今日も元気で頑張るニャン

家族になった保護猫たちの日常を綴りながら、ノラ猫たちとの共存を模索するブログです。

くも(雲) ~忘れてならないわが家の子~

2020年03月17日 | (故)くも
いえ、忘れられないわが家の子です。
生まれてすぐにわが家にやってきたくも。2匹の先輩(ハナとテツ)に暖かく迎えられたが、2階のオジン部屋を根城にしてその一生を過ごした。なので寝るときはいつも自分と一緒、おそらく接した時間は一番長いニャンコでした。

くもへの思いはカテゴリーの過去記事「くものこと」や「雲」に書いたので、ここではあまり触れません。何故忘れてはならないのか、そして忘れられないのか。それは悔恨と自戒と、強い後悔があるからです。くもを失って以来今なお襲ってくるこれらの感情を通して、自分はふたつのことを学びました。

わが家に来た頃のくも

1.愛情は最も大切なことだが、愛情だけでは幸せにできない。
人間だってそうです。本気で自分の想う人に幸せになってほしかったら、まず自分が強くなる必要があるし、無知では強くなれません。ましてや相手はネコ。まず彼らの身体的、行動上の特性を学び、病気や疾患それらの症状についても学ぶことが保護者にとっては必須事項なのです。可愛がるだけでは幸せにはできません。

ネット時代の今は学ぶことも簡単にできる。ひとつポイントは、殆どの関連サイトが猫の行動特性として野生の猫を引き合いに出していること。確かに同じ遺伝子を持ってはいるが、人に関わらない野生の猫は家猫とは違います。例えば野生の猫は薄明薄暮行動性だけど、家猫は人の生活に合わせて昼や夜に行動する。何より違うのは人に信頼を寄せること。人間社会で暮らすノラも家猫と同じだ。

身体の具合が悪いとき、猫はじっと耐えるしかない。そのとき彼らの表情はとても穏やか。その表情に安心して激ヤセで動かなくなったくもの深刻さに気付かず、目の前でばったり倒れるまで放置してしまった後悔は、くも亡き後5年経った今でも引きずっているのです。

晩年のくもは何かを訴えるように保護者を見つめることが多かった

2.相思相愛とは? 保護者命のネコの気持ちを大切にする。
ペットロス症候群は今や社会的な精神疾患だ。自分にも経験があるからその悲しさはよくわかる。しかし、その逆はあまり語られない。保護者を失ったネコだって悲しみと不安に襲われるのです。迷子になった2歳くらいの子供の様子を思い浮かべて下さい。ただ猫は、子供のように人に伝えることをしない(できない)だけです。

一度信頼関係を築けばどんな猫だって保護者命になる。それを理解すれば保護猫の里親探しだって好奇心の強い子猫のうちか保護して間もないうちにしたいし、不慮の脱走で迷っちゃったネコちゃんがどんなに寂しく不安なことか。相手の気持ちを慮るという基本的なことを忘れないようにしたいのです。わが家にも経験があるけど、くもに教わった教訓があればこその対応ができた。もちろん今は不慮の脱走に細心の注意を払っています。

くも13才、テツ(右)15才、ハナ(奥)20才

それでも難しいのが終末期の支え方。一緒に暮らすニャンコが病気で終末を迎えた時、1日でも長く生きてもらいたい、できれば回復して元の生活を取り戻してほしいと思うのは自然なことです。だから医療にすがるのも当然。しかしくものように病状が深刻になってから来られても、先生からすれば自分は万能ではないと言いたいときもあるだろう。実際今の動物医療は対症療法が精一杯で、根本治療はできないと思った方がいい。

それで、非常に難しい判断を迫られることになるのです。なぜならネコちゃんは最後まで保護者と一緒にいたいから。つまり、保護者にしっかりと看取ってほしいのです。このネコの気持ちは、少しでも長く生きてほしい(病院で手当てしてほしい)と思う保護者の気持ちと相反する。相思相愛なるが所以です。

自分は、自分の気持ちが強すぎてくもを病院でひとり寂しく逝かせてしまいました。早朝にくもが逝く直前、最後の力を振り絞って立ち上がりひと声鳴いたと先生から聞きました。「(みんなが待つ家に)帰りたかったのではないか、」と先生に言われたときは本当に涙が出た。

ハナ亡き後のくもとテツ(翌日くもは倒れて最後の入院へ)
※くもはハナ没3ヶ月後に後を追った

家で看取りか入院か。この判断は素人には難しすぎるし、かといって先生も断定はしないでしょう。結局よく相談して、家に引き取るタイミングは自分で決めるしかないのです。自分はくものときに失敗しました。でもその教訓がテツ、テン、みう、ルイの看取りへと繋がったと思っています。しっかりと看取ってあげること、これが保護者としての最後の務めなんですね。

もし、くもともう一度暮らすことができたなら、今度こそ哀しい思いなんて絶対にさせないのだけど、まさに後悔先に立たずです。


くも最後の写真(この時は「じゃまた明日」と言って別れた)
※くもは翌日の早朝に亡くなりました

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くも(雲)がいた時代

2018年02月21日 | (故)くも
1月30日はくもの命日でした。
でも思い出に浸る間もなく、あっという間に3週間が過ぎてしまった。ノラの相手をしていると次から次へと変化が起こって、落ち着く暇もありません。しかも出会いと別れの連続だし、その一匹一匹に情が移ればいちいち気になって、余程の信念とタフなマインドがないと続かない。保護活動のボラさんたちにはただただ敬意です。

              
               わが家に来た頃のくも(隣はハナ)

自分も自己流ではあるけど実際にノラ保護を試みて、その大変さが身に染みています。単に物理的経済的に大変なだけでなく、誰のためにやるのか、ノラの幸せとは何か、といった倫理的な問題が常につきまとうからです。ノラは何も言わない。でも答えを出さなければ前に進めない。しかも保護活動を続けるその一方で横行する猫捨て。保護活動は、"やる気"を維持するだけでも大変なのです。

その反面、それまでは単なる"ノラ"だった存在が、実は人間と同じように心を通わすことができて、その一匹一匹に人生(猫生)があることも知った。そして、彼らには悪意とか邪心というものがない、とてもピュアな存在であることに感動すら覚えるのです。

ネットで調べれば、猫が嫉妬したという話は山ほど出てきます。人間と同じでとんでもない焼きもちの持ち主だと。でも、それは如何にも人間的な見方なのかもしれない。何故なら脳科学者や動物学者によれば、猫には罪悪感、嫉妬心、憎しみ、羞恥心、それに貪欲といった感情がないのだそうだ。

そもそもこんなことを調べ始めたのは、みうや黄チビを追いかけ回すニャーが、イエチビからは逃げ回ったその違いと理由を知りたかった。みうを追い回すニャーの行動が、妻には"焼きもち"に見えるらしいのです。

そんなこと考える必要もなかったのが、くものいた時代だった。
くもが家に来たときはハナとテツがいて、それに文太(ワンコ)もいた。くもが来て5年ほどの間に文太がガンで亡くなり、3人の子供たちが家を出たのでその後の10年は夫婦と3匹の暮らしでした。くもが晩年になるまで、夫婦にはそれぞれ仕事があって夜も遅かった。

              
                     くも1才の頃

そんな事情で、ニャンコたちの世話はあっさりとしたもんでした。トイレは3匹でひとつ、食事も一緒で1日2回限定。ただし夫婦の食事の時間は3匹の無心に負けて、わざわざ塩抜きを用意するほど甘やかしてました。まあ、食事の相手は多い方が楽しいので。

その3匹の関係については、保護者が気を遣ったことは一度もなかった。くもはわが家に来たその日から先住2匹にやさしく迎えられ、そして慕った。そのうち殆どの時間を2階の和室で過ごすようになっても、他の2匹との交流は続いた。とにかく平和で穏やかで手も掛からなかったので、ニャンコなんてそういうもんだと思っていたのです。

              
              くもとテツ(2階の和室にて、くも13才)

でもそれは結局、くもやテツやハナが他の世界を知らなかったというだけなんだよな。3匹がニャーやみうのようにもっと広い世界を経験していたなら、きっとわが家での生活も違っていただろう。彼らが外界を知らなかったおかげで保護者は楽できたけど、彼ら自身はそれで幸せだったのだろうか。その答えは、ニャーとみうがこれから出してくれるのかもしれません。

今回は取り留めのない内容ですみません。でも、このところお世話しているノラたちの行く末を案じて神経を擦り減らしていたので、くもの命日をきっかけに多少なりとも充電することができました。

              
              最後の入院する2週間前(くも15才)

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ネットに蘇る若き三匹 ~アルバムのデジタル化~

2017年07月19日 | (故)くも
今では、昔の人たちを称して「昭和の人」なんて言うようになりました。
自分は押しも押されぬ「昭和の人」なので異論はないですが、昭和の最後に生まれた人はまだ30ですから、ちょっとかわいそうな線引きです。

昔のイメージって何故かいつもセピア色なんですが、これって昔の写真がセピア色に変色したからなんでしょうか。今の人はデジタルだから、パソコンやUSBメモリあるいはネットで保管したり。セピア色なんてイメージはないかもしれませんね。そうそう、あの分厚いアルバムも昔の話。 随分時代も変わったもんです。

このブログを始めて、かつてわが家を賑わした三匹のことを時折書いてます。でも写真はいつも三匹の老年時代ばかり。ブログに貼れるようなデジカメ写真がないからです。わが家では結構最近までアナログカメラを使っていて、おかげで分厚いアルバムが何冊もあります。そのうちの一冊がニャンコ専用のもの。

もうひとつ問題がありまして、三人の子供たちがが中学生になった頃から記念写真が激減し、途中10年くらいの間は(結婚式などのイベントを除いて)写真が殆どないのです。特にニャンコのアルバムは、その10年間が完全に抜けてました。

てなわけで、今は若きニャンコたちのアルバム写真を少しづつデジタル化しています。
方法は簡単。アナログ写真をプリンターでスキャンしてパソコンに取り込むだけです。店の高性能プリンタを使わなくても、わが家の安々プリンターでも十分見れます。

            
      若かりし頃の(左から)ハナ(7才)、くも(7ヶ月)、テツ(2才)

こんな写真を見て懐かしいと思うのは関係者だけで、普通の人から見ればニャンコはみなかわいい、ただそれだけのことなんだろうけど。じゃあどうしてこんなこと書いてるのかと言うと、まだニャンコとご縁のない人たちに、ニャンコと暮らせばこれだけ癒されて幸せになれるんだということを伝えて、それで新たな縁ができれば、人にもニャンコ(特にノラたち)にも幸せになってもらえる、そう願って止まないからです。

まあ、思い出に生きるってのは年寄りの特権?ですからね。

              
              くも(5ヶ月)、わが家に来た頃

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2017年06月05日 | (故)くも
騒動の後は私の部屋で暮らすことになったみう、まだまだ警戒心の塊ですが、たまにベットの上でくつろいでいる姿が。そんなみうを見ていると、やはり私の部屋を根城にしていたくものことを思い出します。

雲・・・いつもひらがなで書いてますが正式な名前は漢字の「雲」。子供たちが付けた名前で、その由来は写真を見れば一目瞭然。(色が雲) ハナより7才下、テツより2才下で、生まれて間もなく3番目のニャンコとしてわが家にやってきました。

          
         プレーリードッグスタイルが得意だったくも

くもは、自分(私)と接している時間が一番長かったニャンコだと思います。何しろ冬も夏も寝るときはずっと一緒だったので。家に来た当初はテツ同様にハナを慕っていたくもが、ハナと袂を分けて私の部屋で暮らすようになったのは2年ほど経ってから。それからくもは、その生涯の殆どを私のベットで過ごすことになるのです。

ただ、私の部屋は3匹が憩いの場としていたベランダや屋根への通り道。他の2匹も頻繁に出入りしたので落ちつかなかったと思います。袂を分けてもハナと仲が悪いわけではなく、食事はいつも一緒、トイレは結局、最後まで一つを3匹で共用していました。

          
   3匹の仲のよさに、当時はニャンコってそういうもんだと思っていた
             (左からくも、テツ、ハナ)

くもが10才を過ぎた頃は(17才になった)ハナがあまり2階に行かなくなって、♀ニャン2匹は食事とトイレ、そして散歩のとき以外は殆ど別々の暮らしとなりました。テツはその2匹の間を行ったり来たり。

          
           とにかくいつも私のベットにいたくも
            (フリーのテツが頻繁にお邪魔に)

テツが若い頃はくもにじゃれかかって追っかけ回すことがしばしば。そんなとき小柄なくもは子供部屋(今は空室)のベット下に逃げ込んだ。当時のテツは大きくて入れなかったけど、晩年になって激痩せし、強制給餌を嫌がって今度は自分が逃げ込むことに。実はこの場所、今はニャーに追われたみうが逃げ込んでいるのです。

くもは殆ど鳴かない静かな子でした。よく聞けばだみ声のくも。鳴くのはよほどお腹が空いたときか、(リードで)外にいて中に入りたくなったときくらい。テツにしつこく絡まれたときは「シャー」も。

そんなくもが、10才を越えて間もなく甲状腺機能亢進症という病魔に侵されてしまいました。この病気はやっかいで、初めは一見元気に見えたりしてなかなか気づき難い。でも確実に痩せていき、病気が進むと食べなくなります。くもは早めに投薬開始したがそのせいか今度は腎不全を併発、さらには重度の黄疸症状が。先生によれば肝臓にも問題があるとか。

晩年は薬漬けだったくも、でもいつも静かで柔和な表情で、目立たないけど傍にいるニャンコでした。くもが15才になってハナが亡くなり、1階に居を移した頃、低温やけどで両肘を負傷したことがあります。毎日殆ど動かずにホットカーペットの上にいたためです。病院で先生に言われるまで、やけどだとは思いませんでした。

          
     やけどと診断された痛々しい傷にもくもは無頓着だった

今にして思えば、その頃のくもはいつも物悲しい目をしていた。何か訴えたいことがあったに違いない。それに気づかなかった保護者は最悪だった。ハナが亡くなってから3ヶ月、くもは後を追うように逝きました。そして保護者の後悔が山のように残り、それは今でも続いています。

          
         くも、倒れて最後に入院する2日前の表情

ガリガリに痩せて入院してもなお、戻ってくると信じて疑わなかったアホ保護者。そんな保護者を責めるどころかいつもやさしい眼差しで見つめていたくも。病院で(結果的に)最後の対面となった折に、自分に気づいて力を振り絞って立とうとした。くもの意識はしっかりしていたのだ。でもその翌日の早朝、くもは独りで逝きました。後で宿直の先生から、夜中に何回か鳴いて立とうとした、と聞いた。帰ろうとしたんじゃないかと。

          
       「頑張れよ、また明日ね」と声をかけたのだが・・

くもはその名のとおり、これまでの私の人生における15年分を、浮雲が流れるが如く通り過ぎていったニャンコでした。



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屋根とニャンコ

2016年12月12日 | (故)くも
ニャンコは何故か高いところが好き。
ニャーが屋根にいる姿を見て、かつてわが家で暮らした3匹にとってもベランダと屋根が憩いの場だったことを思い出した。 ベランダは陽だまりだし、屋根は、やっぱり爽快なんですかね。

      
         ベランダの柵の上でまどろむハナ(17才)
          当時は建屋と一体型のベランダだった

      
          屋根上のくも(10才)と皇帝ダリア



しかし屋根は危険と隣り合わせ。
あれはくもがわが家に来て1年くらいのことだったか、屋根から落ちたとの連絡が。そのときはベランダへの窓を開けたまま家族全員出かけてしまい、帰ったとき、家の脇で足の使えないくもがうずくまっていたそうです。
そして病院へ。 診断は後ろの左足捻挫、右足大腿部骨折。

後足にシリコンの棒を埋め込んで固定するという大手術を行い、一時はどうなるかと思いましたが、くもは奇妙な座り方になったものの、結果的に普段と変わりない生活を送れるようになりました。 いやあホント、ドクターXじゃないですがお医者さんってすごいですね。

でも、こちらは保護者として失格です。
ニャンコは保護者を選べないけど、もしくもに聞けたら、「他の家に行った事ないからわかんないよ」とか言ったりして。ニャンコはみなやさしいから。


愛情だけじゃだめなんだな、とか、くもは本当に保護者にいろんなことを悟らせてくれたニャンコでした。

          
            くも14才、このときはまだ元気


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