神話学の第一人者・ジョーゼフ・キャンベルが「結婚」について語っている。
「例えば、結婚。結婚とは何でしょう。神話はそれを教えてくれます。それは分離されていた二者の再統一です。もともとあなた方は一体だった、いまこの現世で人は二つにわかれているけれども、精神的にはやはり一体だと認識することが結婚の本質でしょう。それは情事とは違う。そんなものとはなんの関係もありません。結婚はまるで別の神話的次元に属する経験です。もしもある男女が肉体関係を長く続けられるからというので結婚したとすれば、まもなく離婚するしかないでしょう。なぜなら、あらゆる情事は絶望に終わるほかないからです。それに対して、結婚は精神的一体性の認識です。もし私たちがまともな生活を営んでいるならば、もし私たちの心が異性に関して正しい思考を働かせているならば、めいめい自分にふさわしい伴侶を見つけることができるでしょう。ところが、私たちがある種の官能的な興味に夢中になっているとすれば、間違った相手と結婚してしまう。私たちはまともな相手と結婚することによって、人間の姿を取った神のイメージを再構成する。それですよ、結婚のいちばん大事なところは」
「結婚生活には二つの完全に異なった段階があるのです。その第一は、子供を作るために自然が与えてくれる衝動 ー 両性の生物学的な相互作用がもたらす、あのすばらしい衝動 ー に従う若さに満ちた結婚生活です。しかし、やがて子供から家族が卒業して、夫婦が残されるという時期が来る。私の友人のなかに、四十代とか五十代になって夫婦別れをする人があまり多いのでびっくりしています。みんな子供といっしょのときは完全にまともな生活をしていたんです。ただ、そういう夫婦は自分たちの一体性というものを、子供との関係においてのみとらえていた。相手に対する自分自身の個人的な関係において犠牲を払うとすれば、お互いに相手に対して自分を犠牲にするのではなく、関係の一体性に対して犠牲を払うのです。中国のあのタオには暗闇と光が相互に働きかけているイメージがありますね。あれが、陽と陰の関係、男と女の関係です。結婚も同じです。結婚した人はああなっているのです。あなたはもはやただひとりの人間ではない。あなたの真の存在は相互関係の中にある。結婚は単なる肉体関係ではない。それはひとつの試練です。そしてその試練とは、二者が一体になるという関係においてエゴを犠牲にすることを意味しています」 「神話の力」から
有名人が堂々と離婚すると、いつもあーあと思ってしまう。その芸能人が人々に支持を受けていればいるほど、その行為が神話的な行為になってしまうからである。
結婚と宗教が密接に関わっているのは、理由がある。結婚はただの情事とは違う。キャンベルがいうように、情事は絶望に終わるしかないからである。
神話的思考がうまく働かない時代に、どうすべきかが問われている気がしている。
関係の一体性に犠牲を払うとは、具体的にどういうことなのか。そういった物語が必要である。