現在の小田原城が復元されたのは1960年。築年数も50年を越え、最近では木造での建替えや耐震補強のなども議論されている。先日、小田原城天守閣に関する郷土史の本の中に興味深い記述を見つけたので、その内容を確認するために小田原城に出かけた。 現在の小田原城天守閣の再建は、昭和35年の小田原市制施行20周年の記念事業として行われたもの。設計は工学博士の藤岡道夫氏、施工は松井建設株式会社で総工費は約八千万円。1年3ヶ月の工期を以って竣工した天守閣は鉄筋コンクリート造りの三層高欄廻縁付きの複合天守閣。 その小田原城使用されている瓦は実に20種類以上で総数は63,440枚とのこと。瓦を製造したのは奈良市の会社で、小田原城に使われる瓦は貨物列車で数回にわたり輸送された。 今回、小田原城を訪れたのは、郷土史の本の記述にあった瓦の家紋を見るため。城の瓦には城主の家紋が使われることが多いが、小田原城の瓦のほとんどが徳川家の三つ葉葵とのこと。ズームしてみると確かに三つ葉葵だらけ。小田原城主は北条氏から番城を経て、大久保氏や稲葉氏などの時代があったが、今まで発掘された瓦はほぼすべてが三つ葉葵で、当時もそれら小田原城主が家紋を天守閣には使うことを許されていなかったようである。 ただ、現在の天守閣で例外なのが鯱直下の大棟正面の鬼瓦で、昭和天守閣を象徴するように小田原市章が刻まれている。下からだとなかなか綺麗に撮影できるポイントが無いが、確かに小田原市章の鬼瓦が確認できた。 一方、小田原城のある本丸広場にある常盤木門は小田原城より11年後の1971年の復元。 その常盤木門の屋根瓦は、巴瓦には三つ葉葵、鬼瓦には小田原市章が刻まれている。 もっと近年に復元された屋根瓦を見るために銅門へと移動。銅門は1997年の復元。 銅門の屋根瓦は巴瓦には一般的に良く見られる巴紋だが鬼瓦には小田原城主の大久保家の家紋が刻まれていた。このほか隅櫓の屋根瓦は無地の瓦が使われていて、瓦に関しては結構一貫性のない復元になっている。現在の小田原城が建替えになるのか耐震補強されるのかは分からないが、次の小田原城に葺かれる瓦はどのような紋が刻まれるのかが気になるところ。
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