4月1日に自分の音楽人生でとても縁が深かった、アイ高野が天国に帰っていきました。
最後に会ったのは去年の日本ツアーの時でした。クロスオーバージャパンというコンサートがあったので、彼の体調が良ければ是非一緒にやろうと彼の家に行きました。
その時もすでに体調が良くなく、じゃあ又やろうね、と別れました。 家では彼の愛用のエピフォン カシーノを借りて、彼は太目のステイックを取り出し、久々に一緒にプレイしました。 All Of Meと何かStevie Wonderの曲でした。
彼と初めて会ったのは1968年-69年頃で彼は自分が出演したJazz喫茶の帰り道、僕たちがプレイしていたGoGo Clubにたち寄ってくれて話しました。 当時から泣く子も黙るほどの有名人、また当時の状況はGS VS New Rock という感じもなきにしもあらずで、まあ敵対心をもたれてもおかしくないBLUES CREATIONという立場、そんなものをまったく気にしないファンキーで優しい心の持ち主でした。お互い16歳だったと思います。
それから天に召された2006年4月1日まで、ずっと彼は天才であり続けました。 彼の才能が世の中の理解を得られない時期もあったようだけど 周りは皆知っていました、、。まことに不世出の大天才シンガー、ドラマー、でした。ギターだって上手かった。
仲良くなったのは73年にフェルナンデスのキャンペーンがあって私、内田裕也さん、柳ジョージさんなどと北海道をツアーしました。このときに思いっきり仲良くなってそれ以来、All Stars、クリエーションで一緒に熱い音楽をプレイできたのが最高の思い出でした。 サイパンに一ヶ月近くの作曲旅行に行って最初に一緒に作ったのがキャリーオン、、30数曲作りました
My Soul Brother #1といつもお互い言い合ってここまで来ました。 喧嘩していた時期もあったし、日本とアメリカと離れて一緒に音楽をできなくっていたけど、生まれる前から今生のこの出会いとコラボレイションは約束されていたと本当に思います。
彼がいたからこそ作ることのできた素晴らしい作品の数々、彼とのコラボレイションは自分の音楽人生の中でも心から誇りに思える一ページだったと思います。
モッチン! ありがとう
See You In Heaven Buddy !
驚いています。
キャリーオン 覚えていますよ。
屋根裏が懐かしい。
いつも熱い音楽をありがとう。
ご冥福をお祈りいたします。
カーナビーツ時代からそこに居るだけで周りが明るくなるようなお人柄でしたものね、しばらく「朝日の国」~の作品を聞かせていただいて喪に服します。
その時の審査員の1人にアイ高野さんがいらっしゃって、
アイ高野さんから賞を頂きました。
その数ヵ月後、地方のライブハウス。
CREATIONのステージにアイ高野さんが。
衝撃的でした。
まだ、新しいアルバム録音中で、一切アナウンスが無かった時。
スーパーチャージ、エイントライフハード、マードマーゼル・ドゥテノワール・シルヴァプレ。
そして、、、、、好きさ好きさ好きさ。
もう一度、ないとさんとの饗宴、見たかったです。
本当に残念です。
覚えていらっしゃるとは、思えませんが、「お久しぶりです。ご無沙汰いたしました」と挨拶させてください。
今朝、新聞の記事で知りました。残念です。
私なりのお悔みを申し上げたく、自分のブログでも記事にし、TBさせて頂きました。
よろしくお願いします。
訃報を、台湾で聞いて、ただただ悲しかった、
最後にあったのは三年前でした。
クロコダイルで会って、朝方まで付き合って、相変わらずの、モッチャンだった、、、
竹ちゃんの話その時してました。
ただただ、寂しい、、、
モッチヤン、又会おうね、、、
MOONY
あのツアーが縁でそれからオールスターズに発展してったり、、本当に楽しい思い出です。
また、会えるでしょうね。 ムニーさんもお身体に気をつけてStay Cool & Happy Days!
Cheers。
当時高校生でバンドを始めたばかりで、ほんと、勉強になりました。
今でもあの頃の衝撃を胸に、もっちんの教えやないとほーく様が魅せて下さった、素晴らしいプレイの数々を参考にいまだにギターをプレイしております。
とても尊敬させていただいてます。
ありがとうございます。
過去のブログに申し訳ございませんでした。