店には3匹のノラたちが出入りしていて、食事を与えています。しかし、これは問題行動なのだろうか。確かにアンケートでは、7割以上の人が餌やりに反対している。今、このエサやり問題についてさらに調べていますが、地域猫やノラに関わる人たちも含めて、あまりにも多い「エサを与えてはいけません」の記述に驚いています。
どうしても猫が嫌いな人ならわかる。自分とは違うがそういう人もいるだろうし、罪のないニャンコにさえ危害を加えなければ、"愛誤の輩"のように人を攻撃するのもかまわないのです。実際、論理的なニャンコ嫌い派の意見には納得できることも少なくない。
わからないのは、猫ボラ活動に心身を尽くし、殺処分直前のニャンコを引き取るなど何匹もの命を救ってきた人までが、「エサを与えてはいけません」と訴えていること。エサを与えれば繁殖を繰り返して不幸なノラが増えるだけ、というのがその理由だ。
でも、誰もエサを与えなければそのノラは死ぬ。田舎ならまだともかく、都会ではエサとなる小動物や昆虫も少ない。ましてや冬になれば殆どいなくなる。しかも、捨てられたニャンコや脱走した家猫はエサの捕り方すら知らないのです。
そもそも、「エサを与えてはいけません」の意味は何なのか。あなたがやらなくても他の人がやるから大丈夫? それとも、ゴミ箱をあさって飢えを凌ぐから大丈夫? いや違う。繁殖されては困るのだから、「野たれ死ぬのを待ちましょう」ということか。
道端で衰弱して動けなくなった子猫に水をあげ、ポケットに残っていたチーズスティックをあげようとして止められた小さな子供。次の日その場に行ってみたら子猫は死んでいた。「仕方ないよ」と親は言う。「だって、エサをやるなって言われているから。」
一方で命を救いながら、もう一方で殺せという矛盾。
本当に止めさせたいのは、公共の場や他人の土地で無闇にエサをバラまく行為なんじゃないですか? それは、誰がどう考えたってやってはいけないことだから。ノラの未来を案ずるのなら、まずはニャンコを捨てる人たちをもっと糾弾して下さい。
ノラたちを救う原動力は何もNPOやボラさんたちばかりじゃない。世の中の人たち全員なんです。「ノラたちとの共存をめざして・その1」(2/17)で述べたように、今でも家庭で暮らすニャンコの半分以上が元ノラだ。道端のノラにエサをあげたのがきっかけで一緒に暮らすことになったり、一生懸命保護者探しをしたり。そんな機会を潰すようなことを、言わないでほしいのです。
※餌やりに関しては、前述「ノラたちとの共存をめざして・その1」の中で提案しています。
そう、「エサやりは公衆道徳を守って下さい」のような標語がいいのではないか。
確かに遊び半分で中途半端なエサやりは許されない。そのノラに頼られるほどエサやりを続けるには覚悟と環境の整備が必要だ。意識の高い善意のエサやりであっても、自分が入院したり引っ越したりしたときのことを考えておく必要があります。でも、そればかりを強調すれば、ノラたちの救われる機会がどんどん減ってしまうのです。
ノラの自然繁殖に関しては、前述記事で述べたように野に生まれた子猫が成猫になる確率は低い。しかし地域によっては、特にノラ密度が高い地域があれば問題となるだろうし、やはり行政を中心とする対策が必要だと思います。それより何より、猫捨て禁止を徹底する。脱走時対策として標識の装着を励行する。こういった啓蒙活動こそが、今は一番求められているのだと思うのです。
<店でお世話中のニャンコたち(6月現在)>
テン (店の主です)
ダイフク(再掲)
モドキ
カブキ(再掲)