今日も元気で頑張るニャン

家族になった保護猫たちの日常を綴りながら、ノラ猫たちとの共存を模索するブログです。

エサをやるなは殺せと同じ・第11弾 ~善意の言動に潜む魔物~

2024年03月13日 | シリーズ:エサをやるなは殺せと同じ

将来不幸な野良猫を増やさないために、野良猫にエサを与えてはいけません

今や野良猫に関する記事を読めば必ずこの文言が出てくる。どんな役所のHPにも、Yahooなど著名サイトの野良猫に関する記事にも、野良猫保護団体のブログにもしかり。社会的に評価のあるサイトならこの文言が法律違反であることを知っている。なのでよく読めば「"無責任な"なエサやりをしてはいけない」のように書いてある。しかし個人保護活動家の中にはそこまで気が回らない人も多く、(TNRをしないで)餌だけやるエサやりは悪として、そのブログは上記文言のオンパレードになるのです。一般の知らない人がそれを読めば鵜吞みにする。かくして「野良猫にエサをやるな」は誰もが安易にコピペすることによって拡散し、ついには社会常識となったのです。

ちなみに「無責任なエサやり」とは、餌をばらまいて衛生環境を悪化させるなど周辺の住民に迷惑をかけることだと言う。それはその通りだけど、「不幸な野良猫が増える」原因ではないですよね。あるいは餌をやるならTNRもしなければいけないということか。つまり資金力のない子供は道端で弱っている野良猫に出会っても何もやるなと。そんなこと思ってもないと言うかもしれないけど、書いていることはそうなんです。せめて、第4弾で紹介した和歌山県の改正条例案のように言えばまだいいのだけど。

保護できなくて悔いが残るノラ①:ソトチビ

野良猫は、野生動物と違って人間の施しものを主食とする人間社会に生きる動物です。今や空前のブームで第一位のペット数となった猫だけど、家猫(ペット)と野良猫は相互可逆的でそもそも区別がないのです。にも拘わらずネズミを食べたり昆虫を食べたりと、野良猫の説明に野生動物の生態を記述している誤ったサイトが多いのも問題だ。その結果として、餌をやるなということはその猫を飢餓状態にさせるか餓死させることだと認識できない人が多いのです。

"将来不幸な猫を増やさない"ために、その猫自自体を餓死させる。死なないまでも飢餓状態にする。どんな動物でも飢餓状態になれば生殖活動が活発になることは知られたことで、子を設けても乳が出ないなど育てられないから生まれた子は死にます。だから繁殖させないという点では冒頭の文言は間違ってはいない。つまり将来の殺処分を減らすために、今いる猫に餌をやらないで飢餓状態にして餓死させるということだ。生まれた子供は空腹を満たされないまま死んでいけと。いやいや死なないよ、何とか生きていく? でも今の猫が死ななければ子を産んで将来不幸になる猫が増えるのだから、結局死ななきゃ意味がない。飢餓状態にして殺そう(餓死させよう)と言っているのと同じなんですよ、冒頭の文言は。

絶望と地獄の中で時間をかけて死ぬのは、ガス室の中でもがき苦しんで死ぬよりはましなのですか? 将来の不幸な猫は増やしたくないが、今いる猫を不幸のどん底に落とし込むことはいいのですか? 冒頭の文言にどれだけのノラたちが苦しめられているのか考えたことがありますか? 日頃惜しみなく労力と資金を費やしてノラたちの保護に奔走するボラさんたち。そのボラさんたちでさえ多用する一見善意に見えるこの文言に潜む悪魔に、一人でも多くの人が気づいてくれることを願って止みません。

保護できなくて悔いが残るノラ②:シャッポ

と、ここまでは本シリーズ過去記事で書いてきたことの繰り返し。自分としてはこのシリーズは既に書き終えているのだけど、だからと言って本シリーズは終わりません。いやむしろ始まりです。大海に浮かぶ針くらい微力だけど、社会通念が変わってノラたちへの迫害が終わるまで、このシリーズは続きます。ちなみに今回は野良猫が増える真の原因、猫捨てについては触れませんでした。野に生まれたどんな野良猫も、そのルーツを辿れば必ず捨てられた猫にいきつく。猫捨ての取り締まりを強化してなくさない限り、野良猫は増え続けます。
話を戻して、本記事では冒頭の文言が安易に使われている例を紹介します。いずれも信頼の置ける、しかも人気のあるサイトです。

言わずと知れたプレジデント社の記事(2年前)。以前にも紹介した笹井さんが書いてます。テーマは野良猫の不妊手術。記事の冒頭に例の文言が出てきて、野良猫に餌を与えるのは悪として糾弾しています。また厚労省の野良猫繁殖率も鵜呑みにしてそのまま引用している。

昨秋刊行された「たまさんちのホゴネコ」がsippoで紹介されました。長年ノラ救済を続けノラたちへの愛に満ちた著者の、現実を直視した是非読んでみたいコミックエッセイです。現代ビジネス(FRaU)が著者へのインタビューも含め内容を紹介しているので、まずはそちらを読んでみました。8話まであります。リンクしたのは第3話で、前述笹井さんの記事と同じように冒頭から例の文言が出てきます。「無責任なエサやり」とノラの増える因果関係が??

「人間まおと愉快な仲間たち」というブログサイトに綴られたエピソードのひとつです。mamariという女性向け情報サイトの紹介文をリンクしました。これまでの話とは別件だけど敢えて掲げました。このエピソードの意図はわからないが、これだけは言いたい。事故に遭って瀕死の猫を助けたいと行動した女子高生の純粋な気持ちをへし折った動物病院の医師は、"不適切にもほどがある"。確かに話は間違ってない。だから助けなければよかったと? 他のブログに出てくる獣医さんはもっと優しい人ばかりです。

保護できなくて悔いが残るノラ③:シン

◆エサをやるなは殺せと同じ:シリーズ過去記事一覧
第10弾   エサをやるなは殺せと同じ「やわらかい言い方を模索してみました」 2023.6.28
第9弾   エサをやるなは殺せと同じ「動物愛護って・・」 2023.6.4
番外編   エサをやるなは殺せと同じ「意に反したコメントをどうする」2023.4.20
第8弾   エサをやるなは殺せと同じ「偽善はもう許されない」 2023.3.14
第7弾   エサをやるなは殺せと同じ「だから言ったじゃないの」 2022.11.19
第6弾   エサをやるなは殺せと同じ「殺処分か餓死か」2022.7.13
第5弾   エサをやるなは殺せと同じ「コメント欄に見る世相」2022.2.25
第4弾   エサをやるなは殺せと同じ「言葉の真相を暴く」2021.3.31
第3弾後編 エサをやるなは殺せと同じ「→ノラたちとの共存を目指して・番外編4」2020.8.31
第3弾前編 エサをやるなは殺せと同じ「→ノラたちとの共存を目指して・番外編3」2020.6.30
第2弾     エサをやるなは殺せと同じ「理屈で勝負の巻」2018.8.23
第1弾    雑感:エサをやるなは殺せと同じ 2017.6.30

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やわらかい言い方を模索してみました

2023年06月28日 | シリーズ:エサをやるなは殺せと同じ
本記事は、当ブログのシリーズ「エサをやるなは殺せと同じ」第10弾の位置づけとなります 

当シリーズのタイトルなんですが、あまり評判がよくないようで。自分としては、”当面ノラたちを苦しめている三大要素”の一番手として可及的速やかに改善しなければという気持ちが強く、つい言い方がラジカルになってしまうようです。で、知人からしかと言われてしまいました。「読みたくならないよね、これじゃ。」つまり唯我独尊で、他人を責める口調が多いんだと。

実は正直言って、もっときつく言わなきゃ何も変わらない、と思ってました。
例えば最近あまりにも多い猫捨て問題。それらのニュースや、保護に奔走するボラさんたちが結ぶ言葉は大抵、「もっと命を大切に」だ。果たしてそれで猫捨てが減るだろうか。相手は確信犯です。もっともっと滅茶苦茶に追い詰めて、抹殺するくらいの対応じゃないと世の中変わらない、そう思ってました。でも、世間の共感を得ずして世の中変えるなんてできるわけがない。

「エサをやるな」も同じ。その大合唱の元となる役所や保護団体の人たちを論破したところで何も変わらない。むしろその人たちに敵視されるだけだ。お目付け役の知人は、とても大事なことを気付かせてくれました。一方だからと言って、(不幸なノラが増えるから)ノラにエサをやらないという行動が、今いるノラを不幸にしているという悲劇的な矛盾から目を背けることはできない。ラジカルになることなく、共感を得るような言い方はないものだろうか。そう思っていろいろ探してみました。

行方不明者リストから5年ぶりに復活したダイフク

探してみれば結構あります。今回はここに3つの記事をリンク。どうぶつ基金さんの記事は以前にも当シリーズで掲載しました。自分的には、今のところ最も支持できる記事です。その次の記事は、会社として猫保護を目指しているところに興味をひかれます。

  (以上3点クリックしてポップアップ)

◆エサをやるなは殺せと同じ:シリーズ過去記事一覧
第9弾   エサをやるなは殺せと同じ「動物愛護って・・」 2023.6.4
番外編   エサをやるなは殺せと同じ「意に反したコメントをどうする」2023.4.20
第8弾   エサをやるなは殺せと同じ「偽善はもう許されない」 2023.3.14
第7弾   エサをやるなは殺せと同じ「だから言ったじゃないの」 2022.11.19
第6弾   エサをやるなは殺せと同じ「殺処分か餓死か」2022.7.13
第5弾   エサをやるなは殺せと同じ「コメント欄に見る世相」2022.2.25
第4弾   エサをやるなは殺せと同じ「言葉の真相を暴く」2021.3.31
第3弾後編 エサをやるなは殺せと同じ「→ノラたちとの共存を目指して・番外編4」2020.8.31
第3弾前編 エサをやるなは殺せと同じ「→ノラたちとの共存を目指して・番外編3」2020.6.30
第2弾     エサをやるなは殺せと同じ「理屈で勝負の巻」2018.8.23
第1弾    雑感:エサをやるなは殺せと同じ 2017.6.30

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エサをやるなは殺せと同じ・第9弾 ~動物愛護って・・~

2023年06月04日 | シリーズ:エサをやるなは殺せと同じ
最近読んだ記事に、動物愛護の内容を問うものがありました。
日刊現代DIGITALが掲載したある動物病院の先生の記事です。
幼猫を安易に拾って動物病院に届ける行為が、果たして真の動物愛護かと問いかけています。その幼猫は人に捨てられた可能性もあるが、多くの場合は違うと。なぜならノラの母猫が敢えて取り残した可能性があり、自然の摂理でもともと死にゆく運命だったかもしれないと言うのです。それでもひとたび拾ったらその命に最後まで責任を持つ覚悟が必要で、乳飲み子猫が手に負えないと安易に動物病院や愛護センターに届けることは、決して動物愛護ではないとのご意見でした。

チキンとキリンは、小学生の姉妹に拾われてお店に助けを求めてきた、ひと月そこそこの幼猫だった

これはちょっと問題です。そもそも箱や袋に入れられた幼猫がぽつんとその辺にいたら、まず100%捨て猫とみて間違いない。確かに動物の世界では弱った子の”間引き”というのもあるらしい。でも自分が毎日見ている多くのノラ関連記事から判断して、大抵は食べ物不足で母乳が出ないために死んでしまったり、(悪意の)人間など外敵に襲われて逃げる途中取り残したりと、要は母猫の本意ではなかったと思われます。

もうひとつ気になること。「猫を拾ったら最後まで責任を持て」という言い方、何か似てると思いませんか? そうです、当シリーズで繰り返し指摘している、「ノラに餌をあげるなら最後まで責任を持て」のいかがわしさと同じなのです。ここではあまり語らないが、要は責任を取れないお子さんは猫を拾ってはならないと。サポートもできないので勝手に拾って病院に持ってくるな、つまり見殺しにしろということですね。

ちび太も店で見つけたときはまだ2ヶ月足らずで、ひとりでやって来たとは思えなかった

拾った猫を次々と持ち込まれたら病院も困るのはわかるし、動物愛護センターには持ち込まない方がいい(殺処分されるので)。でもだからって、自然の摂理を持ち出して捨て置けなんて如何なものか。ましてやそれが動物愛護とは。

確かに「動物愛護とは何か」を形而上学的に追及すれば奥が深くて、単純に答えが出るものではない。それは生物界で知能優れた人間が、どこまで動物の世界に踏み込むべきかという問いかけと同じだ。まったく干渉しないというのもひとつの立派な考えではあるけど、同じ地球上で暮らす限りそれは不可能なこと。ましてやノラ猫は人間が捨てたものです。無関係でいられるはずがない。「捨て置け」と言うのなら、まずその前に猫を捨てるなと言うのが筋だろう。動物愛護の精神は、自分たちの都合や思惑で語られてはならないのです。

とは言えこの病院に限らず、拾い猫の受付や保護依頼はお断りとホームページに明記した保護団体は多い。個人的には、少なくとも国や自治体から補助を受けている団体はそんなこと書けないはずだと思う。しかしそれらの団体が多頭飼育崩壊やJFE川崎の猫たち救出など尊い活動に追われていることを考えると、一般人の依頼や申し出専門に対応する団体が多くできれば、ノラたちの救済がもっと早くスムーズにいくのではないかと考える次第です。要は如何に多くの人に参加してもらい、救済の手を増やすかということではないでしょうか。

まだ記憶に新しい昨年SCで保護したコミケは当時2ヶ月ほど、親離れにはちと早い

参考資料
(クリックしてポップアップ)

◆エサをやるなは殺せと同じ:シリーズ過去記事一覧
番外編   エサをやるなは殺せと同じ「意に反したコメントをどうする」2023.4.20
第8弾   エサをやるなは殺せと同じ「偽善はもう許されない」 2023.3.14
第7弾   エサをやるなは殺せと同じ「だから言ったじゃないの」 2022.11.19
第6弾   エサをやるなは殺せと同じ「殺処分か餓死か」2022.7.13
第5弾   エサをやるなは殺せと同じ「コメント欄に見る世相」2022.2.25
第4弾   エサをやるなは殺せと同じ「言葉の真相を暴く」2021.3.31
第3弾後編 エサをやるなは殺せと同じ「→ノラたちとの共存を目指して・番外編4」2020.8.31
第3弾前編 エサをやるなは殺せと同じ「→ノラたちとの共存を目指して・番外編3」2020.6.30
第2弾      エサをやるなは殺せと同じ「理屈で勝負の巻」2018.8.23
第1弾      雑感:エサをやるなは殺せと同じ 2017.6.30

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エサをやるなは殺せと同じ・番外編 ~意に反したコメントをどうする?~

2023年04月20日 | シリーズ:エサをやるなは殺せと同じ
本シリーズは独立したカテゴリーになりました

前回の第8弾までで、ノラたちの待遇および生活改善に向けての障害を明確にしました。これまで善とされていたことが実は悪で、それにより世論が形成されていくという、今まで隠れていた問題の元凶です。
ごく簡単に要約すると、現在ノラたちを苦しめている要素は3つある。
(1)役所や保護ボランティアの「不幸なノラを増やさないためにノラに餌をあげるのは止めましょう」キャンペーン
(2)どんなに猫(その他動物も)を虐待・遺棄しても無罪同然の刑罰しか与えない日本の司法(裁判官、起訴しない検察も同類)
(3)猫捨てを糾弾するどころか、餌やり問題にすり替えて報道する日本のメディア(特にネットメディアのリテラシー欠如)

以上ですが、これで本シリーズの目的を達成したわけではありません。むしろこれからです。ことあるごとに具体例を挙げて誤った行為を告発していこうと思っています。今は圧倒的に少なくとも、いつしか理解者の輪ができ、大きなうねりになることを期して。何よりも、今この時も抑圧され不幸のどん底にいる他ならぬノラたちのために。

天国から家裏のノラたちを見守る(故)「みう」

ただ今回はその前に、番外編として述べておきたいことがあります。
前回第8弾の記事にコメントが届きました。保護ボラさんブログのコメント欄などに時として出現する怪しげな輩です。かつて『「動物愛誤」と書く諸兄へ』という記事で呼びかけたように、自分はこういったコメントを排除しようとは思いません。むしろ、もしその相手に理解力と知性があるのなら、とことん議論してみたいと思っています。

どんな考えにも反対意見はあります。自分は猫ちゃんが大好きでノラたちを守りたいと思っていますが、世の中には猫が大嫌いと言う人もいるのです。猫の命は尊くて、牛や豚の命はそうでないのかと言う人もいます。猫はかわいい小鳥を襲って殺したりします。日本には一部地域でイルカ漁を行い食べる文化があるし、中国では犬を食べたりします。とても難しい形而上学的な問題。この難しいテーマには別シリーズ「ノラたちの幸せを願って」で再挑戦し、自分の気持ちを追求してみたいと思っています。

同じく店のノラたちを見守る(故)「テン」ちゃん

ただ、コメント欄に皮肉表現や罵詈雑言を書き込む輩の心理はそんなに純粋なものばかりじゃない。投稿者の動機を分析してみると;
1.根っからの猫嫌い(殺してでも見たくない)
2.ノラを虐待して楽しみたい(動物虐待愛好家=変質者)
3.現実的にノラの被害で困っている人(集中的に庭に糞をされる、etc)
4.猫のために何かすることで幸せそうな人たちを妬んでいる人
5.まるで人より猫優先のような立ち振る舞いに反感を持つ人
6.猫捨て常習者やペット業界の人が身を隠しての投稿

上記1の人はその背景(嫌いになった理由や経緯)を知りたいと思うし、3と5の人とは話し合わなければいけない。一方2,4,6の輩は論外で、話す必要もなさそうだし話しても無駄でしょう。第8弾のコメント欄に投稿した「ミルキー」さんは隠れペット業界人と推察されるので、対応はしません。ただ、身分を明らかにしたペット業界人との論戦は大歓迎。いずれにしても、社会常識から著しく逸脱しない限り不遜な投稿をそのまま表示しておくのもひとつのやり方だと思っています。

本記事が、嫌がらせのようなコメントに困っている猫ブロガーさんの少しでも役に立てば幸いです。

(故)チビと(行方不明)シャッポのいた時代 (店・2016年夏)

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エサをやるなは殺せと同じ・第8弾 ~偽善はもう許されない~

2023年03月14日 | シリーズ:エサをやるなは殺せと同じ
最近このカテゴリーでは怒り狂ってばかりで気が引けてます。
それでも書かずにはいられない。ノラたちのために。

当シリーズの前回記事(昨年11/19)で、長崎市で動物の愛護及び管理に関する条例が施行され餌やり禁止のごとき文言があったために餌やりさんが一斉に身を引いてしまい、多くのノラたちが痩せ衰えて餓死するノラも出て来たと伝えました。その時の担当者(動物愛護センターの所長さん)の言葉が「条例の理念が理解されてない、餌やり禁止がひとり歩きしている・・」と。いやいや違うでしょ、そう解釈するように書いているでしょ、というのが自分の指摘でした。

先月28日長崎市議会にこの問題がかけられたと長崎国際テレビが報じた。市長の殺処分0にしたい気持ちはわかる。しかし昨年7月に条例を施行して以来、餌をもらえなくなって餓死するノラ猫が増えたと今度はボランティア団体の代表が指摘。驚いたことに状況は未だに改善されてなかったのです。代表曰く、「餌を与えるなの言葉だけが先行して、条例が正しく理解されてない」と。どうやら正しい理解とは不妊化のことらしいが、「餌をあげて繁殖を繰り返すのは(悪い)人」とも言っている。つまりあなたも、餌をやるなと言ってるわけだよね。

こんなことでいいのでしょうか。ノラたちにとってはまさに生きるか死ぬかの問題なのに、揃いも揃ってあまりにも愚鈍すぎませんか?

お店とわが家で最後の2年半を過ごした天国のテンちゃん

「不幸なノラを増やさないために餌をやるな。」
今や役人やボランティア団体の誰もが言う決まり文句。今いるノラに子を産ませない、そこまではいい。それであれば餌をやるやらないに関わりなく不妊化手術を進めればいいのです。なのに餌をやるなということは? 子を産ませないためにその猫に死んでもらう(餓死させる)という以外に意味がありますか? 如何にも猫の味方、動物愛護の顔をしてその実殺処分よりも怖いことを平気で言う。これが偽善でなくて何なのか。

以前に紹介した、(広島県だったかの)ある市の条例改正案。
「餌はあげてもいいのです。道端でお腹をすかした痩せ細った子猫に出会ったら、どうぞ餌をあげて下さい。でもできたら、動物愛護団体などに連絡して下さい。そして、毎日何匹もの野良猫を集めて餌をあげたいときは、当市にはルールがあるのでしっかり守って下さい。」
これならお子さんにも通じ、情操教育にも役立ちますよね。

テンちゃんはお店の風景によく溶け込んでいた

何よりこうしたすべての話のおかしさは、猫捨て問題を餌やり問題にすり替えていることです。これも何度も言ってきたが、どのようなノラであってもそのルーツを辿れば間違いなく捨て猫にたどり着く。つまり猫捨て(飼い猫を野に放つこと)を防止しない限り、どんなに保護しても不妊手術してもノラの数は減らないのです。猫を捨てる人間を野放しにして、捨てられた猫を哀れと食べ物をあげる人間を非難する。餌やりさんを非難する人たちは、その餌やりさんよりも動物愛護の精神に欠けているということだ。どうして、一緒にノラたちを守ろうという姿勢がとれないのか。

同時に大事なことは、世の中のあらゆる猫捨て行為を糾弾すること。まるで古い慣習のような一般人の猫捨てのみならず、ブリーダーの大量遺棄、ペットショップの売れ残り猫を引き取る闇屋の存在。不都合な真実としてこれら人間のエゴに目を背ける限り、ノラ問題は解決しないことを肝に命じるべきなのです。この点では政治家や特にメディア人の不作為も大きい。この問題にどこかの番組が目覚めて先駆者となり、日本に、いや世界に大きな猫捨て禁止の波が沸き起こることが自分の願いです。もちろん対象は猫に限りません。人間に利用され、人間のエゴによって捨てられ無残に絶えていくすべての命が対象です。

テンちゃんは人に捨てられたが、人をこよなく愛し続けた

◆エサをやるなは殺せと同じ:シリーズ過去記事一覧
第7弾   エサをやるなは殺せと同じ「だから言ったじゃないの」 2022.11.19
第6弾   エサをやるなは殺せと同じ「殺処分か餓死か」2022.7.13
第5弾   エサをやるなは殺せと同じ「コメント欄に見る世相」2022.2.25
第4弾   エサをやるなは殺せと同じ「言葉の真相を暴く」2021.3.31
第3弾後編 エサをやるなは殺せと同じ「→ノラたちとの共存を目指して・番外編4」2020.8.31
第3弾前編 エサをやるなは殺せと同じ「→ノラたちとの共存を目指して・番外編3」2020.6.30
第2弾     エサをやるなは殺せと同じ「理屈で勝負の巻」2018.8.23
第1弾     雑感:エサをやるなは殺せと同じ 2017.6.30
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