ネットのニュースを見ていたら、
二階俊博、会食自粛で「ひとり食べる」弁当に不満が爆発寸前、というニュースがありました。
よくわかりませんが、ちょっと笑ってしまったので、ニュースを読み進めていきました。
二階さんというと親中派で、悪党というイメージがあります。
実際のところはどうなんでしょうね。
最近は、表面的な噂なんてあんまり気にしないようになってきました。
調べれば調べるほどいい意味でも悪い意味でも面白い人物です。
ニュースは「どこで何食ったかなんて覚えていないんだよ。食事より話の内容が大事なんだから」と締めくくられていました。
結局、話し好きで寂しがり屋のおじいちゃんなのかもしれません。
実はですね、僕が書きたかったことは二階さんのことではなく、
ニュースの最後の言葉に、引っかかったことなんです。
僕も食事をしていて、話に夢中になってしまうことが多いです。
でも、食事の内容は忘れません。
それほど食べ物に執着しないほうなんですけどね。
それで、後で思い出すんです。
あの食べ物すごく美味しかったけど、美味しいって言うの忘れたなって。
その時、すごく罪悪感を感じていまいます。
なんなのでしょうかね。この感じは。
「これすごく美味しいね」といい忘れたことに対して、切ない気持ちが湧き上がってきます。
なぜだろう?と無いアタマを振り絞って考えてみると、
食事というものは、愛情と深く関係しているからかも知れません。
一生懸命、美味しい食事を作ってくれたのに、
美味しい店にわざわざ連れてきてくれたのに、
べらべら自分の話ばっかりしてしまったよという気持ちですかね。
そういえば、飼ってる犬とか猫が、一番好きな人は食事を与えてくれる人ですもんね。
俺は犬猫か、と突っ込みたくなりますけど、
結局、子供がお母さんを好きなのはそういうことかも知れませんね。
もちろん、世の中の奥様たちも、そうやって旦那様に愛されているのでしょう。