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6月20日(土)午後、東京八重洲ホールで開かれた「LDS聖研グループ研究会」の第二部は、モルモニズムの歴史(日本関連)、神学、文学の分野で3人の研究者が発表した。いずれも時間一杯使って、丹念に準備した資料(パワーポイント)を用いて語りかけた。

 [津田政廣氏]

 まず、津田政廣兄弟は「アルマ・O・テイラーを支えた明治のリベラルな知識人達」というテーマで、主としてテイラーの日記(厳密にはリード・L・ニールソンの同名の博士論文)をもとに、末日聖徒の日本伝道黎明期について興味ある出来事や人物を紹介した。日記に登場する15人の中から3人(廣井辰五郎、高橋五郎、平井金三)を選んで紹介した。H.J.グラントはじめ最初の宣教師が来日した時、メディアは多妻のことでこぞってモルモン教を酷評する中、論壇で活躍していた三人はリベラルな立場からモルモン教に理解を示し、助けたのであった。明治期、そうそうたる思想家たちが日本を率いたが、伝道部の開設に際しその中のリベラルな知識人が関心を示し、協力したことは大変興味深い。

 [池川寿雄氏]

 次に四国から駆けつけた池川寿雄氏が「示現」(vision)について綿密な研究成果を発表した。主にジョセフ・スミスの最初の示現に焦点を当てていた。BYUの物理・天文学教授ジョン・コルトンが最初の示現のある版を読むと、霊的な出来事を述べているように思われると指摘していること、パウロが祈っていて夢心地になって幻を見たことやダニエルがやはり夢を見、脳中に幻を得たという事例などから、示現を受ける環境は夢心地(現実から離れているような雰囲気)である、と考察する。そしてマービン・S・ヒルが、同じことが三人の見証者についてもいえると言っているのに注目する。結論として、「最初の示現でJ.S.は神とイエスに会った(・・を見た)」と普通言っているが、むしろ「神に会う幻を与えられた」あるいは「神に会ったという示現を見た」と言うべきではないか、と提言する。
 私は、発表者の結論は神学的な理解、表現であり、何ら問題はないと思う。ただ、一般の教会員にしてみれば、J.S.の見神を受け容れている前提から普段の表現では、単に「(視覚的に)見た」と言う言葉使いとなっている。コルトン、ヒルなどと同様、池川氏は「示現」の厳密な解釈を追及して、本当は上の結論のように表現する方が正しく、教徒にとっても益になるのではないかと言う。この発表が最も今回の研究会らしいテーマであり、内容であった。

[Andrew Hall教授]

 そして、九州大学准教授であるアンドリュー・ホール兄弟が、最後に「モルモン文学会(Association of Mormon Letters)の活動について」講演した。彼は冒頭、講演に入る前に第一部の「戦後70周年を迎えて」の発表に関して、「私たちは罪びとであって(パウロ)、私たちの責任は謝ること」である、とコメントした。私はここに彼の歴史学者としての面目があったと見ている。(彼はアメリカや日本の近現代史を客観的にとらえている。)
 彼は専門が歴史であるが、モルモン文学会に所属しその運営に大きな役割を果たしていて、モルモン文学にも通暁している。彼によれば、モルモン教会はエライザ・スノーのような秀でた詩人を初期の時代から輩出しているが、実際はキンボール大管長が1977年に教会からもっと深くしっかりした文学が産出されてよい、と呼びかけて以降、少しずつ出てきたと言う。リーバイ・S・ヤングは信仰に関わる難しい局面にどう対処すべきか描いていて、大変興味がある、と語った。BYUでユージン・イングランドから影響を受けたことに触れると、K. ギルバートもこの著者の重要性について意見を述べていた。そしてオーソン・スコット・カードについて時間を割き、「辺境の人々」はお薦めである、と話した。カードを除いて日本の会員には馴染みが薄い人物が多いが、モルモン教を背景とした文学が多数出ていることを知って、教会の層の厚さのようなものが感じられ、益するところがあった。

ホール兄弟の発表詳細はこちら。また、このブログ記事に対するコメント欄、最初の三つも具体例をあげている。


コメント ( 10 ) | Trackback ( 0 )



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コメント
 
 
 
Unknown (ホール)
2015-06-25 23:19:09
モルモン教の日本人の文学
若桜木 虔(1947年 - )(稲村直彦)
『少年検事白鳥暁シリーズ』 秋元文庫
「 コバルトブルー誘拐事件」1977、「ダークブラウン強奪事件」1977、「 スカイブルー失踪事件」1978、「グリーン予告殺人事件」1978
あすか あきお (飛鳥 昭雄)。邪馬台国の大真実。講談社, 1992.
斉藤 由貴 『Noisy』 角川書店 1994
川満 ダグラス 哀行. 『Heart Prints ~命の花~』.文芸社 (2010)
 
 
 
カード (ホール)
2015-06-25 23:22:34
オースン・スコット・カード 
『エンダーのゲーム』(1985年)と『死者の代弁者』(1986年)でヒューゴー賞とネビュラ賞を受賞した。両賞を連続受賞した作家はカードだけ
『ゼノサイド』 (1991)
「消えた少年たち」1992
《帰郷を待つ星》シリーズ モルモン書のSF小説化地球の記憶 The Memory of Earth(1992) 地球の呼び声 The Call of Earth (1992)
「辺境の人々」 The Folk of the Fringe (1989)
《アルヴィン・メイカー》シリーズ
パラレルワールド(並行世界)「オルタナティブ・ワールド」な植民地以降のアメリカ。まじないや呪術が普通に信じられ、また効力を持っている。「賜物」
『奇跡の少年』 Seventh Son(1987)
『赤い予言者」 Red Prophet(1988)

 
 
 
SF、ヤングアダルト小説 (ホール)
2015-06-25 23:26:29
SF: ブランドン・サンダースン「エラントリス」「ミストボーン」「王たちの道」

ヤングアダルト小説
ステファニー・メイヤー『トワイライト』シリーズ

シャノン ヘイル    ファンタジー 、女性のフィクション
「プリンセス・アカデミー」、「ぐーす・がーる」
(長くなる。後でAMLブログで全部載せる。)
 
 
 
Unknown (Unknown)
2015-06-26 05:04:15
長年モヤモヤした感覚があったが、池川氏の説を聞いて、目から鱗が落ちた気がしました。 

ジョセフスミスは肉眼でこれを目撃したというよりは啓示によって、天父とイエスキリストにまみえたということなのだろう。

だから教会はファーストビジョン(最初の示現)という表現を選んで宣教師にもそう言わせている。

聖典にも父を見た者は誰もおらず、子だけが父を現したという一節があって、

子は父よりすべてを任されて、地上にやってくることがあるが、父は裁きの前に決して罪深い地上を来ることはないと信ずる方が、むしろモルモンの教義に適っていると思われるから。

 
 
 
『幻ではなかった (Unknown)
2015-06-26 06:29:19
私は実際に天使に会ったのだ』とデビッド・ホイットマーは教会を離れた後も言ってますし、集団催眠ではなかったのかとの質問にも否定しておりますね。

ジョセフは実際に人と人が顔を合わせるようにして神にまみえたのだと、歴代の生ける予言者、末日聖徒イエス・キリスト教会の大管長は証言しております。

しかしながらそうした主張を続けると現代社会からは「どうしてそんな簡単なウソを信じて、変な宗教にひっかかってるの?」とバカにされるので、なんとか世間と迎合しようとあの手この手の言い訳ロジックを考えていらっしゃるのがNJ先生をはじめ知的モルモンの方々なのです。

知的モルモンの方々は存在しないと気付いている鉄の棒を握りしめながら、存在しないとわかっている白い実のなる木へと進んでいく振りを続けていらっしゃる勇気ある方々なのです。

彼らは振りを続けることが信仰だと思っていらっしゃるようなのですが、私にとってそうした振る舞いは不誠実以外の何でもありません。

まぁそれはそれで結構なことですのでモルモン教会を面白くするために頑張っていただきたいです。私は高い建物の窓ら指をさして嘲笑しながら皆さんのご活躍を応援しております。
 
 
 
人物、作品名補充 (NJ)
2015-06-26 09:25:53
ホール先生、コメントで補充してくださり有難うございます。
 
 
 
Unknown (Unknown)
2015-06-26 13:17:01
モルモンの文学と申しますが所詮はエクスプロイテーション映画のような範囲に収まるものでしかないのでは?

決してメジャーになることはないが一定のニーズを満たすので、採算の範囲で細々と作り続けていくであろうマイナー作品、そんな感じです。

モルモンの教義は内向的で、普遍性がなく、偏狭で融通の利かない価値観を押し付けているものですし、しかもそれを素直に信じてきた純真なモルモン会員たちを達をこのブログの常連さんたちは否定的に見ているわけです。

ならば果たしてモルモンの本質はどこにあるのか?と言う話です。それで文学などと言えるのかなと疑問が過ります。

たまたま商業的に成功した一信者を持ち上げて人気に肖ろうとしているならば単なる広告塔か客寄せパンダに過ぎません。
 
 
 
手厳しい指摘 (NJ)
2015-06-26 15:40:33
仰る指摘は理解できます。そう指摘される一つの原因は literature の訳「文学」が与える概念の相違にあり、いつも気になっています。コメント有難うございます。

英語のliterature には、「特定の時期、国など(ldsの背景を持つ人々も一つのグループ)で書かれた全ての書かれたもの」という広義の意味もあって、私も少なからず違和感を感じています。

より適切には、「末日聖徒(モルモン)が産出した文献・文筆活動、(文学的)著作、文学的作品」くらいになるのでしょうか。今後、気をつけて探してみます。

(学術面の論文、著書などは入ってきません)。
 
 
 
研究といえば (Unknown)
2015-06-26 21:44:22
研究といえば、いまFacebookの私はモルモンですグループの固定された投稿のところで活発な議論がやりとりされています。NJさんもめから鱗な内容だと思います。
 
 
 
Unknown (Unknown)
2015-07-07 00:59:31
モルモン文学(文化?)の担い手として名前の挙がった方について調べました。

【飛鳥昭雄】
末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)の信者であり、実際に著作では教義を反映した内容が述べられていると指摘されている
90年代には、自著の中でNASAから流出したという「天体写真」を取り上げ、この写真を根拠に反地球第12番惑星ヤハウェの存在を主張したが、後に『コスモス 宇宙』(旺文社)に掲載された、土星の衛星タイタンの模型の写真を加工して画像処理していたことが判明している。
(wikipediaより)

【若桜木虔】
師弟関係にあった女性、瑞納みほと共同のペンネーム「霧島那智」により仮想戦記ものを多数出版。しかし当初の約束であった瑞納みほの「一作家としての独立」はうやむやにしたまま、自身の主催する小説家養成セミナーの講師や事務処理などに彼女を都合よく使役する。怒った瑞納みほが共同作業の解消を持ち出すと「妻とは別れる、君と結婚したい」と突拍子もないことを言い出した・・・のだそうです。
(瑞納みほのサイトより http://homepage2.nifty.com/muraji/Miho-Mizuno.web.wake%5B1%5D.htm

何だかもう最低な人たちばかりですね。
妄想癖が強く平気で物事を捏造したり女性にだらしない・・・ああ、教祖のジョセフ・スミスもそんな人でした。そうか、ちゃんとモルモンの文化を反映してますね。
 
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