2,3日前、是枝監督の「誰も知らない」を見に行く。04年の映画で、しんゆり映画祭2018のなかにあり、近所のアートセンターで見られるので出かけた。風邪をひいて近所の内科の帰りに、のど飴とティッシュの箱をバッグに入れて立ち寄る。
父親の違う4人兄弟姉妹が、たまに帰る母親、後に帰らなくなる母親をよそに、寄り添って暮らす日常を描く。母親の送金があるうちはいいが、なくなると電気、水道、ガスが止められ、公園のトイレ、水道で日々の暮らしをつなぐ。常識の頭では、これって保護責任者遺棄? 子どもが4人もいて子どもたちだけで暮らしていて、児童相談所につながればいいのに…。
学校にも行けるし、野球もできるじゃない。でもそうすると、子どもたちだけで4人まとまって暮らすことは出来なくなるな、とか考える。父親が違っていても、4人の子どもたちだけで離ればなれにならずに一緒に暮らすのが楽しいし、それが4人にとっては普通で幸せなのかもと思えてくる。大人になった時、あのころ楽しかったなという感情だけは残るのかもしれない。最後に母親から現金書留が届くのがちょっと救いだった。