もう譲ってしまったけれど、七段飾りの古い雛人形があった。
長い間放置されていたのを押しつけられたような形で引き取ったのだが、昔の物だけに、人形の顔立ちが大人びて、道具の仕様もなかなか凝っていたので、何度か飾ったことがある。
飾り方を知らなかったので、説明書を見ながらどうやらこうやら形にしたが、収納は飾るときの数倍時間がかかり、ひどく疲れて、これほどに手間ひまのかかる作業に毎年取り組んだ昔の人にあらためて敬意を表したものだ。
しかし最近、雛人形を飾るのはその過程に意味があると思うようになった。小さな人形をひとつひとつ箱から出し、細工を痛めないよう丁寧に飾り、またひとつひとつ埃を払って整然と仕舞う。
母から子供たちへ、物を愛おしみ、支度し、始末し、片づける、という物と心を通わせる仕方を、言葉ではなく、形で伝えつつ顔を合わせては言いにくいことをさりげなく語り合う。
春を迎えたばかりの明るい部屋の片隅に流れるそんな優しいひとときを、雛人形が醸し出してくれるだろう。
男女の役割も変わり、女性の幸せがいわゆる「嫁入り」ではなくなった現代、雛祭りは、娘や息子との取り戻すことのできない貴重なひとときを過ごすものと考えても良いのではないだろうか。
でも、春の衣装をまとった様々な年代の女たちが、雛壇を前にひそやかにささやきあう谷崎潤一郎の世界も捨てがたい。中身は聞かぬが花。(笑)
みけねこ姫のひな人形は実家である父の家の押し入れにあるはずです。
幼い頃、母と共にそっと出し、そしてそっとしまったことを思い出します。
その母も故人となりました。
幼い日の思い出です。