地元の博物館・資料館巡りー2023秋ー その2
秋晴れの中ドライブすること18分,
昨日,室津海駅館 特別展「近世 湊まち室の賑わい」に行ってきました!
入館券を買おうとすると,以前とは違う職員さんが,建物の説明をしてくださいました。
室津海駅館の建物は廻船問屋嶋屋・・・というところは知っていましたが,
松前でニシンの頭と骨を買って,弁財船で運んで売りさばき,大儲けをしたとか・・・
播磨は綿花の栽培が盛んでニシンの頭と骨は肥料にしたそうです。・・・今まで何度も行っているのに・・・知らなかった・・・。
ほお~!と感動しながら中へ
書くと長くなるので,私のお気に入り2つ紹介(写真撮影可)
「東二見から備前まで灘手村々絵図」(部分)です。
村の名前は楕円形の中に書かれ,藩ごとに色分けしています。
この写真に出ている白い楕円,藩主は京極です。
写真には少ししか写っていませんが,赤は酒井,姫路藩です。
室津のあたりは赤く塗られています。室津は姫路藩の飛地です。
じ~っと見ていると,おじさんが一人,私の後ろから同じ絵図を見ていました。
「すみません。前で。」と私。そして,
「これ,面白いですね。でも,縮尺が正確ではないですね。島(家島諸島)はこんなに大きくないですよね。」
と言うと,そこからそのおじさんの解説が始まりました。 !(^^)!
この絵は海図なので,航路は赤い線で書かれている。
航海に必要なので,岬とかやたら詳しく名前が書かれている。
瀬戸内海を西から東へ行くと,この辺りまでは島が多い。
船にとって,しけたら寄港する場所が必要。
揖保川や加古川の河口周辺は,川から流れてきた土砂がたまり,浅いので,大きな船は入港できない。
(そういえば,揖保川河口での船の座礁や瀬取りのことを聞いたことがあります。)
ここから東は島が少ないし,大坂の港はそんなに広くないので,大名とかは,室津で陸に上がり,山陽道を東へ行く。
室津には本陣が6つもある。そんな港はほかにない。・・・などなど・・・
もっとお話を聞いていたかったのですが,受付の職員さんが来られて,いっしょに行ってしまわれました。
(帰りに聞くと,この解説してくださったおじさんは,今回の展示に協力してくださった牛窓の資料館の学芸員さんだったそうです。)
お気に入り2つめ
「薩州様御通行之節日雇賃控帳」,文久2(1862)年です。
つつ屋
廿七日ゟ四月八日 庄左衛門
一十弐人
同金百疋
大工屋
一同金百疋 政次郎
(・・・かな?・・・以下省略)
私がおもしろいと思ったのは,
大名の宿泊の準備のために日雇い労働者を雇うということ。
そういえば,どっかのテレビ番組で,参勤交代の人員も雇っていると聞いたような気がします。
そして,文久2年の薩摩一行。
この一行は,室津から,太子町の五百井家を通過して,東へ。
京都で寺田屋事件をおこし,江戸へ。
帰りには生麦事件をおこします。
(2016年3月「太子町立歴史資料館「お殿様ご到着」」
2017年9月「たつの市立室津海駅館:常設展より」参照)
室津の景色をぼお~っと眺めながら,駐車場まで歩き,
必死で運転して・・・七曲はキライです (;^_^A
帰りました。
明日,明後日は魚吹八幡神社の秋祭りです \(^_^)/
毎年書いているので,今年はパスします。
秋晴れの中ドライブすること18分,
昨日,室津海駅館 特別展「近世 湊まち室の賑わい」に行ってきました!
入館券を買おうとすると,以前とは違う職員さんが,建物の説明をしてくださいました。
室津海駅館の建物は廻船問屋嶋屋・・・というところは知っていましたが,
松前でニシンの頭と骨を買って,弁財船で運んで売りさばき,大儲けをしたとか・・・
播磨は綿花の栽培が盛んでニシンの頭と骨は肥料にしたそうです。・・・今まで何度も行っているのに・・・知らなかった・・・。
ほお~!と感動しながら中へ
書くと長くなるので,私のお気に入り2つ紹介(写真撮影可)
「東二見から備前まで灘手村々絵図」(部分)です。
村の名前は楕円形の中に書かれ,藩ごとに色分けしています。
この写真に出ている白い楕円,藩主は京極です。
写真には少ししか写っていませんが,赤は酒井,姫路藩です。
室津のあたりは赤く塗られています。室津は姫路藩の飛地です。
じ~っと見ていると,おじさんが一人,私の後ろから同じ絵図を見ていました。
「すみません。前で。」と私。そして,
「これ,面白いですね。でも,縮尺が正確ではないですね。島(家島諸島)はこんなに大きくないですよね。」
と言うと,そこからそのおじさんの解説が始まりました。 !(^^)!
この絵は海図なので,航路は赤い線で書かれている。
航海に必要なので,岬とかやたら詳しく名前が書かれている。
瀬戸内海を西から東へ行くと,この辺りまでは島が多い。
船にとって,しけたら寄港する場所が必要。
揖保川や加古川の河口周辺は,川から流れてきた土砂がたまり,浅いので,大きな船は入港できない。
(そういえば,揖保川河口での船の座礁や瀬取りのことを聞いたことがあります。)
ここから東は島が少ないし,大坂の港はそんなに広くないので,大名とかは,室津で陸に上がり,山陽道を東へ行く。
室津には本陣が6つもある。そんな港はほかにない。・・・などなど・・・
もっとお話を聞いていたかったのですが,受付の職員さんが来られて,いっしょに行ってしまわれました。
(帰りに聞くと,この解説してくださったおじさんは,今回の展示に協力してくださった牛窓の資料館の学芸員さんだったそうです。)
お気に入り2つめ
「薩州様御通行之節日雇賃控帳」,文久2(1862)年です。
つつ屋
廿七日ゟ四月八日 庄左衛門
一十弐人
同金百疋
大工屋
一同金百疋 政次郎
(・・・かな?・・・以下省略)
私がおもしろいと思ったのは,
大名の宿泊の準備のために日雇い労働者を雇うということ。
そういえば,どっかのテレビ番組で,参勤交代の人員も雇っていると聞いたような気がします。
そして,文久2年の薩摩一行。
この一行は,室津から,太子町の五百井家を通過して,東へ。
京都で寺田屋事件をおこし,江戸へ。
帰りには生麦事件をおこします。
(2016年3月「太子町立歴史資料館「お殿様ご到着」」
2017年9月「たつの市立室津海駅館:常設展より」参照)
室津の景色をぼお~っと眺めながら,駐車場まで歩き,
必死で運転して・・・七曲はキライです (;^_^A
帰りました。
明日,明後日は魚吹八幡神社の秋祭りです \(^_^)/
毎年書いているので,今年はパスします。