ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

南和男『幕末維新の風刺画』

2017-11-04 16:08:12 | 日記 本
10月26日の「錦絵はいかにつくられたか(続編)・・・」で
私はこう書きました。

「幕末のころの錦絵の上に書かれた文を読んで,
 当時の庶民や社会情勢を見てみたいと思っています。」

「やっぱり,幕末近い浮世絵の文が読みたくなりました。」


ありました。ピッタリの本が

実は昨年9月5日に「浮世絵と風刺画」を書いています。
「今日の記事は,主に
 南和男『幕末江戸の文化 浮世絵と風刺画』から書いています。」
と記事をスタートしていますが,
今回読んだ本は同じく
南和男『幕末維新の風刺画』です。

前回の『幕末江戸の文化 浮世絵と風刺画』は
けっこう難しく,また,浮世絵・風刺画自体のことを書いていましたが,
今回の『幕末維新の風刺画』の方は,
一般向け
吉川弘文館 歴史文化ライブラリーということもあり,わかりやすかったし,おもしろかったです。

何が面白いかというと,
風刺画自体のことよりも,江戸の庶民のことを書いているからだと思います。


前置きが長くなりました。

本はペリー来航翌々年,安政2年(1855年)10月2日の江戸大地震から始まります。
『地震年代記』によると,死者13万余,負傷10万余
笠亭仙果(りゅうていせんか)の『なゐの日並(ひなみ)』によると,
地震のあった2日後の4日には『地震火事方角づけ』が所々で売られ,
翌5日にはさらに種類が増加。
この時代について書かれた本によく出てくる『藤岡屋日記』には,
日本橋の品川屋久助が4日に江戸絵図に焼失場所を色付けして100文につき6枚で卸したところ,
大評判になって増刷が間に合わなかったとあるそうです。
その後無断出版400種(『なゐの日並』)
無届出版で逮捕されても銭5貫文ですむという風潮もあり,
地震に関する出版物は多かったのです。

風刺画としての鯰絵(=地震の絵)を見ていくと,
「三職よろこび餅」:大地震後の復興景気で大工・左官・鳶が喜ぶ図
「持丸長者」:市中の富裕者(持丸)は当時の風習として
       施金(ほどこしきん)をせねばならず,
       事故の地震被害に加えて思わぬ出費
鯰絵とその上の文を読むと,
これを世直しと見,
金持ちを懲らしめて,金を吐き出させる鯰や
世直しのために出現した鯰,
「新しい世の中の出現を期待していることを物語るものであろう。」
(『幕末維新の風刺画』31ページ)


鯰絵だけで長くなりました。

地震をはじめ,社会のことだけでなく,
政争や幕府と薩長の争い等も
江戸っ子,風刺絵にかかれば,けちょんけちょん。

あの天璋院(篤姫)も静寛院宮(和宮)も・・・です。
戊辰の春には30万余の風刺画が出版されたとのこと(『藤岡屋日記』)
南氏は
(約300種類,1000枚ずつ。鯰絵は400種ということから考えても,)
「30万余という数字は事実とさほどかけ離れた数字ではないと思われる」
(『幕末維新の風刺画』131ページ)

書くときりがありません。

この本も絶版なのが,残念です。
コメント
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