テツを亡くして以来4年間書き続けた「テツとの対話」シリーズ。
ようやく卒業し、テツの面影を思い出に変えたのが1年前。
久々にテツのことを書こうと思ったら、ハナくもなしには書けないことがわかりました。
若かりし頃の3匹
槍のように相場が突出したバブルのピーク時に購入したわが家。
地獄のような経験を持つ一家も、新居にはそれなりに満足だった。
小川と田園、神社の森に囲まれた閑静な住宅街。
当時は何故か捨て猫が多かった。
そのうち拾われていった子猫たちだったが、当家は参加しなかった。
しかし3年も経った頃、小学性だった息子がノラの子猫を持ち帰ってきた。
街の外れに捨てられ年上の子たちにいじめられていたのを、勇気を出して助けたのだという。
その行為を褒めたたえ、まさかその後に猫を捨ててこいとは言えなかった。
利発な子だったハナ
そうしてまだ齢4,5ヶ月のハナがわが家の一員になったのです。
それからは妻の動物好きに火がつき、半年後には文太(ワンコ)、5年後にはテツ、7年後にはくもがわが家にやってきた。
妻の友人がブリーダーから引き取ったというくも以外は、みんなノラの子だ。
当時の世話役は専ら妻、遊び相手は中高生となった3人の子供たち(女女男)。
自分は海外出張が多く、ワンニャンと接することはあまりなかった。
ハナ:在籍1993~2014年 敗血症にて他界・享年22才
文太:在籍1993~2009年 ガンにて他界・享年17才
テツ:在籍1998~2016年 IBDにて他界・享年19才
くも:在籍2000~2015年 甲状腺機能亢進症にて他界・享年15才
リビングでくつろぐ3匹
やがて子供たちが独立して家を出、自分は外資系を早期退職して家中心に戻った。
夫婦とワンニャンの暮らしが始まりました。
当然ながら、妻の見様見真似で自分もワンニャンの世話をすることに。
そのうち自分は今の店に身を置き、製薬会社に勤めていた妻もやがて退職して今の店に合流した。
当時の猫たちの暮らしは今とは比較にならないほど質素なものでした。
ご飯も小さめのお椀に缶詰とカリカリ、たまに種類を変える程度で毎日同じ。
トイレは1階の廊下にひとつだけ、結局最後までそれで通した。
ハナとテツはリビングを中心に、大人になったくもは2階のオジン部屋を根城にした。
それでも、昼間は何かと3匹一緒にいることが多かった。
3匹の食事風景
夜になるとくもはオジンと、ハナとテツはオバンの両側に潜り込んで寝るのが日課。
特筆すべきは3匹ともリード散歩が大好きで、よくまとめて3匹連れ出した。
猫の気まぐれに翻弄される散歩姿が町内でも評判になったものです。
3匹はそれぞれ1度づつ、保護者の手間をかけたことがある。
ハナは晩年脳梗塞で倒れ、早期の処置が幸いして奇跡の復活を遂げた。
テツはリードで外にいるとき行方不明となり、必死の捜索も見つからなかったが、1週間近く経った夜中に感動的な帰還を果たした。
くもは2階の屋根から落ちて骨折、大手術の後見事に回復した。
どれもこれも懐かしい思い出だけど、結果がよければこその話。
諦めずに最善を尽くすことの大切さを学んだのです。
晩年のくも
文太と3匹の晩年、自分は介護に明け暮れた。
文太のガンとの闘い、その闘病も介護も壮絶を極めた。
安楽死まで考えた保護者に、つらい決断はさせまいと文太は逝った。
ハナは復活といっても完全ではなかったし、その1年後に倒れたときは夫婦が留守だった。
夜間病院では見過ごされ、翌日敗血症と診断されて入院したが、入院先で息を引き取った。
くもはハナの看病に追われている間に肝臓病、腎臓病を併発してガリガリに痩せていた。
気づいたときは手遅れで慌てて入院したが、入院先でハナを追うように息を引き取った。
くもに自分のご飯を譲るテツ
どんなに懺悔しても足りない、くもに対する贖罪と自責の念。
ハナとくもを病院で独り寂しく逝かせてしまったことの後悔。
残された夫婦とテツは、寂しさを共有した。
テツと文太
そのテツは、IBDの末期だった。
一進一退を繰り返しやがて憔悴していく不治の病。
でも保護者とテツは、二人三脚でこの病魔と闘うことを決意しました。
それからの1年と8ヶ月、苦しいけど楽しい日々だった。
外猫だったみうがふたりを励ましてくれたのもこの頃。
やがてテツにはわかったのだろう、それとなく合図が。
そのおかげで、自分は落ち着いてしっかりとテツを看取ることができたのです。
テツは終生の友と言うべき猫でした。
彼を看取った後、保護者はノラたちの保護活動を決意することになるのです。
ハナとテツ