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[Rick Bowmer/AP 撮影] 

昨日7月3日、末日聖徒イエス・キリスト教会の十二使徒定員会会長ボイド・K・パッカー長老は老衰のためソルトレークシティで亡くなった。1970年に十二使徒に召され、1994年以降同定員会会長の職にあった。モルモン教会の保守主義を擁護する筋金入りの、最高指導者として知られた。大管長職を継ぐ最も近い地位にあった。

パッカー長老は第二次大戦に米軍の爆撃機操縦士として参戦し、太平洋の戦場で戦っている。1945年11月、フィリピンマニラから厚木に空軍少尉として日本に駐留し、名古屋で佐藤龍猪夫妻が福音を学んでいることを知る。そして、翌年7月7日兵庫県西宮市にある関西学院大学のプールで佐藤姉妹にバプテスマを施すことになる。(龍猪はE・リチャーズから受けた)。その後1961年に十二使徒補助に召され、以来日本との関わりが深く、たびたび来日して日本の教会指導、奨励に当たっている。

ただ、高齢に達してから、教会を守ろうとする断固たる姿勢が強く出るようになり、1993年9月に6人の学者、研究者が一度に破門ないし会員籍剥奪されることになった。これは地方の問題に中央が介入したことで教会の方針に反することであったが、そのことを問われた使徒(DHO)は「白髪まじりのクマを御することはかなわない」*と答えたという。また、比較的最近では、2010年総大会で同性愛について、同性に惹かれるこの傾向は不純で自然に反するものである、と語り、自殺者を出したりし、教会内外に波紋を呼んだ。

彼自身、自分の断固たる態度(頑固に近い)は四分の三がデンマークの血を引いているから、と語ったと伝えられる。いずれにせよ、教会の世代交代と時代の変化を感じさせる昇天である。

参考
* Mormon Chronicles Oct. 11, 1993
Mormon Leader Boyd K. Packer dies -- a man of wit, known for tough talk, http://www.sltrib.com/home/2694491-155/boyd-packer-dies-lds-church-confirms
当ブログ 2011/03/19 同性愛に関するパッカー長老の説教 
高木信二、ウイリアム・マッキンタイヤ「日本末日聖徒史 1850-1980年」ビーハイブ出版、1996年
森駒枝「佐藤龍猪:隠され居りし学者の生涯」(株)フリーマン、2005年


コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )



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コメント
 
 
 
Unknown (Unknown)
2015-07-04 22:27:02
ヒンクレー大管長が召されてからモンソン大管長が召されるまでの間は、確か十二使徒定員会会長代理としていたはずですが。
 
 
 
確かに (NJ)
2015-07-04 22:38:44
そうですね。気づいていました。1994/06/05-2008/01/27 の定員会会長代理も実質上会長に同じとみて、上記のように記述しました。

しかし、ご指摘、ありがとうございました。

(彼が代理である間、本当の会長を兼務していたかもしれない方はその機能を果たしていたとは思われません。制度上の便宜ないし申し合わせがあったかもしれませんが、BKPはそれほどに強力だったと思います。)
 
 
 
保守の砦逝く。 (オムナイ)
2015-07-07 11:17:11
パッカー長老の説教はアロン神権者のテキストに多く引用されていたように思います。

青少年や改宗者は、保守的思想から学ぶべきであると個人的には思っているので大変残念。

霊界での辣腕に期待してます。

 
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