いえ、忘れられないわが家の子です。
生まれてすぐにわが家にやってきたくも。2匹の先輩(ハナとテツ)に暖かく迎えられたが、2階のオジン部屋を根城にしてその一生を過ごした。なので寝るときはいつも自分と一緒、おそらく接した時間は一番長いニャンコでした。
くもへの思いはカテゴリーの過去記事「くものこと」や「雲」に書いたので、ここではあまり触れません。何故忘れてはならないのか、そして忘れられないのか。それは悔恨と自戒と、強い後悔があるからです。くもを失って以来今なお襲ってくるこれらの感情を通して、自分はふたつのことを学びました。
わが家に来た頃のくも
1.愛情は最も大切なことだが、愛情だけでは幸せにできない。
人間だってそうです。本気で自分の想う人に幸せになってほしかったら、まず自分が強くなる必要があるし、無知では強くなれません。ましてや相手はネコ。まず彼らの身体的、行動上の特性を学び、病気や疾患それらの症状についても学ぶことが保護者にとっては必須事項なのです。可愛がるだけでは幸せにはできません。
ネット時代の今は学ぶことも簡単にできる。ひとつポイントは、殆どの関連サイトが猫の行動特性として野生の猫を引き合いに出していること。確かに同じ遺伝子を持ってはいるが、人に関わらない野生の猫は家猫とは違います。例えば野生の猫は薄明薄暮行動性だけど、家猫は人の生活に合わせて昼や夜に行動する。何より違うのは人に信頼を寄せること。人間社会で暮らすノラも家猫と同じだ。
身体の具合が悪いとき、猫はじっと耐えるしかない。そのとき彼らの表情はとても穏やか。その表情に安心して激ヤセで動かなくなったくもの深刻さに気付かず、目の前でばったり倒れるまで放置してしまった後悔は、くも亡き後5年経った今でも引きずっているのです。
晩年のくもは何かを訴えるように保護者を見つめることが多かった
2.相思相愛とは? 保護者命のネコの気持ちを大切にする。
ペットロス症候群は今や社会的な精神疾患だ。自分にも経験があるからその悲しさはよくわかる。しかし、その逆はあまり語られない。保護者を失ったネコだって悲しみと不安に襲われるのです。迷子になった2歳くらいの子供の様子を思い浮かべて下さい。ただ猫は、子供のように人に伝えることをしない(できない)だけです。
一度信頼関係を築けばどんな猫だって保護者命になる。それを理解すれば保護猫の里親探しだって好奇心の強い子猫のうちか保護して間もないうちにしたいし、不慮の脱走で迷っちゃったネコちゃんがどんなに寂しく不安なことか。相手の気持ちを慮るという基本的なことを忘れないようにしたいのです。わが家にも経験があるけど、くもに教わった教訓があればこその対応ができた。もちろん今は不慮の脱走に細心の注意を払っています。
くも13才、テツ(右)15才、ハナ(奥)20才
それでも難しいのが終末期の支え方。一緒に暮らすニャンコが病気で終末を迎えた時、1日でも長く生きてもらいたい、できれば回復して元の生活を取り戻してほしいと思うのは自然なことです。だから医療にすがるのも当然。しかしくものように病状が深刻になってから来られても、先生からすれば自分は万能ではないと言いたいときもあるだろう。実際今の動物医療は対症療法が精一杯で、根本治療はできないと思った方がいい。
それで、非常に難しい判断を迫られることになるのです。なぜならネコちゃんは最後まで保護者と一緒にいたいから。つまり、保護者にしっかりと看取ってほしいのです。このネコの気持ちは、少しでも長く生きてほしい(病院で手当てしてほしい)と思う保護者の気持ちと相反する。相思相愛なるが所以です。
自分は、自分の気持ちが強すぎてくもを病院でひとり寂しく逝かせてしまいました。早朝にくもが逝く直前、最後の力を振り絞って立ち上がりひと声鳴いたと先生から聞きました。「(みんなが待つ家に)帰りたかったのではないか、」と先生に言われたときは本当に涙が出た。
ハナ亡き後のくもとテツ(翌日くもは倒れて最後の入院へ)
※くもはハナ没3ヶ月後に後を追った
家で看取りか入院か。この判断は素人には難しすぎるし、かといって先生も断定はしないでしょう。結局よく相談して、家に引き取るタイミングは自分で決めるしかないのです。自分はくものときに失敗しました。でもその教訓がテツ、テン、みう、ルイの看取りへと繋がったと思っています。しっかりと看取ってあげること、これが保護者としての最後の務めなんですね。
もし、くもともう一度暮らすことができたなら、今度こそ哀しい思いなんて絶対にさせないのだけど、まさに後悔先に立たずです。
くも最後の写真(この時は「じゃまた明日」と言って別れた)
※くもは翌日の早朝に亡くなりました