雨をくだされ,おぉてんとう!
の祈りが届いたのか,昨日から雨が降ったりやんだりしています。

網干の田んぼを潤す,蟠洞川(ばんどうがわ)の今日です。
ちなみに,

昨年11月の蟠洞川(ばんどうがわ)です。
こうやって並べてみると水量の違いがよくわかります。
2日の土曜日には,前回写真の麦畑をコンバイン(?)で掘り起こしていましたが,
特に変化はありません。
他の水が入っているのに田植えしていない田んぼも変化ありません。
もともと,晩稲の田んぼかもしれません。
現代と江戸時代を行ったり来たり(?)しています。
江戸時代の農村風景が知りたくて,児玉 幸多『近世農民生活史』を図書館で借りました。
予想通り,年中行事も書かれています。
また,挿絵もいいです。
『耕嫁春秋』から取っているそうですが,
農業をしたことがない私には,雰囲気がつかめるような気がします。
ところが,『近世農民生活史』はもともとは昭和22年の本。
序論では,まず出てきたのが「牛馬のごとく」という言葉。
そして「連帯責任制度・監視制度・密告制度」
私が中学・高校で習った日本史そのままです。
農民は「年貢を生産するために働いていた。」ともあります。
また,村に関しては,
「村法があり郷例があり,それにそむけば村八分その他の制裁を受けた。」
「八分を受けることは,ほとんど生活できなくなることを意味していた。
水利や入会の権利を制限されることはもとより,結(農民が相互に協力する「結」というものが古くからあって,農繁期に助け合うことが行われてきた。(208ページ))が拒絶され,物資の交換が許されなくなることは,直接に生産に関係することであった。」(252ページ~253ページ)
このような考え方に対して,
田中圭一は『百姓の江戸時代』(もともとは2000年の本。2022年6月文庫化)のなかで,
「江戸時代は厳しい封建社会だったのか?」と疑問を投げかけ,
「法や制度・触書を基本において江戸時代を考えること自体にあやまりがある」(31ページ)とズバズバ述べています。
田中氏の論述には,かなり極端なものがあるとしても,
この間約50年の間に歴史の見方がかなり変わったことには違いないと思います。
4月に書いた,
渡辺 尚志氏の江戸時代の「百姓」に関する本。
『言いなりにならない江戸の百姓たち: 「幸谷村酒井家文書」から読み解く』
『百姓の力 江戸時代から見える日本 』
『百姓たちの水資源戦争 江戸時代の水争いを追う』
からも,50年前との違いが感じられます。
「農民」と「百姓」も気になります。
この違い,
庄屋日誌など地域における古文書の研究がすすんだからではないか・・・
と私は考えます!!!
ということで,今回はここまでにします。
といいながら,おまけ
最近読んだ本から,(おもしろかったので)
速水 融『歴史人口学で見た日本』
「宗門改帳」特に,天領大垣藩預り地その中でも安八郡西条村の史料を中心に,
また,「庄屋日記」も参考に人口調査をしているという部分が一番興味がありました。
西条村の「宗門改帳」は,安永2(1773)年から明治2(1869)年に至るまで,
1年も欠けることなく残っていて,
一人一人について何年にどこに出稼ぎに行ったとか,帰ってきて結婚したとか,子供を産んだとか履歴書を作っていく。
人口構成,人口の増減がわかる。
出稼ぎ奉公に行く年齢,行先もわかる。
男子では,京都,名古屋,大坂の順,女子は名古屋,京都,大坂の順に多いらしい。
江戸は無視してもいいくらい少ないそうだ。
出稼ぎしても,帰ってこないことが多い。
都市に出たものは,都市で死ぬことが多いらしい。
「商家に奉公すると屋根裏部屋にすし詰め状態になって住むことになり,健康であるわけがない。
病気が流行すれば直ちにうつってしまう。
都市の奉公というものは同時にそういう危険もはらんでいた。」(130ページ~131ページ)
農村で溢れた人口は,都市が吸収し,その都市では死亡率が高い。
といったことも,書かれていました。
もちろん,この本には,ほかにも,幕府の調査による全国の人口変動等についても書かれています。
大学の先生は学生を使って調査できるとはいえ,すごい労力!!!です。
さらにおまけ (7月6日)
の祈りが届いたのか,昨日から雨が降ったりやんだりしています。

網干の田んぼを潤す,蟠洞川(ばんどうがわ)の今日です。
ちなみに,

昨年11月の蟠洞川(ばんどうがわ)です。
こうやって並べてみると水量の違いがよくわかります。
2日の土曜日には,前回写真の麦畑をコンバイン(?)で掘り起こしていましたが,
特に変化はありません。
他の水が入っているのに田植えしていない田んぼも変化ありません。
もともと,晩稲の田んぼかもしれません。
現代と江戸時代を行ったり来たり(?)しています。
江戸時代の農村風景が知りたくて,児玉 幸多『近世農民生活史』を図書館で借りました。
予想通り,年中行事も書かれています。
また,挿絵もいいです。
『耕嫁春秋』から取っているそうですが,
農業をしたことがない私には,雰囲気がつかめるような気がします。
ところが,『近世農民生活史』はもともとは昭和22年の本。
序論では,まず出てきたのが「牛馬のごとく」という言葉。
そして「連帯責任制度・監視制度・密告制度」
私が中学・高校で習った日本史そのままです。
農民は「年貢を生産するために働いていた。」ともあります。
また,村に関しては,
「村法があり郷例があり,それにそむけば村八分その他の制裁を受けた。」
「八分を受けることは,ほとんど生活できなくなることを意味していた。
水利や入会の権利を制限されることはもとより,結(農民が相互に協力する「結」というものが古くからあって,農繁期に助け合うことが行われてきた。(208ページ))が拒絶され,物資の交換が許されなくなることは,直接に生産に関係することであった。」(252ページ~253ページ)
このような考え方に対して,
田中圭一は『百姓の江戸時代』(もともとは2000年の本。2022年6月文庫化)のなかで,
「江戸時代は厳しい封建社会だったのか?」と疑問を投げかけ,
「法や制度・触書を基本において江戸時代を考えること自体にあやまりがある」(31ページ)とズバズバ述べています。
田中氏の論述には,かなり極端なものがあるとしても,
この間約50年の間に歴史の見方がかなり変わったことには違いないと思います。
4月に書いた,
渡辺 尚志氏の江戸時代の「百姓」に関する本。
『言いなりにならない江戸の百姓たち: 「幸谷村酒井家文書」から読み解く』
『百姓の力 江戸時代から見える日本 』
『百姓たちの水資源戦争 江戸時代の水争いを追う』
からも,50年前との違いが感じられます。
「農民」と「百姓」も気になります。
この違い,
庄屋日誌など地域における古文書の研究がすすんだからではないか・・・
と私は考えます!!!
ということで,今回はここまでにします。
といいながら,おまけ
最近読んだ本から,(おもしろかったので)
速水 融『歴史人口学で見た日本』
「宗門改帳」特に,天領大垣藩預り地その中でも安八郡西条村の史料を中心に,
また,「庄屋日記」も参考に人口調査をしているという部分が一番興味がありました。
西条村の「宗門改帳」は,安永2(1773)年から明治2(1869)年に至るまで,
1年も欠けることなく残っていて,
一人一人について何年にどこに出稼ぎに行ったとか,帰ってきて結婚したとか,子供を産んだとか履歴書を作っていく。
人口構成,人口の増減がわかる。
出稼ぎ奉公に行く年齢,行先もわかる。
男子では,京都,名古屋,大坂の順,女子は名古屋,京都,大坂の順に多いらしい。
江戸は無視してもいいくらい少ないそうだ。
出稼ぎしても,帰ってこないことが多い。
都市に出たものは,都市で死ぬことが多いらしい。
「商家に奉公すると屋根裏部屋にすし詰め状態になって住むことになり,健康であるわけがない。
病気が流行すれば直ちにうつってしまう。
都市の奉公というものは同時にそういう危険もはらんでいた。」(130ページ~131ページ)
農村で溢れた人口は,都市が吸収し,その都市では死亡率が高い。
といったことも,書かれていました。
もちろん,この本には,ほかにも,幕府の調査による全国の人口変動等についても書かれています。
大学の先生は学生を使って調査できるとはいえ,すごい労力!!!です。
