アンティマキのいいかげん田舎暮らし

アンティマキは、愛知県北東部の山里にある、草木染めと焼き菓子の工房です。スローライフの忙しい日々を綴ります。

本「おとこ・おんなの民俗誌」

2022-03-03 23:18:18 | 映画とドラマと本と絵画

  昭和49年に第一刷が刊行され、昭和53年に第四刷刊行。その第四刷がず~っと本棚の奥に紛れ込んでいました。著者は民俗学者の池田弥三郎。定価は240円です。

  この本の元になったのは雑誌「キング」に連載されたエッセイ。だから、学者の本ではあっても、読みやすい。元のタイトルは「性風土記」。その後書き直して出版したのが「はだか風土記」。改題して出版したのが本書だそう。タイトルでわかるように、日本人の性に対する考え方を民俗学的観点から分析したものです。史料を駆使してはいるものの、あくまでもエッセイなので、いろんな知識がちりばめられていて、ちょっとずつつまみ食いできるのがたのしい。

  著者の指摘で初めて気が付いたのですが、平安貴族の屋敷は寝殿造り。天皇が政務を行う場所は、この建築の中心となる正殿、つまり寝殿です。寝殿とは、字の通りベッドルーム。

  「夫婦共寝を示す寝をもって、御殿の名としているのはなぜだろうか(中略)。どこの国に、堂々たる御殿が、その中の寝室をもって代表とされた御殿であると名のり、それを正殿とする建築のプランニングまでが、ベッドルームをもって名とするところがあるだろうか」

  著者の考察は、以下に続く。

  「男女の堂々たる共寝、それは宗教的、信仰的結婚でなければならぬ。そして、その堂々たる結婚こそ、信仰的生活の中心の儀式であったればこそ、寝を名とする御殿があり、それが正殿である建築のプランニングができたのだ」

   男女の交合は、豊饒な農作物を生むことにつながるため、農耕を生業とする日本では、聖なる様相もたぶんに帯びていました。一度だけ見物したことのある北設楽郡東栄町の花まつり(私が見たのは東栄町の人たちが集団で村を出て開拓に入った豊橋市二川地区なのですが)では、男女の神様二人が人々の見守る中で抱き合って横になるシーンが登場します。

   遊女の起源は「神の資格で来臨するものに、常に逢った女性がいたということである」。神社の門前町に大きな色町ができたのは、単に人が集まるからという理由だけではないと筆者は言います。「遊女の源流は、神に仕えた神の女であり、近世にいたって発達した遊女の女たちは、もともとその社に付属した、下級の巫女そのものであった」

   結婚は女にとって神の嫁になること。そのため、初夜に婿と共寝をすることはまずなかったといいます。初夜権の行使が婿以外にあるという風習は世界中にみられたことですが、処女に豊かな生殖能力を与える神の代理人として、地域の有力者とか親戚の年かさのだれかれが、新婦の寝床を訪れます。しかし、「ほんとうの夫との交渉が二日目からはじまるために、生まれた子に対する疑いがいつまでも残ったり、(中略)処女が一夜にしてはらんだりする」という話が多いとか。

   女が男のもとにしかける夜這いや、「うわなり打ち」のはなしも興味深いものでした。とくに、うわなり打ちは、「一人の男をはさんで、第一の妻が第二の妻をうちこらす暴力沙汰」のこと。離別された妻を筆頭に女だけの集団で元の家にやってきて、第二の妻のものとなった台所から乱入し、什器や障子などを打ち壊して退散するというもの。ひとつの慣習のようになっていたらしいのですが、記録は少ないとか。

   こういう昔の人々のありようを見ると、性風俗や結婚制度、男女のかかわり方などを、いちがいに現代の感覚で割り切って考えることはしないほうがいいな、とあらためて思います。複雑なことがらなので、ひとつひとつ丁寧にときほぐしていかないと、どこかでひずみが生じるのではないかと危ぶまれます。

   

  


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