フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

危機における人間の行動形式

2012年04月04日 08時59分07秒 | 身体・健康・筋トレ

 危機に直面した時の人間の行動について分析してみる。
 人間が人間に進化する前、また原始人類としてアフリカで走りまわっていた時、恐竜や大型肉食獣に捕食されていた。そのように、生命の危機に直面した時に発達したのが、大脳辺縁系である。
 大脳辺縁系が哺乳類脳であることは既に述べた。
 辺縁系には、危機に直面した時、とるべき一定の行動形式が組み込まれている。
 戦うか、逃げるか、である。ただ、その前提として、固まる(フリーズ)がある。
 その行動形式について考えてみよう。

 まず、固まるという方法である。
 人間がまだアフリカのサバンナで生活していた時、最大の敵はネコ科の大型肉食獣だった。大型肉食獣は、動いているものに反応する。猫を見ているとよくわかる。
 だから、生き残る戦略として、じっと身を潜めて動かないというのは合理的な方法である。
 例えば、ショーで虎やライオンが現れると、客席の最前列に座っている観客の手足は固まって動かなくなる。また、前線の兵士たちが攻撃を受けた時、動かなくなることで相手の視界から消える。実際、アメリカであった銃乱射事件で、
動いて逃げまわった学生は撃たれたのに対して、犯人のすぐ1,2メートル付近にいたのに、じっと固まっていた学生が助かった例がある。
 日常生活においてもこの反応は、いろんな所で現れる。例えば、嘘が見破られる時などである。その場合、呼吸が浅くなり固まってしまう。

 第二の方法、逃げるである。
 敵が近すぎて見つかる状況だったり、身を潜めていては危機から脱出できなかったりする場合、逃げるという行動をとる。これはシンプルでわかりやすい。
 ただ、アフリカの荒野であれば、単に走ればいい。しかし
、現代社会で、何か問題が起こるたびに、走って逃げていたら、生活できない。そこで逃げるという行動形式を、現代人的に適応させてきた。
 例えば、相手の言葉を否定したり、ある団体から脱退したり、交渉を打ち切ったり、である。
 人間の微妙なしぐさからもその逃げる行動が観察できる。
 例えば、足先が出口の方向に向く、不快な言葉に身をそらせ、のけぞるなどである。

 第三の方法、戦うである。
 固まっても、相手に見つかるし、逃げたとても相手に捕まってしまう場合、本能は戦うという選択をする。
 私たちは、進化の過程で、恐怖を怒りに変えることで、戦うという行動を起こしやすいようにしてきた。
 したがって、怒りは恐怖の一つの現われといえる。
 怒りは、人間を暴力的行為に向かわせる源泉であり、それを研究することは、平和的な社会を構築する上でも重要である。どのようにして怒りを抑え、起こさせないようにするか。
 戦うという選択をとった場合、殴る蹴るという行動のみならず、さまざまな行動をとる。目付きで相手を脅す。相手を指さす。激しい言葉を投げかける。罵倒する。
 原則的に、戦うという選択は、固まる、逃げるの後で仕方なく選択される。だから、通常であれば、その段階にいかないように気をつけておけば良い。
 しかし、瞬間的に、この戦うという選択をする人がいる。それは、この方法をとった方が有利な人である。つまり、権力をほしいままにしている人や、若くて体力がある人などである。そのような人に対しては、細心の注意が必要である。 

 ここまでの3つの行動は、理解しやすい。

 問題は、その先である。
 既に説明した3つの行動を起こすまもなく
危機に巻き込まれたり(突発的危機)、やっても功を奏しなかった場合に、最後に人間内部で起こる心理的状態である。
 例えば、交通事故なんかで、事故が起こった瞬間をスローモーションのように感じ、恐怖がなく冷静になっている状態である。
 これは、日常を超えた神秘体験的なものであり、脳が死ぬと判断したときに起こる状態である。つまり、死の状態になるから、恐怖や痛みなどの感覚は不要で、それらを一切遮断する。むしろ、どちらかというと、それらを快感に変えてしまう。
 エンドルフィンという快感物質は、命を失うような危機的な状況で分泌されることが分かっている。例えば、ライオンに襲われて食べられている草食動物は痛みを感じていない。むしろ、気持ちのいい状態になっているともいえる。
 前のブログで書いた自然死の場合に、脳内物質が分泌され痛みがないこととも関係している。痛みや恐怖という点では、死は怖くない。

 もう少し突っ込んで考えるべきことは、この危機的状況に恐怖が消え、まわりがスローモーションになる、この精神状態である。
 これを、仮に変性意識の一種だとすれば、これを意識的に行える人がいる。瞑想の達人などだ。
 また、一流のスポーツ選手も、大記録を達成するときに、このような体験をする人がいる。
 死が怖くないのだから、何でもできるという、精神状態である。
 これは、私が今、深く考えていることの一つである。
  



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