今日も元気で頑張るニャン

家族になった保護猫たちの日常を綴りながら、ノラ猫たちとの共存を模索するブログです。

桜咲く (チビの思い出)

2020年04月05日 | (故)チビ 
サクラサクと言っても、合格通知ではありません。
SCの裏に隣接する遊歩道の桜が満開になりました。


ひときわ大きな桜の木。この木を見ると思い出します。
ニャー、シャッポと店の3匹時代を築いた子猫のチビ。
この木は、チビを2度目の落下から救いました。

遊歩道から見た桜の木。

1度目の落下のときは奥にある公園の丘陵に向かった。
2度目の落下ではこの木を登ってSCに戻った。
しかし3度目の落下ではこちら側のバス通りに向かい、不幸な事故で帰らぬ身となった。

SCの擁壁(左手)と公園の丘陵の間を抜ける道

1度目の落下のとき、まだ触れるほどに懐いてなかったチビを昼間はどうにも救えなかった。
しかし夜になって再び現れ、点在する街灯を頼りに、SCの上からチビを奥の方まで誘導した。
自分とK君、そしてチビもみな必至だった。
100m近く進むとSCとの高低差が小さくなり、チビはSCに戻ることができた。
忘れもしない、どんなドラマよりも感動的な救出劇でした。

子猫のチビ (Aiさん撮影)

チビは胴が細く手足が長く、アスリートタイプの子猫でした。
ピーピーよく鳴いてスタッフの後を追ってくる。
でもまだ人を怖がり、触れるのはAiさんくらいのものだった。

シャッポとチビ、かくれんぼ

シャッポとは大の仲良しになって、いつも店の中でかくれんぼをして遊んでいた。
でも次第に、SCのフェンス際の草むらで虫などと遊ぶことも多くなった。
チビのカモシカのような跳躍力、不安は的中してSCのフェンスを越えて落ちたのです。

当時はネコというものに対する認識が今よりずっと甘く、
2度目の落下のあとフェンス際の危険物を取り除くなど処置したつもりだった。
今にして思えば、もっとしっかりした対策が必要だったと悔やまれる。

チビを捜すシャッポ

チビがいないことに気付いたのは土曜日の朝だった。
週末の間捜し続けて、月曜日に清掃局に問い合わせて事故を知った。
事故は土曜日の早朝だった。
担当した人と直接話してチビで間違いないと確認した。

その土曜日からしばらくの間、シャッポもチビを捜し続けた。
写真は土曜日の夜のシャッポの様子。(再掲)
チビを捜すシャッポの姿、そして鳴き声が哀れを誘った。
そのシャッポも、その年の暮れに消息を絶ちました。

今はあの救出劇を知らないスタッフも多くなり、
そのときの感動も風化しつつあります。


※チビの救出劇はチビカテゴリーに詳細を書いてます。
(トシをとると思い出話が多くなってすみません。)

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続・かわいい理由 ~幸せホルモン・オキシトシン~

2019年04月09日 | (故)チビ 
SCの裏手を通る遊歩道の桜並木が満開になりました。
東京より10日ほど遅れての満開です。
毎年のことですが「ああ、春だなあ」と思うと同時に、チビのことを思い出します。


満開の桜並木
中央ひときわ目立つ木がチビを2度目の落下から救った

チビについては、そのカテゴリーの中で語り尽くしてきた。
その思いは、過去記事「続・子ニャンの賛歌」と「子ニャンの勇気」に集約されています。


チビの事故現場(バス通り、奥にチビを救った桜の木)
3度目の落下のときは川の水が干上がっていて、チビがバス通りまで来てしまった

彼を亡くした無念さと自責の念から、このブログを始めました。
そしていろいろな出会いが、今も続いています。
ニャンコたちの持つ純粋無垢な心根に触れてしまうと、
その心地よさに、離れることができなくなってしまったのかもしれません。


チビは人馴れ途上の、アスリート体型の活発な子猫でした(再掲写真)

何故猫なの?
度々書いてきたように、好きになるのに、そしてかわいいと思うのに理由なんて不要です。
こんなに純粋でかわいいのに、想像を絶する過酷な生活。
ノラたちが背負うその運命の不条理さに、心ある人は動くのです。
野生の猫ではない、ノラだからこその宿命だから。


チビがニャーやシャッポと飛び回った裏駐車場
今では(店に来たときの)テンちゃんの散歩コースです

ところで最近は、猫をかわいいと思う感情が科学的に解明されつつあります。
その鍵を握るのが、「オキシトシン」と呼ばれる生理活性物質。
「幸せホルモン」とか、「癒しのホルモン」などと呼ばれています。
  ※「オキシトシン 猫」で検索してみて下さい。

この研究は従前から行われていたものです。
自分も、学生時代の研究テーマの延長で生理活性のメカニズムには興味がありました。
しかしオキシトシンは、アメリカの著名な科学誌「サイエンス」に、麻布大学獣医学部の永澤らの報文が掲載されたことで脚光を浴びることになります。それは、犬と飼い主が見つめ合うことで双方にオキシトシンが分泌され、お互いに癒されるというものです。オキシトシンは幸福感をもたらすホルモンとして知られていました。野生のオオカミではこの現象は見られず、遺伝子的に変化した"飼い犬"にしか見られなかったのです。

さらに、京都大学の堀越らは野生の猫と家猫(ノラ含む)の遺伝子的な違いについての最近の報告で、鍵を握るのがオキシトシンだと推察しています。つまり、家猫には野生の猫にはない癒し効果がある? これらの内容がNHKなどのテレビ局で特番として報道されると、世の中が俄かに色めき立って、前述の検索の結果となっているわけです。

もちろんまだまだ、更なる実験や解明が必要だ。しかし人間の近くで暮らすワンちゃんニャンちゃんの癒し効果が科学的に解明されつつあるいということ。これは言い換えれば、ワンニャンの癒し効果が本当にあることが証明されつつあるということなんです。すごいですね。科学というのは、本当にすごい。

今後は、介護の分野でもアニマルセラピーがますます脚光を浴びてくると思います。介護だけでなく、一般の社会でもワンニャンの価値がもっともっと高まって、それがノラ救済の大きなムーヴメントに繋がればと願って止みません。


今日のテンチビ
まだ触れなくても、鼻先でゴロゴロされれば癒し効果も抜群です

ところでチビよ、
お前の生まれ変わりのはずだったちび太の最近の体型は・・・。
お前もあと少しで、あんな体型になったんかねぇ。
(3つ前の記事をご参照下さい)


「フン!」(ちび太)
「あれ? オレの写真、何だかちいさいぞ」

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子ニャンの勇気・partⅡ ~チビを偲んで~

2018年10月13日 | (故)チビ 
久しぶりでチビのカテゴリーを更新します。
チビは、このブログを始めるきっかけとなった子猫でした。
一周忌追悼文を書いて以来なので、前回からもう1年以上経ってます。
当然ながら、自分の中でチビはいつまで経っても子猫。
そしてチビのことを思うたびに、あの事故の悔しさが蘇ります。

半年ほどの短い付き合いだったけど、本当にたくさんの感動をもらいました。
忘れもしない2度の救出ドラマ。
真夏の夜にSCの駐車場で戯れた思い出。
ニャーやシャッポも一緒だった。
チビカテゴリーの「かわいい理由」や「続・子ニャンの賛歌」に、自分の思いが溢れています。


      チビ          チビとニャー(じゃれ)     チビとシャッポ(休憩)
いずれも再掲写真

今日のタイトルはpartⅡとなっていますが、実はpartⅠはありません。
チビを亡くしてからの2年間に、自分が出会った子ニャンのすべてがpartⅠです。
コン、ちび太、ミセミケ、イエチビ、テリー、キー、クウ・・・
それにソトチビやハリーも初めて出会ったときは子ニャンだった。
他に、ちらっと見かけただけで結局会えなかった子ニャンも数匹。

1才生存率が10%程度というノラの子たちの過酷な運命。
自然増に匹敵するくらい後を絶たない猫捨て。
捨てられた子ニャンの運命は、ノラの子以上にはかない。
ボロボロになって朽ちていく。
捨てた人間は、その子たちと同じ運命を味わってみるがいい。
死に支配された運命を、味わってみるがいい。
絶望的に愚かな人間たちの非道に天罰を。

一方で子ニャンを見ていると、その一生懸命さに頭が下がる。
絶望的な状況の中でも、彼らは生きることを諦めない。
最後の最後まで、自分が微塵も動けなくなっても、彼らは決して諦めない。
彼らの行動は、すべてが生きることを前提としているのです。


SC夜の駐車場で:手前からシャッポ、チビ、奥の車の前にニャー

人間の年齢にすれば小学校以前の子猫が、命を賭けた旅に出る。
あらゆることに興味を持ち、一見遊んでいるようだけど、
彼らにとっては生きるための修行。
だからみな真剣で、必死なんだ。

人間の幼児と言えば、母親が何でもしてくれる。
駄々をこねて泣き喚けばそれで済む。
周りの大人たちも、それが当然だと思っている。

ノラの子ニャンは独りで生きていく。
誰も頼る相手はいない。
どんなに怖くても、怯えている余裕はない。
店に来た子ニャンも、家に来た子ニャンもみなそうだった。
その勇気と懸命さに人は心を打たれ、
そして彼らの運命に光を差すのは、これもやっぱり人間なのです。

チビよ、お前はそのことを教えてくれた子猫だった。
お前のおかげで、ちび太をはじめ何匹かの子ニャンを救うことができたよ。
チビよ、お前も悔しかったんだよな。
だからお前の一周忌追悼を書いた直ぐ後に、ちび太になって戻って来た。
輪廻転生。お前と瓜二つのちび太を見て直ぐにわかったさ。
お前は、もっと我々と一緒にいたかったんだよな。

そうか、ちび太があの気難しいニャーにひたすらくっつくのも、
ちび太の里親さんが決まりそうになると流れたのも、
チビよ、お前の気持ちだったのかな?
もしかして、このままいればいつしかシャッポにも会えるとか?

なるほど、お前(ちび太)がいれば、ニャーとシャッポもまたうまくいくかもしれないね。


チビがいた時代:左からチビ、ニャー、シャッポ(再掲)


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チビ一周忌に想う

2017年09月10日 | (故)チビ 
昨日がチビの一周忌でした。
事故は昨年の9月9日、金曜日の早朝。清掃局に問い合わせてその情報を得たのは月曜日でした。何とか担当した方から直接伺うことができて、チビだと確信するに至ったのです。

昨日は、チビの事故現場に献花しました。
              
                ささやかな献花です

              
             相変わらず交通量の多いバス通り

              
          事故は遊歩道とバス通りの交差点付近でした
 奥に見えるSCの擁壁から落ちて、たまたま水のなかった小川を渡ってバス通りへ
              擁壁の向こうに当お店が見えます

              
    献花は邪魔にならないよう、植え込みの中に1日だけ置きました


チビに関しては同じカテゴリーの、「かわいい理由」や「子ニャンの賛歌~チビ追悼~」で想いを書き留めてきたので、今日は少し違う角度から綴ってみます。ただ、残念なことに使えそうなチビの写真が殆ど残っていません。以下の写真はすべて再掲写真となります。

              
    (再掲)店に出没し始めた頃(3月)のチビ、初めて写真に納まった

チビと同じような境遇の子ニャンはたくさんいる。でも、自分はたまたまチビと出会い、たいした付き合いでもなかったのに、彼は自分の気持ちの中に入り込んでいました。そう、このトシで子ニャンに感化されるなんて、年甲斐もないと言われればそうなんですが。

誰か(何か)を想うことは結局、自分自身の問題なんです。自分は、経済成長期の典型的なモーレツ社員でした。外資系の企業で日本支社の役員にまでなって、人生ゲームには成功したのかもしれないが、社内外の駆け引きの連続に疲れ果てた挙句、早期退職しました。

その後しばらくして、趣味だった植物の知識を買われて今のお店を手伝っています。小さくても家族ムードで競争のない職場は居心地がいい、初めはそう思ったのですが、やはり人間のいるところには常に駆け引きがある。そう、お客さんや業者との駆け引きです。

この年になって、そういうことに巻き込まれるのがほとほと嫌になっていました。当時はそういう目で見ていたせいか、かつてわが家の3匹をはじめニャー、ソトチビやみうにも駆け引きがあるように見えた。自分には、そんな風にしか見れなくなっていたのかもしれません。

              
           (再掲)ニャー(中)、シャッポ(右)とチビ(左)
 3匹が最も平和だった初夏の昼下がり、この平和は長くは続かなかった

そんなときに出会ったのがチビです。当時はテツの体調が最悪で強制給餌を行っていた頃。テツを失いたくなくてすがるような気持ちで介護しながら、もっと多くのニャンコのために何かできないか、なんて考え始めていた頃でした。

チビを見ていて、その一点のくもりもない純粋さに心を洗われた思いだった。いつも一生懸命、そして前向き。嘆いたりふてくされたりやけを起こしたりなんて、ネガティヴな感情そのものがないのです。必要以上に求めない(物欲がない)。自力解決で他に頼らない。なかなか信頼しないが信頼すると裏切らない。とにかく、悪意というものがない・・・。

心を偽ることがなく、ありのままを受け入れるから誤解することもない。大袈裟かもしれないけど、人間社会で言えば仙人か仏様の境地だ。こんなに小さな子猫が、寒い冬を生き抜いてきただけでも驚きなのに、チビは、純粋さが強さなのだということを身をもって教えてくれた。そう思って見ると、他のニャンコも同じだったということに気づいたのです。

ニャンコはツンデレ、人間に媚びないと言われます。でもだからこそ、この純粋さを保っていられるのかな、と思います。きっと人間に関わりのない野生動物ならみな持っている純粋さ。ニャンコは人間の近くにいながらその純粋さを教えてくれる、人間にとってかけがいのない伴侶なのではないでしょうか。

              
              (再掲)休んでるときも鳴きまくり
 運動と冒険の毎日、疲れると事務所の前に戻ってきて休むのが日課だった


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ニャン好きニャンコ

2017年07月31日 | (故)チビ 
妻はニャン歴半世紀以上になる大ベテランです。
何匹ものニャンコを看取った経験から、世話好きなのに放任主義者になりました。ニャンコの一生は短い。だから少しでも多くのことを心置きなく経験して人生(猫生)を楽しんでもらう、それが彼女の育て方です。

その妻によると、ニャンコには3つのタイプがあるらしい。
A 人にもニャンコにも寄り付かない孤高のニャンコ
B ニャンコと群れるのは嫌いだけど人に興味を示すニャンコ
C 人は怖いけどニャンコ大好きなニャンコ
どのタイプになるかは、生まれてもの心がつくまでの環境(育ち方)によるところが大きいけど、成猫になってからでも環境が変われば少しづつ変わっていくそうだ。

自分としては、この分類でいくならもうひとつほしいな。猫島や猫寺、そしてあの世界的に有名なマルタ島のニャンコたちのタイプだ。
D ニャンコ好きで人にも興味を示すニャンコ

ニャーやテンちゃんはBで、みうはCかな。モドキはAとBの中間? いや、Bかも。ダイフクは少しBがかったAか。かつてのわが家の3匹、くも・ハナ・テツはもちろんD。

Cタイプと言えば真っ先に思い出すのがチビ。昨年の3月にひょっこり店に現れて、9月に事故で虹の橋を渡りました。短い期間だったけどいつもビービー鳴いて存在感があって、人が怖いのに愛嬌たっぷりで、徐々にスタッフと心が通じ合って、2度の落下からの生還をはじめ数え切れないほどの感動と思い出をくれた子ニャンだった。 

そのチビが現れたとき、もちろん食べたい一心で来たわけですが、それと同じくらい関心を示したのがニャーだった。とにかくニャーにくっついて回る。ニャーはすぐに辟易状態になって、チビが来ると逃げて回る。ニャーはもともと穏やかなニャンコで当時は♀だと思っていたから、まだ幼いチビは母性を求めているのだと。

ニャーに逃げられても怒られてもくっついていったチビ。そのうちシャッポが現れて、シャッポと大の仲良しに。そうなるとニャーもそこそこだったら付き合えるってわけで、チビを接着剤とした仲良し3匹が誕生したのです。

今にして思えば、チビが求めていたのは母性ではなかった。大家族に育ったのか寂しがり屋なのか、とにかくそういうニャンコがいるんだな。

今日はお蔵入りした写真の中から、チビがニャーにくっついて回った軌跡を引っ張り出してみました。ちょっと映りの悪いのはご容赦を。

その1.こちらはこのブログがスタートした昨年9月、ニャーの初記事で使った写真です
(撮影は4月)

うるさいチビから逃げて高みの見物のニャー。
バックヤードのラックとラティスを垂直に登っていきます
チビはまだ登れず、下からビービー鳴くばかり

でも、それから2週間ほど猛練習したチビの成果は・・


その2.暑くなってきた頃、花台の下で休むニャー(右端)。ちょっと離れてチビが・・

ニャーに近づくと怒られるので、近くの台下で真似してます

でも少しづつ近づいて、やがて同じ台の下
(台の左下にニャー、右下にチビ)


その3.日除け霜よけに使うシートの上で寝るのが日課になったニャー。チビは・・
一緒に寝たいけど怒られるので少しづつ近づいて、やっと近くの場所に納まった

でもチビは何とか一緒に寝たい
怒られては離れ、また怒られては離れて・・

やっと特等席をゲットした瞬間


さらにニャーに迎えられて・・(チビの初記事で使った写真です)
まさに「愛しき子ニャン」のチビでした


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