九州旅行から帰ってきて、書きかけのブログ記事を完成させないといけないと思っていました。
昨日、朝、いとこから電話。着信時で誰か亡くなったとすぐにわかります。
だいたい、親戚が亡くなった時は、朝、電話がかかってきます。
夜の7時から通夜。翌日(本日)1時から告別式。
↓通夜
通夜は、大阪祭典のさる式場で、高野山真言宗のお坊さんが来て営われました。
山本家の親戚は、うち以外は、すべて、堺のあやんちょうにある真言宗のお寺にみてもらっています。
うちだけ、霊能者や吉相墓の先生の指示に従って、母の戒名を変えたので、絶縁されています。
法要後は、別室で会席。
本日は、午後1時から。まず、大阪祭典のさる式場で、法要。そして、成人男子により、棺桶を霊柩車に運びます。
霊柩車と言っても、昔風のものではなく、普通の車に見えるタイプです。
そして、マイクロバスに乗り込みます。行く先は、お決まりの瓜破斎場です。
お坊さんによる軽い法要ののち、焼香。そして、棺を焼却炉に。2時間後に、骨上げです。
再び、マイクロバスに乗り、すぐ近くの仏事料理専門店に入ります。
1階には、ズラリと、〇〇家 と書かれています。骨上げの間に利用する店だなあと思われました。
真新しい建物で、昔は、なかったので、最近できたものと思われます。
そして、会食。1時間半後にマイクロバスで、ふたたび、瓜破斎場へ。
そして、骨上げ。
そして、マイクロバスに乗って、大阪祭典のさる式場へ。
そこでは、ふたたび、初七日の法要が営われます。
その後、休憩室で、お茶をのみ休憩します。
いとこばかりと話しました。
山本家で、父の兄や姉は、父の兄(長男)93歳だけとなりました。後の兄弟・姉妹は配偶者も含めて、全員亡くなっていました。
昨日の通夜で、山本家の長男の家の長男(私のいとこ)に、和歌山の山本家のお墓の場所聞いておいてと頼んでおきましたが、本日の話では、痴呆が入っているので、聞いてもわからなかったと言われました。
ちなみに、山本家では、親戚の家を言うときは、すべて、地名で言うことになっています。
おばあちゃんのところは、針中野。長男は、金岡。長女は、和歌山。ほかに、鶴が丘、千里山、阿倍野、堺東など。ちなみに、うちは、湯里と呼ばれていました。
中野に住んでいるのにどうして湯里か。理由は、旧東住吉区(人口39万人)が、東住吉区(人口19万人)と平野区(人口20万人)とに分区された際、大規模な住居表示の変更があり、私の実家の住居表示が、湯里町から中野に変わってたからです。名付けられた時の湯里が引き続いて使われたからです。