り締まりがなかったら? さらには、捕まっても実質的に刑を免れる(執行猶予)ことがわかっていたら? 闘魂編で述べたように、過去のノラ虐待の判決はいずれも執行猶予つきなのです。これじゃあ法律があったって、法を犯すリスクなんてないも同然だ。だから、犯罪が後を絶たないのです。
ニャー;「性悪説って、人間のためにあるんだな」
本ブログではこれまで、いろいろな角度からノラたちの待遇改善を訴えてきた。過去記事「続・餌をやるなは殺せと同じ」や「テツとの対話・その18」で述べてきたこと。それは目先のノラを救うことも大事だけど、猫捨てや迫害を根絶する源流管理が不可欠だということ。そのためには我々善良なる市民の意識を変えることであり、それには啓蒙活動が欠かせないという思いでした。
しかし意識変革が必要なのは善良なる市民よりまず先に、立法行政や警察などの公権力ではないのか。司法については、執行猶予付きの判決で罪をあがなえるのかという疑問が生じる。執行猶予の対象は3年以下の懲役か50万円以下の罰金刑で、その長さは最長で5年。その目的は「刑務所ではなく社会内での更正を期待する」とあります。
過去の実績から、執行猶予は懲役刑の60%、禁固刑の90%以上に付与されているそうだ。ネットで見られる説明は「刑務所に入らなくて済む」など殆どが犯罪者向けのものですが、それもそのはず、書いているのは弁護士さんで犯罪者が"お客さん"なわけです。この制度で本当に再犯率が下がるのか、逆に初犯率を上げている可能性はないのか等々、検証したいことは多々あれど、今回のテーマから逸脱するのでここでは見送ります。
問題は法を守るべき公権力にある。先に掲げた動物愛護法の確実なる施行を行わない(取り締まらない)ことによって、この法律を有名無実化しているのです。所轄の役所や警察に聞いてみると、それはスピード違反のケースと似ている。限られた手数ではもっと重大な(罰の重い)犯罪防止を優先せざるを得ないわけです。虐待の通報があれば対応するがそのような通報は稀で、ましてや猫捨ての通報など皆無だと言う。
まあ、諸般のアンケート調査でも猫好きは多いけど「ノラは迷惑」も30%くらいあって、さらに5%強はノラ処分も辞さない嫌猫派なので、警察から聞いた話も理解できる。しかも通報と言っても、確信犯的な虐待や猫捨ては巧妙に隠れて行われるので現場を押さえるのは至難の業だ。自分も町内会に積極的な通報を呼びかけたことがあるが反応は鈍かった。
このような状況で公権力の姿勢を変えるとなると、著名ボランティア団体かメディアくらいにしかできないだろう。しかしメディアには疑問が残る。ニュースになり難いテーマでは、視聴率や発行部数やUU数に左右されるメディアの対象とならないからです。となると、期待できるのは心ある著名人? 正直なところ、昼の時間帯にこぞって放映しているワイドショーのMCやコメンテーターには、自ら勉強して問題提起するくらいの気概がほしいのだけど、どうやらそれも無理のようだ。
でも頑張っている人もいます。過去記事や闘魂編でも紹介した「アニマルポリスの設置」を訴えている杉本彩さんです。ワンクリックでの参加を呼びかけて、集まった署名は議員や官邸に届けられた。しかし国会が閉幕すると流れてしまうので、新たな国会に向けて新しく参加を呼びかけています。昨年の通常国会の際に対応してくれた議員さんたちは下記に掲載の通り。
この請願は、米国や英国で既に成果を挙げているアニマルポリスの設置と動物虐待の厳罰化に関するものです。このような取り組みをもっと多くの著名人が行ってくれたら、特にワイドショーのMCさんたちが訴えてくれれば、実現への近道になると思うのです。
今年は動物愛護法の5年毎の改定の年。まず立法府が動けば、行政や警察は従います。我々市民が選んだ議員さんたちに動いてもらうことから、始めてみたら如何でしょうか。
「猫族はもともと、無理やり日本に連れてこられた"外来種"なんです」
「ノラたちとの共存を目指して」:予告編(期日未定)
その1 資料編「現状と動向調査」(追記:餌やり、地域猫問題)
2017.2.27
その2 現場編「ノラを守るのに理由は要らない」(報道されたボラさんたち)
2017.5.31
その3 エサやり問題・続編「裁判事例の検証・他」(司法が肯定したもの、否定したもの)
2017.8.31
その4 一服編「ノラだからこそ・・かわいい!」(ニャー&みう+テンちゃんの日常)
2017.11.30
その5 闘魂編「許さない、虐待に不法投棄に暗闇ビジネス」
2018.4.29
その6 原点回帰編「再確認・人間性とは?」(食肉、動物駆除と保護活動)
2018.8.31
その7 形而上学編「ノラの幸せとは」(シャッポやソトチビの行動に想う)
その8 地域猫問題・続編「殺処分ゼロに向けて」(目的達成のために必要なこと)
その9 理想追求編「殺処分ゼロの先にあるもの」(対等の精神と真の共存)
番外編
番外編1「罪と罰」(法の実行と刑罰の妥当性)
番外編2「動物愛護の精神を問う」(餌やり議論の本質)