今日も元気で頑張るニャン

家族になった保護猫たちの日常を綴りながら、ノラ猫たちとの共存を模索するブログです。

サクラ耳になったレオ ~地域猫活動TNRの意義を問う~

2019年09月29日 | レオ(テンチビ)とココ
レオが去勢手術を受けました。無事に終わって只今養生中です。
今回は初めて耳カットをお願いしました。で、引き取りに伺ってびっくり。なんと左耳をカットされていた。こっちが驚いて先生も気付く有様でその後は平身低頭。手術前にあれほど♂だから右だと確認したのに・・。かくしてレオは、"おかまちゃん"になったのでした??

左サクラになっちゃったレオです

レオの耳カットには迷いました。将来レオをどう処遇するのかという判断の結果だったからです。家に保護して里親さんを探すといっても、どうしても入と出の帳尻が合わないから家の中が増えていく。最近家の中で起こっている諸問題を鑑みても、もう限界にきていることは明らかだった。だから外で暮らせそうな子は何とかそのまま引っ張ろうと。でも外で暮らせるという判断って、何だろう。これは自分の都合じゃないし選り好みでもないと、果たして胸を張ってレオに言えるのだろうか。

もともと自分にとって、地域猫とかTNRの概念は理解できても何かしっくりこないでいました。いい悪いの話より何より、それが当のノラにとって幸せなのかという根本の部分で懐疑的だ。Tについては、子供の頃親の田舎(実家)でねずみ捕りごと水桶に沈められたねずみを発見した。誰もいない納屋で、そのねずみはもがき苦しみながら、水中から澄んだ眼で必死にこっちを見ていた。そのねずみを逃がしてやって以来、罠という仕掛けを憎むようになりました。Rについてはかつてイエミケ(今のリン)で一度経験したが、結局直ぐに再び保護してしまった。

手術前のレオは休憩室で寝るほど店の一員になっていた

行政やボラ団の人たちがTNRを提唱する理由は「将来不幸になる子供たちを作らせない。」 その主旨にはもちろん賛同だけど、肝心の当の猫にとってどうなんだろう。手術のリスクはもとより、Rされても気が動転したり不安になったりでどこかに消えてしまう例もある、と病院の先生は言った。だとすれば当のノラにとってはまったく迷惑な話。そもそも将来世代に借金を回したり地球を破壊しながら今の文明を享受する現代人に、相手が猫とはいえ子孫のためにリスクをとれなどと言う資格があるのかな。結局、ノラを減らしたいという人間の都合に基づいた行動ととられても仕方がないと思うのです。

手術翌日は1日事務所で静養

しかし不妊手術は、やはり行うべきだと考えるようになりました。それはシャッポと付き合っているときにさんざん考えさせられたこと。「ノラの矜持」や「ノラの本懐」で書いてきたように、ノラには命にも優先させる"野生の本能"がDNAにインプットされていて、命を賭したり安定生活を突然反故にしたりするのはそのためだと思えるからです。それを実行させるのがホルモンだ。もしシャッポを手術してホルモン分泌の元を断っていたら、彼は全てが揃った天国のようなこの店を後にすることはなかったかもしれない。

少しづつ店内に復帰(まだリード付)

レオの手術は最初から決めていた。でもRというのは考えた末の決断だった。放任主義というか本人(猫)の意思をとことん尊重する妻はもとより、スタッフの殆どがこのまま店で過ごせればと希望していた。でもチビのように不慮の事故に遭ったりシャッポのように消息を絶ったりしたら・・。それに先生が言ったように、この店でRしてもこの店にとどまってくれるかどうか。いずれにしても、少なくとも3日(できれば10日)は経過観察をできる状態にするというのが先生の助言だった。糸を使わない縫合なので傷口が開いてしまう可能性があるのです。

病院から帰ったばかりのレオにはまだ麻酔が残る

ということでレオは今、事務所で安静に過ごしています。希望としては、まず第一にレオが本能の呪縛から開放された新しい人生(猫生)を手に入れること。そして雑念なくこの店を住みやすい場所だと気に入ってくれること。終生面倒見て幸せになってもらうにはそれが前提だ。 決して、子孫を減らすことなんかじゃないんです。地域猫活動(TNR)の手術には賛同するけど目的は違う。あくまでも当の本人(猫)が幸せになることが目的なんです。手術後直ぐにRだなんてもってのほかだ。

レオの手術後のRを如何にうまく行うか。これからが本番です。ひとつひとつ確認しながら、レオの現場復帰をサポートしようと思っています。地域猫活動は、将来ノラが減ると言わないとなかなか賛同してもらえないという実情はわかります。でも何百匹というノラをTNRしたと自負するのではなく、そのノラたちの1匹1匹が幸せになったかどうかを問題にしてほしい。不慮の事故などいろいろあるから100%は無理としても、できる限り幸せにしそれを確認するという方策を優先してほしいのです。

駐車場もちょっと散策(元の生活に戻る日も近い?)

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伝説の看板猫

2019年09月27日 | ニャー
ニャーのことです。今日はニャーのおしりがこそばゆくなるような話。
このところいろいろなことがあり過ぎて7月以来の登場となったニャー。リンやクウを追いかけては怒られてるニャーですが、オジンの移動に合わせて部屋を変え、夜は同じベッドの枕元で寝るのも相変わらずです。表情が随分穏やかになって、かつてのようなストレスフルな状態からは開放されたようで何よりだ。

さて店ではまだ用土棚が倒れたままですが、何とか通常営業に戻りました。猫好きの常連さんたちもレオの様子伺いに顔を出してくれてます。かつてのスタッフ2人が復帰して、お客さんも含め思い出話に花を咲かせたり。そんなときよく出るのがニャーの話なんですね。ニャーが店にやって来たのはほぼ4年前。その1年後に僚友シャッポの乱心でわが家に保護された。ニャーを知らない2人のスタッフに、周りが話して聞かせるパターンです。

店時代、SCの草むらで遊ぶニャー

2年ほど前にも、「思い出に生きる・・ニャー」という記事で同じようなことを書きました。あれから2年経ってもまだ思い出してもらえるのだから、ニャーは本当に幸せ者です。しかも特筆すべきはそのどれもがベタ褒め。現役時代(店時代)もファンの多かったニャーですが、それにしてもどうしてニャーはそんなに人の心をつかむのでしょうか。

レジカウンターでお客さんを迎えるのが好きだった

ニャーを知るスタッフの印象を要約すれば「利発な平和主義者。」 ニャーが店に来たときは既に通いの常連ポンがいた。ポンはニャーを追い出そうとしたけど、ニャーはさりげなく交わして大事に至ることはなかった。当時ポンは1才、ニャーは1才半くらいだったか。どちらも人馴れしていて、ポンのベタベタに対してニャーは対等を望むといった感じでした。やがてボスキャラのダイフクが現れてポンは来なくなった。多分どこかにお迎えされたのだと思います。ニャーはと言うと、ダイフクの到来をいち早く察知して高いところに隠れるやり方で難を逃れた。


箱でくつろいでいたらポンが来て固まるニャー(事務室にて)

確かにニャーは優れた看板猫でした。店のレジカウンターの脇でくつろぐことが多く、お客さんに撫でられると眼を細めたり甘え声を出して挨拶する。しかしお子さんやちょっと危なそうなお客さんが来ると、いつの間にか消えているのです。さりげなく消えるので嫌味がなかった、とスタッフのOさんは言います。店での生活も安定して気遣う必要もなかった。お客さんにはベタベタしないけど、呼ばれるとちゃんと振り向いて挨拶した。

高いところから文字通り「高みの見物」(BYにて)

ニャーのそういった行動はわが家でも同じ。そのうち、その行動の原点が彼特有の観察力にあることがわかってきた。(2018.2.25「観察する猫」参照) ニャーは人間でも猫でもとにかくよく観察する。そして、何かを読み取ろうとしているのです。だから彼は、どんなに怒られても他の猫におしおきするときも、いわゆる"見切り"ができるのです。(「こんなもんかな」ってやつ。) ニャーがクウを追いかけるとき、クウが廊下に出ると部屋の方から先回りして待ち伏せする。何だか人間のように頭を使う猫なんです。これも、彼の観察力の賜物なのかもしれません。

今年の正月は病院帰りに店に立ち寄ってスタッフに再会(事務室にて)

そんなエピソードはまだまだありまして・・・あっ、いつの間にか自分までがベタ褒めになってました。いやどうも、親バカ丸出しで失礼いたしました。

わが家にて:やっぱり高いところが大好きです

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ブログ3周年の決意「出会いと別れ、そして守りたいもの」

2019年09月23日 | ご挨拶・解説・お知らせ
このブログを始めた3年前の今日
家にはまだ旧3匹組のテツがいて
家裏にはソトチビとおかあさん(その後にみうと改名)
店にはニャーとシャッポ、そして当時は敵役だったダイフクがいた
チビが亡くなって、店の3匹時代の終焉がブログを始めたきっかけだった
今傍にいるのはニャーだけ、みんな離れていきました
その気立てのよさと奥ゆかしさが忘れられないみうを
家に迎えてあれだけ幸せにすると誓ったのに
先月亡くしたことは今も哀惜の念に耐えません

一方多くのノラたちと出会い、ご縁ができた
出会って別れた一見さんたち
ちび太やリンとその息子たち(キーとクウ)は今も一緒
イエチビやテリーやハリー、それにキリンちゃんは新しい家族のもとへ
ご縁に恵まれないシロキやチキンも家の子候補かな
このブログの中で出会いそして6月に慢性腎不全で亡くなったテンちゃん
2年半と短かったけど、店の看板猫としてとっても親密な付き合いだった
そのテンちゃんの遺志を継ぐレオは、目下看板猫修行中です

外ノラたちも時代は変わり
家裏ではルイにサクラ、そして黄白くんが健在
お店のモドキはまた少しお休み中かな
先週にはとっても懐かしい
1年4ヶ月ぶりになるミセミケとの再会がありました
シャッポやソトチビ、それにダイフクたちもどこかで健在なのかと思わせる
とても意義のある再会でした


思い出のニャンコたち:(左から)みう、テン、チビ

猫たちの世界にいると
その真っ直ぐな心根と決して裏切らない情の深さが清々しい
外資系企業で権謀術数にまみれた垢が
一気に洗い流される思いだった
猫たちには欲がないし他者と比較することもないから
お金も財産も名声も権力も求めない
人間のように、不必要に他者を傷つけることは絶対にしない
自然を破壊したり地球を破壊したりすることもない
いったいどっちが高等動物なんだろうか

猫に限らず、動物たちは運命に逆らわず自然に逆らわず
今を大切に生きている
死を恐れない、ということではない
だが彼らには死よりも大切なものがある
彼らが死を賭してでも守るもの
それは人間が、いつしか忘れ去ったもの
 

わが家のニャン歴史:(左から)ハナ、テツ、くも

トシを重ねるにつれ
もう人間社会はいいやと思うようになってきた
猫たちの澄んだ世界で余生を過ごしたい
でもそう思うと
彼らの大変さが見えてくる
彼らの暮らしを脅かす人間の存在です

人間の欲で勝手に仲間が売買され遺棄され
謂れもないのに目を覆うような凄惨な虐待を受け
何も悪いことしてないのに殺される
いつ自分の番が来るかもわからない
彼らはそんな理不尽な運命にも従順に
懸命に今日を生きている
そして人間を恨むこともなく、逆に人間に期待する
良き人生(猫生)のパートナーになろうよと

だから、決めたんです
こんな平和主義者の猫たちが明日をも知れない生活から開放され
人間と共存して暮らせるように
及ばずながらではあるけれど
自分の余生を捧げようと
 

行方知れずのニャンコたち:(左から)ソトチビ、シャッポ、ダイフク
 
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サバイバルゲーム (台風15号の爪痕)・番外編

2019年09月21日 | その他(分類なし)
東電の復旧作業の関係者、作業の応援に駆けつけて頂いた方々に感謝を込めて

(前後編より続く)
停電が解消してから10日が経ち、当家では猫たちも含めすっかりいつもの生活に戻りました。しかし千葉県では21日時点でまだ2万世帯が停電、2300世帯が断水しています。報告漏れの被災者の方もいるようだし、完全復旧までは少なくともあと1週間はかかると言われている。ただ少し救われたのは、当家に電気が点いた11日の午後になってようやく西風が出てきた。翌日には北風となって真夏日が解消した。さらに13日の金曜日にはすっかり秋の気配が漂って、朝晩は冷え込んだほどだった。熱中症の危機に直面していた被災者の人たちがどれだけ救われたか、まだまだ予断を許さないが、天は被災者を見放してはいなかった。

ニャー(右)とちび太

お店は再起不能かと思われるほどの被害を受けたけど徐々に復旧、倒れた用土販売棚と壊れたフェンスを除いて外観上はほぼ元に戻りました。スタッフの努力の賜物です。本当に人間の力というのは素晴らしい。一方商品である植物は壊滅状態。今は仕入れを繰り返して補充を急いでいます。自分が担当している庭木類はほぼ植え直した。しかし温室の植物たちは植替えたばかりの鉢が多かったので木が抜けてしまい、さらに困ったことにラベルが飛んでしまった。樹種なら見分けがつくが、品種までとなると苗木を見ただけではわからない。とりあえず植え直して、さあこれからどうするか悩んでいます。用土棚の復旧もまだ時間がかかるらしい。手の空いた業者がいないのです。

スタッフの家も停電は復旧し、今は通常のシフトに戻っています。ただ、連絡のつかなかった隣町のスタッフは大変なことになっていた。あの猛暑の2日間電気と水が使えない中、母上の様子がおかしくなり救急車で運ばれた。熱中症で一時は危篤状態と言われたが、今週になってICUを出るまでに回復した。ただ、病院の要請で今も家族が交代で付き添っていると言う。これまで3名の停電熱中症死亡者が報道されているが、その直前で生死の間を彷徨った人は何人もいたのに違いない。

リン

先日のニュースで、ワンちゃんニャンちゃんと離れられないから避難所に行けない人が多いと。これまでも災害のたびに繰り返される報道だけど、何とかならないものだろうか。ペットは家族などと言いながら、いざとなれば器物の扱いをする。人間はいったいどこまでエゴを剝き出せば気が済むのだろうか。役所の人たちにはもう少し血と心の通った災害対策をお願いしたいし、メディアには、もっと問題提起を促したい。

家に電気が戻った11日は1日中各局テレビの報道番組を見ていた。全国区4局がそれぞれ朝昼夕方に夜、それにNHKニュースを加えれば1日に20番組くらいのワイドニュースがある。チャンネルを変えながら観ていると、各番組が付和雷同的に同じ場所で現地中継していることがわかった。おいおい、千葉県はそんなに狭くないんだがな。さらに観ていると、言っていることまでみな同じ。まあ、同じ問題を報じているのだからやむを得ないとは思うけど、例えば「どうして(復旧に)こんなに時間がかかるのか」というタイトルは、20ある各番組が5日間くらい延々と続けたのです。うーん、進歩がないというか何というか。しかしその話を妻にすると、いともあっさりと「そりゃそうよ」と言われた。そもそも時間帯によって観る視聴者が違うのであって、それらを全部観る暇人なんていないというわけだ。そう言えば、長い番組では放送の中で同じ話を何度も繰り返していた。それも報せる相手が違うということか。

それにしても、「当番組独自の」とか「当番組がスクープした」とか言いながら、各番組とも同じものを放映している。ホントに懲りない人たちだと思います。一方解説者や知ったかコメンテーターの東電非難は相変わらずだった。復旧作業や被害状況の把握が遅れる原因が道路を塞いだ夥しい数の倒木にあることは、11日には東電の報告でわかっていた。なのに「誤算だらけ」「想定できなかった」と東電を非難する。彼らの情報の源は東電からの報告で、それにケチをつけているだけ。被災者にとっても東電にとっても何の足しにもならないのです。

ツインズ:キー(下)とクウ

11日には県知事も千葉市長も東電非難の声明を出した。あの東北大震災のときもそうだが、東電を非難できるのは被害を受けた人たち、つまり被災者だけだ。専門家も政治家も役人も報道関係者も、原発は危険だから直ちに止めろと声を大にして訴えていた人以外は、東電と同じ穴の狢(むじな)じゃないか。それがいつの間にか被災者の側に回って東電を非難する。それと同じ構図が今回も繰り返されたのです。自衛隊の出動要請は県知事の権限。千葉県知事は被災者支援に対する自衛隊出動要請を10日に行ったが、倒木撤去に対する出動要請は11日に行った。東電からの報告があるまでわからなかったのだろうか。

知事さんも市長さんも、東電を非難している場合ではなかったはずだ。何故なら被害状況の把握は首長さんの第一義的な義務だからです。県は把握のために何を行ったのか。東電からの報告を待っていた? 県や市が早い段階でヘリを飛ばすなりドローンを飛ばすなりして状況把握に努めたら、東電の復旧工事はもっと早く進んだかもしれない。東電だけではない、他県からも応援に来てくれた電気復旧のプロたちが、倒木の処理に追われてしまったのは反省点とすべきだと思うのです。報道も同じ。独自の能力を駆使して被害状況の把握に努め、東電にフィードバックすることこそ被災者第一の行動ではないのか。「動物愛護とメディア批評」で書いた、あのダイアナ妃を見殺しにしたパパラッチの行動と相通ずるところはなかったか。この点に関して県知事やニュース番組(特ダネ)から反省の弁が聞かれたのはまだ救われるが、それは18日のことだった。

実は今回の災害では東電自体も被害者なのです。何故ならあの夥しい数の倒木には必ず所有者(その土地の所有者)がいる。その所有者にはもちろん管理責任がある。民法でも他人の土地の樹木を無断で破損(剪定、伐採など)することは禁じられています。さて、「想定できなかったのか」と東電を非難した解説者たちは、どういう想定と事前対策を提案するのか。民間企業である東電に法律を強化しろとでも言うのだろうか。後になって、溝腐病という幹を空洞化させる病気を放置したことが広範囲倒木の要因だとわかってきた。これも東電の責任なのか。自分は東電とは無縁の人間です。しかしこのような公共の電波を通しての無知無責任な他者批判は、「動物愛護とメディア批評」で書いた戦時中国民を欺き通し何人もの人身御供を創り出したあの地獄の放送と同質なのです。

シロキとチキン(右)

今回の災害はまだ終わっていません。お店の用土棚もそうだが破損した家屋や施設の修復目処は立ってないし、まだまだ停電や断水の世帯も多い。県の中央を横断する久留里線は昨日時点で全面運休、小湊鉄道は部分営業だ。生活の不便は続きます。しかし今週には災害復旧ボランティアの人たちが集まりだした。本当に有難いし尊い行為だと思います。そして忘れてはならないこと、被災地域では被災者と一緒に暮らしていた、あるいは何らかの形で関わっていたワンちゃんニャンちゃんも一緒に被災していることです。既に一部の保護ボラ団体が動いているようだけど、ここはひとつ、我々全員が"人間愛"というものの真価を発揮する時なのではないでしょうか。

店:倒れた用土棚とレオ

※今日は台風17号が沖縄に来襲。4万世帯が停電していると報道されています。一刻も早い復旧と、被災者の方々の無事を心より祈っております。

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サバイバルゲーム (台風15号の爪痕)・後編

2019年09月18日 | その他(分類なし)
東電の復旧作業の関係者、作業の応援に駆けつけて頂いた方々に感謝を込めて

(前編より続く)
その日は前日にもましてむさ苦しい朝だった。相変わらず無風で、8時には庭の温度計が30℃もあったと後になって妻が言った。自分は外のざわめきで目が覚めた。暑くなる前にと数軒の家前で道路の掃除をしていたのだ。端に寄せてあった大枝を庭に取り込み、あらかたの掃除をする。妻もわが家の前の大枝を回収して庭に積んでいた。今日こそやらねば。そう決心しながら猫たちの様子をチェックしていると、勝手口の外でルイの声がした。中の猫たちは食欲がなさそうだがさすがは外ノラ。台風一過の前日でさえ午後にはルイ2回、夜にはサクラもやって来てその無事が確認できた。

ルイには冷蔵庫にあった缶詰の残りとカリカリを出した。しばらくして見ると、ご飯には手も付けずルイがいなかった。あの食いしん坊のルイが食べない? やがて再びやって来たルイに中の猫たちの食べ残し(新しい缶詰)を出すとペロリと食べた。やはりそうだ。暑さで冷蔵庫の中のものが痛んでいる。結局開封したものは全て捨てた。牛乳は未開封のものも捨てた。人間の食べ物は昨夜に続いてパンだけ。水とガスは出るがラーメンはさすがに暑い。猫たちにはカリカリ主体に与え、ウェットは残さないようにやった。

ニャー

その日は早めに店に向かう妻を送ることにした。目的は車の確保。車があれば冷房もテレビもあるし買出しにも行ける。店までの道中、昨夜は帰宅して直ぐに寝てしまった妻と話す時間ができた。ガーデンセンターと言っても10人ほどのスタッフが交替でやりくりする小さな店だ。そのうち4人の家が停電中。隣市のスタッフは断水も。家屋一部損壊のスタッフが1人。電車が動かず店に来れないスタッフが1人。連絡のつかないスタッフが1人。結局前日は4名のスタッフで後片付けに追われた。まさに地獄だったと言う。作業時間を20分以内と決めたがそれでも気分が悪くなったり吐いたり。クーラーや冷飲料があっても熱中症との闘いだったのだ。今日は3人しか来ないらしい。ワンちゃんニャンちゃんがいれば当家と同じで停電の家を空けるわけにはいかないのだ。いつになったら片付くのやら、妻はぽつりと呟いた。

店までの道のりは通勤ラッシュと反対方向なので普段なら15分もかからない。しかしその朝は道路が異様に混んでいた。特に上り車線には車がぎっしり詰まって殆ど止まっている。JRも京成も電車が動いてないのだ。そのうち下り車線も渋滞で動かなくなった。自分も店を見たかったが、妻は途中で車を降り歩いて店に向かった。自分はわき道を駆使して家に戻ったがそれでも1時間以上かかってしまった。

ちび太

風がないとは言え、やはり家を閉め切っていると滅入ってしまう。室内温度は31℃を超えている。猫たちは昨日に続いて廊下のフローリングで伸びていた。自分は水風呂を頼りに庭仕事を始めた。昨日よりはましだが狂ったような日差しが肌を焼き付ける。20分ほど動いては水風呂に入る。ああ、やっぱり朝のうちにやっておくべきだった。とりあえずぶどう棚の仮補修、プルーンの半伐採と傾き直し、大枝の処分(細断)と木の葉掃除を行ったところで力尽きた。店での苦労がいやというほど理解できた。

リン

情報がないというのは本当にきつい。情報がまだ集まってないのだろう、朝刊には役に立つ記事がなかった。やはりテレビには負けるのかな。しかし車中で観た朝のワイドニュースでは、例によってしたり顔連中の雑言が花盛りだった。素人を自認するコメンテーターが被災者を慮るのはいい。でも知った風のレギュラーコメンテーターや"専門家"と紹介される解説者は、本当に箸にもかからない。彼らは一様に東電を非難していた。「想定できなかったのか。」「誤算だらけ。」 東北大震災のときもこんな連中が花盛りだった。要は事後なら何でも言える。じゃあ自分は何をしてたんですか? 今は何をしてるんですか? この連中は偉そうに上から目線で他人を非難するが、現実には役に立つどころか社会の害悪でしかない。先日の「メディア批評」にも書いたように、我々視聴者はこういった害悪を見抜く力を持たなければならない。残念ながら、これが今の視聴率優先のテレビメディアの現実なのです。

キー

ただ、夕刻にゲリラ雷雨があるとの天気予報には期待が持てた。暑い昼間に窓を閉めたくないので車への避難は最小限にする。しかし昼過ぎになって、電池を買いに出ることにした。ラジオが聞ければ少しは状況が改善する。あとどのくらい我慢すればいいのか、とにかくそれが知りたい。停電してない地域なら電池を調達できるかもしれない。家を出ると道は朝ほど混んではいなかったので、少し離れたホームセンター(HC)に出向いた。朝と違って昼の車内は冷房が効かない。熱気が冷房能力を上回って冷えた風が出てこないのだ。HCに入ると生き返った心地だった。電池を買って、しばらく特番を放映するテレビに見入った。するとショックな情報が。当地域の停電復旧は明日以降になるとのことだった。

1時間ほどHCにいたのだろうか。長居してしまったので帰りはどこにも寄らずに家に戻った。14時頃家に戻ると庭の温度計は35℃、昨日に続いての猛暑日となった。家に入ると室温は34℃。そして、限界を遥かに超えた猫たちの様子がおかしかった。後悔先に立たず。よりによって最も暑い昼八ツ刻に家を空け、1階の窓を閉め切っていたのです。風がなくても窓が開いていればまだ違う。てっきり猫たちは窓の開いている2階に集結していると思っていた。しかし実際は、日当たりが多く日差しの注ぎ込みも多い2階の方が暑かった。猫たちは1階の澱んだ高湿度の熱気の中で、息も絶え絶えになっていたのでした。特にキーとシロキがひどく、口を開けて息をしている。病院も考えたが、とりあえずタオルを水で濡らして一匹一匹包んだ。猫に被せたタオルが直ぐに温かくなるので、何度も水に浸して繰り返した。問題はキーとクウ。穏やかなときはすりすりしてくるキーも、一度警戒されるともう逃げ回って触れない。クウははじめから触ることすらできない。この2匹は、何とか耐えてくれと祈るように願うしかなかった。

クウ

その後は前日同様ひたすら水風呂で涼をとりながら地獄の暑さを凌いだ。ラジオのニュースが思ったより遥かに広範囲の被害を伝えていた。夕刻になっても雷雨は来なかった。妻は店を終えると間もなく帰って来た。店の車で帰宅し、明朝早く出なければならないと。配達が何件も重なったらしい。事前の約束なのでこんなときでも断れないのだ。夕刻にはどこの惣菜売り場も空で、午前中に買った弁当を店の冷蔵庫に保管しておいたと言う。自分には冷たいお茶が助かった。妻はその弁当も食べずに寝てしまい、暗がりの中、ひとりでお茶と弁当を腹に入れた。

夜になると車の冷房が効くので、前夜同様近くの野原に出たり水風呂に入ったりを繰り返した。夜も更けた頃、車の中にいると稲光が走って雷が鳴った。やっと来たか。雨がポツポツ来た頃家に戻って雷雨に備えた。が、雷は遠くに聞こえるばかりでこっちには来なかった。雨はお湿りにもならない程度。期待した風は少し吹いたが弱々しく、30分ほどで無風状態に戻ってしまった。そして再び動かない空気。その空気から水が滲み出てくるような高湿度。前夜と同じ息苦しさだったが猫たちは少し元気になっていた。温度計を見ると室内温度が29.5℃まで下がっていたので、雷は多少の効果があったようだ。この先どうなるのだろう。悶々としながら、いつの間にか2日目の眠りについた。

シロキ

翌朝、相変わらずの寝苦しさで目が覚めた。7時の気温は庭が27℃、室内(リビング)が28℃。熱帯夜ではあるが前2夜よりはましだった。ルイが妙に早く来たのでご飯を出し、中の猫たちのご飯を準備しているとき、唐突に電気が点いた。朝の6時頃のことでした。そして、当家における苦難との闘いは終わりを告げたのです。家の中の電気器具の点検を終え、帰りに食料を買い込んで来ると言い残して妻は早々に店に向かった。自分も明日からは店の作業が待っている。今日は本格的に後片付けに精を出そう。久し振りにリビングでテレビを観た。ニュースでは、その時はまだ50万以上の世帯が停電していると言っていた。断水や電話の繋がらない地域も沢山ある。被災者の苦難と心情が、痛いほど伝わってくるのでした。

チキン

(番外編へと続きます)
※わが家は11日の朝に停電が解消しました。しかし18日現在でまだ5万近い世帯が停電しています。番外編ではエピローグに加えて、今回の災害復旧や被災者支援の報道について書いてみる予定です。

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