「ヤンキー・ドゥードゥール・ダンディ」を見て、この映画を思い出しました。1939年に日本で作られたドキュメンタリー映画。私は30年以上前に京都で開かれた自主上映の会で見ました。
「戦ふ兵隊」は陸軍省の後援で東宝が製作したもの。中国の戦地で戦う日本兵たち、対する中国人たちの姿を実直に追いかけ記録に残したもの。監督は「戦争の中絶を内心願っていたのは確かだが、撮影で中国人と触れ合う中で「戦争で苦しむ大地、そこに生きる人間(兵隊も農民も)、馬も、一本の草の悲しみまでものがさずに記録したいと努力した」に過ぎず、本作が公開禁止になるとは思ってもいなかった」(ウィキペディア)とのことですが、内務省からは「厭戦的」と烙印を押され、上映差し止め、フィルムは焼却されました。
ところが1975年に、なくなったと思われたこの映画フィルムが完全ではなかったけれど見つかり、日本各地で上映されました。私が見たのはその折だったらしい。
当時いくつかの昔の戦争映画を見たのですが、この映画は群を抜いていました。ドキュメンタリーだから迫力がすごい。細かいところは覚えていませんが、重装備した兵隊たちが苦しげに行軍する姿や、うごめくように戦場で走り回る姿を見たように覚えています。全編暗く、確かに内務省の言う通り「厭戦的」気分濃厚。
東宝の社内で一か月ほど試写会が続けられたそうなのですが、反響は素晴らしかったとのことです。よくできたいい映画です。いまはどこかで簡単に借りられるのかもしれません。ぜひ若い人たちにもみてほしい。
「戦ふ兵隊」は陸軍省の後援で東宝が製作したもの。中国の戦地で戦う日本兵たち、対する中国人たちの姿を実直に追いかけ記録に残したもの。監督は「戦争の中絶を内心願っていたのは確かだが、撮影で中国人と触れ合う中で「戦争で苦しむ大地、そこに生きる人間(兵隊も農民も)、馬も、一本の草の悲しみまでものがさずに記録したいと努力した」に過ぎず、本作が公開禁止になるとは思ってもいなかった」(ウィキペディア)とのことですが、内務省からは「厭戦的」と烙印を押され、上映差し止め、フィルムは焼却されました。
ところが1975年に、なくなったと思われたこの映画フィルムが完全ではなかったけれど見つかり、日本各地で上映されました。私が見たのはその折だったらしい。
当時いくつかの昔の戦争映画を見たのですが、この映画は群を抜いていました。ドキュメンタリーだから迫力がすごい。細かいところは覚えていませんが、重装備した兵隊たちが苦しげに行軍する姿や、うごめくように戦場で走り回る姿を見たように覚えています。全編暗く、確かに内務省の言う通り「厭戦的」気分濃厚。
東宝の社内で一か月ほど試写会が続けられたそうなのですが、反響は素晴らしかったとのことです。よくできたいい映画です。いまはどこかで簡単に借りられるのかもしれません。ぜひ若い人たちにもみてほしい。