昨日、図書館で何気なく手にとって読んでみた本。読み始めたら止まらなくなってしまった。上下巻あるのだが、あっという間に読み終わってしまった。ここ最近読んだ中で一番面白かった。
ただ、暴力的な場面が多いハードボイルド小説なので、そういうものが苦手な人は止めた方がいいかもしれない。
いわゆる純文学と言われる小説とエンターテイメント小説の違いについて考えてみる。
優れた純文学は、それを読むことによって読む人の今までの価値観を根底から覆す。つまり、それを読むことによって安定していた自我が揺るがされ、現状のままでいいのだろうかと考えさせられることになる。
それに対し、エンターテイメント小説は自分の価値観を脅かされることはなく、ハラハラどきどきしながら、ストーリーを楽しむことができる。
だけど、思うのだけど、この違いは相対的なものであって、純文学だからどうとか、エンターテイメント小説だからどうとか、の区別はどんどん無くなっていっているのではないかと思う。
ただ、面白い小説があり、つまらない小説があるだけだ。時間がもったいないから、どんなに価値があったとしても、つまらないものは読みたくない。
私は、何故ハードボイルド小説に惹かれるのだろうか。
主人公はたいていマッチョである。だいたいの主人公は一般的な人より頭がよく強い。だが、個人で行動するがゆえに危険に晒される。やはり、個人より組織のほうが強いのだ。だから、いつも、組織に叩きのめされ、常に危機的な状況にさらされる。
だが、まさしくそのこと、つまり、その危機的状況に立たされることが重要なのである。そのとき、主人公がどう振る舞うかが、問題になり試されているのである。
暴力は、単に恐怖を作り出す状況設定に過ぎない。恐怖の中で折れるか折れないかは、その行動するに至った動機による。自分の愛する人が危険に晒された時なのか、自分のしている時計を奪われようとしている時なのかで、全く違ってくるだろう。
私は、闇雲に前に進むのではなく些細な問題の時は退くのもひとつの方法だと思っている。しかし、ここぞというときに、どんなに困難に陥っても、それでも前に進んでいく男が好きだ。その男は、自分の命より大切なものがあるに違いない。
ハードボイルド小説はそういう振る舞い方を教えてくれる。
こういう物語を繰り返し読んでいるアメリカ人は、問題があるにも関わらず、強いなぁと思う。
ハードボイルドが好きな人にはお薦めする。
大弛小屋~北奥千丈岳~奥千丈岳~シラベ平~ゴトメキ~大ダオ~黒金山~笠盛山~乾徳山~高原ヒュッテ
出発(大弛峠) 5:30
北奥仙丈ヶ岳 6:50
奥仙丈ヶ岳 7:50
シラベ平 8:40
ゴトメキ 9:20
大ダオ 10:30
黒金山 12:00
笠盛山 13:00
乾徳山 14:00
高原ヒュッテ 15:00
この日も早く起きた。まだ暗いうちに出発した。遭難はほとんどの場合、焦りから生じる。だから、精神的に優位に立つには早く出発して時間的に余裕を持たせることが重要である。
ただ問題がある。それはこの時期、朝6時半を過ぎなければ明るくならないことである。早く出すぎれば暗い道を歩かなければならない。暗い道は危険である。なかなか難しい。
だから、北奥仙丈ヶ岳に着く頃、夜が明けるように、時間を調整して出発した。
今まで西へ西へ目指していたのだが、90℃方向転換して南のほうへ向かう。
まずは石楠花(シャクナゲ)新道を行く。
ここから、南へ向かう。どういう道か分からないので、少し緊張する。雪が積もって歩きづらい。
北奥仙丈ヶ岳。2601m。奥秩父の最高点。
大弛峠までは、林道を通って車で来れる。大弛峠からおおよそ一時間で北奥千丈岳まで来れる。体力に自信がない人でも、マイカーを持っていれば、比較的簡単に登ってこれる。
景色は最高。体力はないが高いところから景色が見たい人にはお薦め。
道迷いを心配していたが、赤いテープの道標がしっかりあって、非常に助かった。
この辺は、石楠花(シャクナゲ)が多い。石楠花新道と言うのもよくわかる。しかし、低木の石楠花が登山道を塞いでいるので、歩きづらくて頭にくる。ザックに引っかかってひっくり返りそうになる。それが想像以上にストレスになる。多分、春夏はもっと酷いに違いない。要注意。
奥仙丈ヶ岳。2409m。景色もない。面白くもない。
注意しなければならないのは、ここを境に大きく西側に道が折れるので、迷わないように。
私は道がないのに強引にまっすぐ進んでしまった。途中で、何かおかしいと思い、引き返し、何とか助かった。赤いテープがないときは、必ず引き返すこと。~だろうと自分の都合のいいように推測するのは危険。
多少、テントが張れそうな場所がある。力尽きた時、ビバーグも可能である。
石楠花新道は、心配していたが、まぁまぁ歩きやすい。大丈夫、迷うことはない。ただ、奥仙丈ヶ岳の方向転換に注意すること。
この辺は獣のあしあとが多い。熊っぽいような気がする。写真をとっておけばよかった。
シラベ平。2154m。林道が通っている。ここは、もちろんテントが張れる。
昭文社の山と高原地図 「金峰山甲武信」によれば、ここから黒金山までの登山道は破線になっている。破線は難路という意味である。しかし、私の感想では難路というほど厳しい道ではない。それより、黒金山から乾徳山までの道のほうが迷いやすい。
破線上は鹿が多い。だから、良い猟場となる。危険で一般人には近寄ってもらいたくないということで、破線にしたのではないか。違うか。
まぁ、昭文社にはなんの利害もないから関係ないだろうけどね。
この辺くらいから倒木が非常に多くなる。倒木の理由は幾つかあると思う。そのひとつに、鹿の食害があげられる。冬になると食べる草がなくなる。そこで木の皮を食べるのだ。木は皮を食べられると枯れてしまう。枯れて何年かすれば倒れる。そういう流れである。それを証拠に、倒木が多いところは鹿のフンだらけである。
鹿は可愛らしい動物である。殺すのはかわいそうな気がする。しかし、森を守るために鹿を狩るのは仕方がないことだ。
大ダオ。景色が良い。そして、心地よい場所である。
この時は知らなかったが、徳和のお寺で聞いた話し。ここで首をつって自殺をした人がいて、重くて下ろせず寝袋に入れて埋め、一年放置した後、里に下ろしたとのことだ。
まぁ、最近こんな話を聞いても全くビビらなくなった。死体は死体である。その人と面識がなければ単なる物質である。人は死に土になる。別に変わったことではなく当たり前のことである。縄文時代からどれだけの人が死んだのか分からない。少し歩いたら、すぐそこは人が死んだ場所である。そんなこといちいち気にしていたら生活できない。
むしろ、ほんとうに怖いのは、生きている人間である。ただ、私を傷つけるかもしれないその人も死ぬ。そして、私もいつか死ぬ。
綺麗な広場だが、鹿のフンだらけである。気にする人は注意。鹿は草ばっかり食っている。だから、そのフンもあまり汚くない、と思う。この間、テントを張る時、周りにたくさんあったので素手でつまんで放り投げた。20個くらい。もちろん、手は洗ったが、すぐその手で飯を食べた。山にいると神経が磨耗してくる。都会に戻ると、少し気持ちが悪い感じがする。
山は人間を動物化する。
大ダワからの富士山。ここを下って徳和に行ける。山梨市駅行きのバスに間に合えば、今日中に家に帰れるかもしれない。ちょっと迷ったが、やっぱり、黒金山に行きたいので止める。ちょっとでも頭をかすめるのが私の弱さである。
大ダワから見る乾徳山。左から右に辿っていくと、尾根の先っぽが少しとんがっている(乳首みたいなの)のが見える。あれが乾徳山の岩場である。
黒金山までの登山道。シラビソかコメツガか分からないが、針葉樹の樹林帯の坂を登る。けっこうきつい。
この辺は尾根道が広くどこを歩いたらいいのかわからなくなる。ただ、迷うことはない。
黒金山山頂から見える景色。甲武信ヶ岳から北奥千丈岳、それから、今日歩いた石楠花新道、シラベ平、ゴトメキ、大ダオ、すべて見渡せる。正直言って、涙が出そうになるくらい感動した。自分が歩いてきた軌跡がよくわかるからである。自分のがんばりが誇らしく思える。
一歩一歩少しずつ進めば、いつか知らないうちにすごいところまでやってこれる。
奥秩父縦走について、瑞垣山を終点にするのも悪くないが、この黒金山経由で徳和に抜けていくコースの方がいいと思う。こっちのコースの方が感動が大きい。
笠盛山頂上。
尾根沿いから見える乾徳山。富士山も見える。
黒金山から乾徳山までの尾根は緩やかな下りである。一般論として、尾根沿いを下っていくときは要注意である。どうしても尾根から外れて、沢の方に降りていく危険があるからである。私も何回か道を外し沢のほうへ向かっていってしまった。おかしいと思いすぐ引き返したが。
沢は水が岩を削って出来ているから切り立った崖になっていることが多い。だから、うっかり沢の方に降りてしまうと、崖に落ちてしまう危険がある。そして一回落ちてしまうと登れず、かつ降りられなくなってしまう。携帯電話がつながればいいが、繋がらなければ、多分、命が危なくなるだろう。
乾徳山山頂。乾徳山に登るだけの体力がなかった。だから、写真だけ撮って、下山道に降りる。
このまま降りて、徳和におりることもできたが、高原ヒュッテで一泊することにした。ヒュッテの中でテントを張った。
ストーブに薪をくべたら、かなり暖かくなった。快適である。ただ、すこし不気味だった。なんでだろう。外より廃墟の中のほうが気持ちが悪い。
10分くらい降りると、水場がある。じゃぶじゃぶ水が出ていた。久しぶりの水だ。その水で、ご飯を炊いて食べた。
ほぼ、今回の登山は終了である。寂しい気もするが、早く帰りたい気もする。明日は10:30くらいのバスに乗って帰ろうと思う。
ヒュッテにある鏡を見ると、ひげモジャの顔になっている。お腹は、仮面ライダーのように割れている。脂肪率は、多分一桁台になったと思われる。ただ、顔はむくんでパンパンだ。ぜんぜん痩せて見えない。丸くなっている。
少し体臭がする。水が豊富にあるから、寒いのを我慢して体を拭く。人間社会に戻るには、それなりのエチケットが大事である。
まぁ、早く寝よう。
奥秩父縦走 2012 1月4日 へ続く
破風山避難小屋~サイノ河原~木賊山~甲武信岳~水師~富士見~国師岳~大弛峠
予定では元旦に破風山避難小屋に着くつもりだった。しかし、結果的に、一日遅れになってしまった。
あと、3日間しかない。最終日は時間的に余裕をもたせないといけない。バスの時間に間に合わないと大変だからだ。そうすると、今日と明日は相当頑張らなければならない。
今日は最低でも大弛峠まで行かなくてはならない。
気合を入れて早起きをする。
出発 5:40
サイノ河原 6:45
木賊山 7:45
甲武信小屋 8:05
甲武信岳 8:40
水師 9:21
富士見 10:10
両門の頭 10:40
東梓 11:35
国師岳 14:45
大弛小屋 15:30
朝、3時頃、避難小屋が吹っ飛ぶんじゃないかと思うくらいのすごい風が吹いていた。確か、北風ではなく南風だったような気がする。山谷風(放射冷却によって起こる風)か低気圧によって起こる風か定かではない。だが、凄まじい風だった。もしテントを張っていたら飛ばされていただろう。
山の朝の風は要注意である。恐ろしくて寝ていられない。
ただ、私の出かける時間にはすっかり止んでいた。外はまだ暗闇だった。ライトをつけて登り始める。
木賊山(とくさやま)。「とくさやま」とはなかなか読めない。2468m。甲武信岳よりすこし高い。だが、景色もなく地味。おかげでスルーされるかわいそうな山である。仕方がない。
木賊山から見た甲武信岳。これから登る。けっこう登りがきつい。
今日は甲武信岳から国師岳につながるこの尾根を行く。割りと平坦な尾根である。しかし、尾根の最後のほうが、きつい登りになっている。多分、その辺が国師岳の登りなのだろう。そこはきつそうだ。覚悟しなければならない。
甲武信小屋。人の話し声がする。けっこう人気のある小屋。水も1リットル50円で売ってくれるという話だ。しかし、雪を溶かして水にすることに決めたので、スルーする。長い距離、水を持っていたら、必ずバテる。できるだけ軽く行く。
ここから先は行ったことのない未知の世界である。すこしワクワクする。どんな所なのだろうか。
この尾根を今日一日ずーっと歩き続けるつもり。
左側の方に登って行っている尾根が国師岳へとつながる尾根である。そこから右側に重なるように連なっている山が金峰山である。国師岳と金峰山の間にあるダルミが、大弛峠である。
今回は金峰山には行かない。
字が消えかかっているが、水師。ここで一人分のテントが張れる。もし、力尽きて甲武信小屋に辿りつけない人は、ここでビバーグすべし。
樹林帯の中にも、テント張れそうな場所がいくつかある。ただ、雪が積もって、かつ風が強いと倒木の恐れがある。テントに直撃することも考えられる。そのリスクも頭に入れておかなければならない。
富士見。ここもテント泊できる場所がある。水師よりここのほうがいいかもしれない。
北風が吹き始め天候がかなり荒れてきた。かなり寒い。大弛小屋はまだまだ先だ。すこし不安になる。
両門の頭。下は切り立った崖である。落ちたら確実に死ぬ。風で吹き飛ばされそうなので、気をつけて渡る。気候のせいで展望はなし。
国師のタル付近か? 吹雪になってきて前がよく見えない。写真なんか撮っている余裕はない。
この辺は精神的にきつかったなぁ。いつになったら国師岳に着くんだという感じ。
それにしても、坂が辛かった。
一時間くらいで、膝くらいまで雪が積もる。雪が降っているというより、横殴りの風で雪が舞っている感じだ。それでも、いつの間にか積もっている。
やっと国師岳に着く。2591m。ただ、景色はない。吹雪で前は見えない。周りは雪女が出てきそうなくらい幻想的である。だが、私はヘロヘロでそんなことを考える余裕すらない。かれこれ9時間くらい歩いている。疲れ、寒さ、不安、そういうネガティヴな感情が渦巻いている。だが、一歩一歩前に進むしかない。とにかく生きたかったら頑張る。それだけ。
気持ちに余裕があったら、相当綺麗だったに違いない。しかし、完全にへたっている。景色どころではない。写真を撮る気力があったのが不思議なくらいである。
だけど、下りだ。もう少しで大弛小屋につく。それだけを考えて前に進む。
雪が膝上に達してきた。歩きづらくなってきた。だけど、もう少し。
15:30。暗くなる前に、大弛小屋に着く。誰もいない。だから、勝手にテントを張らせてもらう。
水場は凍っていた。雪を溶かしてカップラーメンを食べた。とにかく今日は疲れた。
物事は、事後的に起こったことを分析するのと、行為時に判断するのは全く違う。当然、事後的に判断する方が楽である。
この日、肉体的にも精神的にも疲れきっていた。そして、明日どうすべきかの決断も迫られていた。というのも、ラジオの天気予報によれば、山岳部では雪が降ると言っていたからだ。
明日の奥仙丈ヶ岳方面は、行ったことがなく、どういうところか全く想像できない。また、地図上では破線で迷いやすいコースである。そして、雪が積もれば道が不明瞭になる。倒木が多いという情報があるので、雪が積もれば、倒木の間を踏みぬいて大怪我をしかねない。このまま雪が降って積もれば、かなり危険な登山が予想される。
そうすると、考えられる方法は3つある。1つは、来た道を戻ることである。つまり、甲武信岳に戻って徳ちゃん新道(西沢渓谷の方)を降りていくコースである。
2つは、大弛峠につながっている林道を通って帰るコースである。
3つは、予定通り、奥千丈岳方面から乾徳山に下っていくコースである。
うーん、何のためにここまで来たのかと思う。楽をしたいならわざわざこんなところまで来ない。困難を乗り越えるために、自分を試すために、ここまで来たのだ。
そこで、決断する。予定通り進もうと。どんなに地図を眺めても予定通りのコースが一番近道である。道を間違わなければ、このコースが必ず早い。だから、コンパスを慎重に使って迷わないようにすること。足元を気をつけ倒木の間を踏み抜かないようにすること。それらのことを頭に叩きこんで少しずつ前に進む。それで行こう。
そう決断すると元気が出てきた。気持ちが闘う方に向いてきたからだ。
結果的に、次の日は晴れていい天気になる。だから、全く問題はなかった。しかし、もし、天気が崩れていたら、また違った結果になったかもしれない。
この2日は、槍ヶ岳や大菩薩嶺で遭難者が出たり、長野のスキー客が道に迷ったりした日である。
あの吹雪はかなりすごかった。ホワイトアウトに近かったと思う。遭難するのもよくわかる。私も一歩間違えば危なかった。
事後的に何も起こらなかったらOK、というだけではなく、行為時のあの不安と決断を忘れないようにしようと思っている。
奥秩父縦走 2012 1月3日 へ続く