表現アートと言えば、まず「ムーブメント」。
今までも、何回かは、少しやったことがありますが、
「これイヤだわぁ。苦手。」
という思い出が残っただけだった。
「自分が動きたいように、体を動かしてください。」
という、簡単な教示が与えられ、さまざまな音楽がかけられます。
恥ずかしくないように、部屋は薄暗くなり、隣の人とぶつからないように薄目だけを開けて行います。
が、これが、本当に難しい。
「動きたいように」って言われても、自分がどんな動きをしたいのかが、もうわからない。
しようがないから、とりあえず動いてみるんだけど、それが自分の気持ちとフィットしてるかどうか
全然わからない・・・フィットしてない気がする・・・変・・・難しい・・・
「体」で表現をすると、「思い通りに自由に動く」「思い通りに自由に表現する」
ということから、いかにかけ離れた日常を送っているのか、今更のように確認できます。
だって、「思ったように動けていて、気持ちがいい」という、その感覚が「わからない」のですからね。
つまり、そのくらい、「その感覚を使っていない」ということです。
この感覚を自在に使いこなし、「自分がしたいように動く」ことができ、それに
満足感、幸福感、達成感などを感じることができるのは、だいたい日本人なら、
5歳くらいまでじゃないかと思います。
内側の感覚と、それを表現することが完全に一致している、すばらしい状態です。
さて、アラフィーのワタクシは、半世紀近い時を越え、再びこの状態を取り戻すことができるのか!?
写真は、内側の感覚に耳を傾けるため、散歩をしながら撮影した秋の木々達です。
今までも、何回かは、少しやったことがありますが、
「これイヤだわぁ。苦手。」
という思い出が残っただけだった。
「自分が動きたいように、体を動かしてください。」
という、簡単な教示が与えられ、さまざまな音楽がかけられます。
恥ずかしくないように、部屋は薄暗くなり、隣の人とぶつからないように薄目だけを開けて行います。
が、これが、本当に難しい。
「動きたいように」って言われても、自分がどんな動きをしたいのかが、もうわからない。
しようがないから、とりあえず動いてみるんだけど、それが自分の気持ちとフィットしてるかどうか
全然わからない・・・フィットしてない気がする・・・変・・・難しい・・・
「体」で表現をすると、「思い通りに自由に動く」「思い通りに自由に表現する」
ということから、いかにかけ離れた日常を送っているのか、今更のように確認できます。
だって、「思ったように動けていて、気持ちがいい」という、その感覚が「わからない」のですからね。
つまり、そのくらい、「その感覚を使っていない」ということです。
この感覚を自在に使いこなし、「自分がしたいように動く」ことができ、それに
満足感、幸福感、達成感などを感じることができるのは、だいたい日本人なら、
5歳くらいまでじゃないかと思います。
内側の感覚と、それを表現することが完全に一致している、すばらしい状態です。
さて、アラフィーのワタクシは、半世紀近い時を越え、再びこの状態を取り戻すことができるのか!?
写真は、内側の感覚に耳を傾けるため、散歩をしながら撮影した秋の木々達です。