![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/ce/1820869616b6baff5747ace0da77ef24.jpg)
ジョニー・ウインターが亡くなったというニュースを聞きました。 Face Bookに書いたものをこのブログにも乗せてみます。 例によって世の中のすべての人がネットに入ればFBを見るとは限らないので。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
突然の訃報におどろいてますが、ジョニー・ウインターはこの写真のチケットのラスヴェガスコンヴェンションセンターのライブでご一緒しました。
僕達の全米ツアーの終わりの頃だったか、彼のショーのセカンドビルででました。 それはそれは大きなアリーナでしたね。
次の朝LVの空港で会いましたが 結構目が不自由だったのに驚いた覚えがあります。
ジョニー・ウインターは浅からぬ縁(勝手にそう思っているのだけど)があって ’68年に星条旗新聞のヒューカトラー氏のアパートで彼が初めて聞かせてくれて、凄いギターに驚いたものです。
日本に彼が100万ドルのブルーズギターというキャッチフレーズで紹介される1年位前くらいで、何の情報もなく聞いたレコードだったので それは驚きました。
その一年後に青森の八戸にツアー(というか、旅、、)に行った時は三沢のベースに来ていたんですね。 1969年ですね。
そしてこのチケットの夜、ラスベガスで彼のショーのセカンドビルで共演しました。
ちなみに 日本ではOAなどと記載されますが、アメリカではスペシャルゲストと書かれます、つまり Special Guestとは前座の意味なんですね。 もっと詳しく言うと、 最初に文字とおりショーをオープンするのがOpenning Act オープニングアクト、次がSecond Billセカンド ビルといいます。 そして最後にメインの Head Linerヘッドライナーが出てくるわけです。
アメリカンショービジネスの掟のようなもので、ヘッドライナーがセットした楽器は一切動かさず、セカンドビルがその前にセットして、更にその前にオープニングアクトがセットする。
時にはオープニングアクトが2つ以上あるときがあると、どんどん前になるので 横幅30mステージでも自分の前には1mも残っていないと言った現象も当たり前のように起こるわけです。 それが嫌だったらヘッドライナーになれば良い。 実に合理的な話なんですね。
話を戻します。 この夜初めて生のジョニー・ウインターを見ました。 自分たちの出番が終わり、すぐステージの脇に行ってステージの真横で見ていました、1976年8月4日水曜日とチケットにありました。 カッコ良かったですよ。
彼の本当に素晴らしかった’70年代のライブが日本では見れなかったのが悔やまれます。 今あらためて聞くと、ギターいいですね。 俗にいう速弾き、Fast Handなんだけど、フレージングもかっこいいです。 当時好きだったの思い出しますね。 でも、でも、、なんといってもあの歌です。
ジョニーは歌いますね。 You've lost that loving feeling,, Good Golly Miss Molly, R&R Hoochie Koo,,
もっともっとありますけど、それは皆さんご存知ですよね。
そして、、その後に出てきたアメリカのブルーズを弾くギター弾きにも、ギターヒーローのような存在になっていったプレイヤーもいたことはいたのですが、ジョニーを先に聞いた我々の世代はその後のライト級のプレイヤーたちにはまったく、いっさい、興味がわきませんでしたね。
いい悪いとかじゃなくて これはしょうが無いです。 歌なんか、、笑っちゃうくらい比べ物になりませんからね。
まあ、それはともかくとして、
だから僕に取っては最後のアメリカの白人ブルーズプレイヤーでしたね。 ジョニーさん、ありがとうございます。 お疲れ様でした。
皆様よい週末をお過ごしください。 Peace Out♫
以前某ブログでBony Moronieの邦題より取った
マカロニという名前も彼ライヴアルバムからいただいたのでした。
今はただ合掌するのみです。
当時はコピー出来ませんでしたが、後にソロをコピーしたらフラットピッキングではどうしても同じように聞こえないので、速弾きのフレーズをサムピックと人差し指(中指)を巧みに使い高速で弾いていたのが判りました。
ちょっと、コレは自分には無理だな~と思いました(笑
彼の愛器、60年代オールドのFireBirdⅤも弾いたことありましたが、その弾き難さに、このギターの憧れも消えて行きました。
あらためて、ご冥福をお祈り申し上げます。
そう、サムピックにファイヤーバード、、そしてなんといってもあのタトウーですね(笑)