毎日の自転車通勤に手袋が欠かせない、寒い朝がつづいています。
手袋といえば、思い出すのが
亡き向田邦子さんのエッセー、『手袋をさがす』。
気に入った手袋が見つからなくて、
風邪をひくまでやせ我慢を通した二十二の冬以来、
私は“いまだに何かを探している”
そんなエピソードでした。
もしもあのとき、高のぞみのないものねだりをやめて
ほどほどのしあわせを感謝し、日々平安をうたがわずに生きてきたなら、
私は一体どういう半生を送ったのだろうか
…と、そう続きます。
学生時代に読んだこのエッセーは、
どっちへ向かえばいいのか分からなかった当時の心境にもぴったり重なり、
向田邦子という人に決定的に憧れるきっかけとなりました。
小説や脚本を読みあさったのはもちろん、
向田さんの真似をして、料理に熱中したり、
普段づかいの器に凝ってみたのもこの頃です。
今でもやはり、あこがれの人。
ですから数か月前、
妹の向田和子さんの講演会が大阪であると知ったときは、
迷うことなくすぐ申し込んだのです。
先週、待ちに待ったその講演会。
何度も本で読んだエピソードも、妹さんの口から語られると生き生きとまぶしく、
あぁ素敵だなぁ…とため息がこぼれるような、粋でかっこいい向田さんがそこにいて、
お話を聞きながら、何度もググッとこみあげるものがありました。
終了後、和子さんの著書を買い、サイン会の列に並びました。
私の場合、お目当てはいつもサインではなく、言葉を交わせる一瞬のチャンス。
ですから、何か「ひとこと」伝えたい
そんな気持ちにさせられると長蛇の列に並ぶことになります。
和子さんはサインをしながら、
向田ファンのひとりひとりに丁寧に言葉を返しておられました。
「ほんとうですか…どうもありがとうございます」
「ほんとうですか。今日はありがとうございました」
その声を聞きながら、頭のなかは<なにを言おう…>と忙しくぐるぐる。
<向田さんの作品はぜんぶ読みました>
<猫のマミオのお話、良かったです>
<『手袋を探す』が一番好きです>
大好きな向田さんの妹さんですから、言いたいことは山ほど。
でも、いよいよ私の順番となったとき、出てきた言葉は違うものでした。
「ままやさん、一度でいいから行ってみたかったです」
「ままや」さん。
向田さんの強い願いで、40歳近かった和子さんが開いた小料理屋です。
女性がひとりでぶらりと入れて
蓮根のきんぴらや肉じゃがをおかずにいっぱい飲んで
おしまいに一口カレーで仕上げをする
そんなお店、と本にはありました。
東京の赤坂で20年つづけた「ままや」を
和子さんがお閉めになったのは今から14年前のこと。
そのとき私はもう十分に、お酒を飲める年でした。
「だから、ほんとうにザンネンで…」
思わず口をついた心残りに、
アラ、という表情をして和子さんが顔をあげました。
「ままや、いらしたらガッカリしたかもよ。雑多な店でしたから」
「あら、そうなんですか」と返しながら、
目の前の和子さんが、向田さんのよき妹から、
ご自身を生きたひとりの女性へと変わって見えました。
和子さんもきっとお姉さんのように、
手袋をさがしつづけ、そして「ままや」に出会ったのでしょう。
「気に入らないものをはめるくらいなら、はめないほうがいい」
そう言って、終生、「手袋」をさがしつづけた向田邦子さん。
かっこいい
私もそうやってタンカを切ってみたい
でも実際はというと、私の手袋は
北海道への添乗中、大雪山のロープウェー乗り場で
あまりの寒さにあわてて買った間に合わせ。
しかも、これが妙にしっくりきて…オーロラ添乗でも重宝。
しかも、どこに落としたのか、
昨日からどこを探しても、どうしても片っぽが見つかりません。
まさに、「手袋をさがす」。
やはり、向田姉妹のようにはなれないようです。