ひと月前から心待ちにしていた棕櫚箒が届きました。全長1m20cm。初めて手に入れた長箒です。
実を言うと、私は掃除があまり好きではありません。掃除をする時間があるなら、何か作っていたいと思うほうです。とはいえいやがってばかりはいられないので、しかたなくやります。でも、できるだけ時間はかけないですませたい。掃除機は持ってくるだけでもなんだか億劫に思います。図体の大きい掃除機に比べたら、箒は私にぴったりのアイテムなのです!
というわけで、二十数年来、私は掃除機よりも箒を愛用しています。なかでも一番よく使っているのがこの箒。
この箒は、京都の箒専門の店で買いました。当時としてはかなり高くて、5000円くらいしていたため、迷った末買った記憶があります。非常に頻繁に使ったので、棕櫚の毛は若干短くなってはいるようですが、使っていて毛が抜け落ちることはほとんどなく、今にいたっています。
でも、吊るしておかなかったので、こんなふうに変形してしまいました。格好が悪くなったのと、腰をかがめたまま広い部屋をはき続けるのが少々きつくなってきて、長い柄の箒がほしくなりました。
新しい箒でさっそく掃いてみました。私の背丈にちょうど合っています。棕櫚の一本一本が板の目に沿ってちりを寄せていく感じが、手に伝わるように思えます。
メーカーは和歌山県の「桑添勇雄商店」。箒職人が製造販売しているお店です。ネットで探しました。
桑添勇雄商店のhpによれば、この商店は、「室町時代から(棕櫚の)栽培がはじまったといわれ、明治から昭和初期にかけて日本一の棕櫚生産地を誇った棕櫚の谷「野上谷(のかみだに)」(現・和歌山県海草郡紀美野町と海南市の一部)と有田川流域地方(現・有田川町。特に旧・清水町・金屋町の一部)の西端の集落の中にあ」り、その集落は「古くからシュロ箒の生産地として知られた、箒職人が特別に多かった小さな集落だ」とのことです。
この棕櫚の谷は、昭和30年代に棕櫚産業の衰退に伴ってスギやヒノキの栽培に取って代わり、今ではごくわずかな群落が残っている程度だそうです。
この商店は、桑添さんご夫婦と二人のお弟子さんが、独自の工夫を盛り込みながら昔ながらの箒を作っているお店のようです。お弟子さんのひとりの女性職人がネット販売でのやり取りを担当していて、とても丁寧な応対をしてくださいます。
彼女は、研究熱心な方のようで、古い棕櫚箒をご自分の勉強のために見たいから譲ってほしいとhp上で書いています。彼女の文を読んではじめて、私がこれまで使っていた棕櫚箒とこちらの新しい箒とでは作り方にかなりの違いがあることが分かりました。今度買った箒のほうが、ずっと仕事が細かく、丈夫に作られているように思います。
ともあれ、ひどい使い方さえしなければ、棕櫚箒は20年、30年と使えます。そのことはすでに手箒で実証済み。手に入れたばかりのこの「棕櫚鬼毛七玉長柄箒」は、この先ずっと、もしかしたら私の寿命の尽きるまで、掃除嫌いの私の手助けをしてくれることになるかもしれません。今度はきちんと柱にかけて、ときどきは毛の手入れもしてやることにします。
実を言うと、私は掃除があまり好きではありません。掃除をする時間があるなら、何か作っていたいと思うほうです。とはいえいやがってばかりはいられないので、しかたなくやります。でも、できるだけ時間はかけないですませたい。掃除機は持ってくるだけでもなんだか億劫に思います。図体の大きい掃除機に比べたら、箒は私にぴったりのアイテムなのです!
というわけで、二十数年来、私は掃除機よりも箒を愛用しています。なかでも一番よく使っているのがこの箒。
この箒は、京都の箒専門の店で買いました。当時としてはかなり高くて、5000円くらいしていたため、迷った末買った記憶があります。非常に頻繁に使ったので、棕櫚の毛は若干短くなってはいるようですが、使っていて毛が抜け落ちることはほとんどなく、今にいたっています。
でも、吊るしておかなかったので、こんなふうに変形してしまいました。格好が悪くなったのと、腰をかがめたまま広い部屋をはき続けるのが少々きつくなってきて、長い柄の箒がほしくなりました。
新しい箒でさっそく掃いてみました。私の背丈にちょうど合っています。棕櫚の一本一本が板の目に沿ってちりを寄せていく感じが、手に伝わるように思えます。
メーカーは和歌山県の「桑添勇雄商店」。箒職人が製造販売しているお店です。ネットで探しました。
桑添勇雄商店のhpによれば、この商店は、「室町時代から(棕櫚の)栽培がはじまったといわれ、明治から昭和初期にかけて日本一の棕櫚生産地を誇った棕櫚の谷「野上谷(のかみだに)」(現・和歌山県海草郡紀美野町と海南市の一部)と有田川流域地方(現・有田川町。特に旧・清水町・金屋町の一部)の西端の集落の中にあ」り、その集落は「古くからシュロ箒の生産地として知られた、箒職人が特別に多かった小さな集落だ」とのことです。
この棕櫚の谷は、昭和30年代に棕櫚産業の衰退に伴ってスギやヒノキの栽培に取って代わり、今ではごくわずかな群落が残っている程度だそうです。
この商店は、桑添さんご夫婦と二人のお弟子さんが、独自の工夫を盛り込みながら昔ながらの箒を作っているお店のようです。お弟子さんのひとりの女性職人がネット販売でのやり取りを担当していて、とても丁寧な応対をしてくださいます。
彼女は、研究熱心な方のようで、古い棕櫚箒をご自分の勉強のために見たいから譲ってほしいとhp上で書いています。彼女の文を読んではじめて、私がこれまで使っていた棕櫚箒とこちらの新しい箒とでは作り方にかなりの違いがあることが分かりました。今度買った箒のほうが、ずっと仕事が細かく、丈夫に作られているように思います。
ともあれ、ひどい使い方さえしなければ、棕櫚箒は20年、30年と使えます。そのことはすでに手箒で実証済み。手に入れたばかりのこの「棕櫚鬼毛七玉長柄箒」は、この先ずっと、もしかしたら私の寿命の尽きるまで、掃除嫌いの私の手助けをしてくれることになるかもしれません。今度はきちんと柱にかけて、ときどきは毛の手入れもしてやることにします。
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