アートセラピー「心のお絵かき」の世界

アートセラピストで妻で母で女の、楽しく豊かでゆるい人生後半日記。

いい感情を選べ 3

2009-10-23 13:27:05 | 心や気持ちのお話
まあ、ですから、結局は
「せっかく楽しいことしてるんだから、罪悪感なんて感情を選択しないで、シアワセ感の方を
選択しなさいよ。」

ということです。

自分の体が自分のものであるように、自分の心、気持ち、感情も自分のものです。

「右手を上げよう。」
と思ったら、左手ではなく右手を上げることができるように、
「この感情を感じよう。」
と思ったら、その感情を感じるのです。

誰かに、無理やり右手を上げさせられているのではないように、誰かのせいで、
無理やり、その感情を感じさせられているわけではありません。

体も心も、自分のものですから。

だから、
「やっぱり、右手じゃなくて左手を上げよう。」
と思えば、左手を上げますし、
「やっぱり、罪悪感の感情じゃなくて、喜びの感情を感じよう。」
と思えば、喜びを感じるわけです。

ただ、早さが違うのよね。

心の方が、うんと早く動いてしまいます。
だから、自分の意志とは無関係にそうなるって、思ってしまうのが、難しいところですね。

ただ、「自分の感情は、自由自在に選択できる」とわかっているだけで、ずいぶん
違うんです。

自分の感情に振り回されて疲れ切ってしまったり、変に誰かを逆恨みしないですみますから。

もちろん
「わかりました。じゃ、いい感情を選択し続けます。」
なんていうほど、甘くないことは、ワタクシ、よ~く知っています。

長年にわたる、心のクセがしっかりありますからね。

だから、私も「練習中」なんです。

いい感情を選べ 2

2009-10-22 17:04:28 | 心や気持ちのお話
このブログでもたびたび話に出るハワイの知人が、今月初めに一時帰国して、
また、いろいろとおもしろい話をしてくれました。

そのなかで、やはり「罪悪感」のことが話題にのぼりました。

「日本人の、特に女性は、真面目だからねぇ・・・。罪悪感感じるの、得意だよねえ。」

そして、こんな話をしてくれました。

彼女は、けっこうグラマーな体型をしています。
ある時、ハーゲンダッツのチョコレートバーにはまってしまった。

もう、おいしくておいしくて、3ヶ月の間、毎日食べ続けた。
多い時には、一日に3本も食べたんだそうな。

そして、チョコレートバーを食べている時は、ひたすら
「このチョコレートバーを食べて、私はとてもとてもシアワセ。」

と、「シアワセ」「うれしい」という感情のみを感じ続けたのだそうです。

結果、どうなったかというと、全く体重は変わらなかったそうです。

「これがさぁ、<こんなに毎日チョコレートバー食べてたら、太っちゃうかもしれない。>
とかさぁ、<太るのわかってるくせにやめられない私ってダメなオンナ>みたいに考えて、
それでも食べたいから、ホントは食べちゃいけないのにって、なんとなく罪悪感感じながら
食べてたら、本当に太ったかもしれない。なにより、そんな風な気持ちで食べたって、
ちっともシアワセになれないわよねぇ。」

それから、こんな話も。

ある喫煙者に、医者だったか神父さんだったかが(すいません。アラフィーだから
勘弁して)
「あなた、タバコを吸う時は、<このタバコのおかげで、自分は心からリフレッシュできる。
あぁ、ありがたい。>
って思って吸いなさい。そうすれば、きっと害は無いよ。
でも<このタバコを吸ったら、癌になるかもしれない。>って思いながら吸ったら、
そうなってしまうかもしれない。」

なるほど。

やっている行動は全く同じでも、その時の気持ちで、ずいぶん違ってしまうのね。

いい感情を選べ

2009-10-21 12:57:29 | 心や気持ちのお話
うまくしたもんで、「今日は書くこと無いなー。」と思ってると、貴重なコメントを頂いて
書くことが出てきます。

「あてもなく、ぶらぶらしていると、罪悪感さえ感じてしまう・・・。」

というコメント。
私も全く同感です。

だから、ホントは、ものすごーく楽しくて幸せなはずなのに、うしろめたい居心地の悪さを感じてしまう。

みんな、一生懸命働いているのに、ひとりでこんなに遊んでるなんて、いけないことだ・・・
自分は怠け者だ・・・。

実際、そんなこと言う人は誰もいません。

それどころか
「良かったねぇー。楽しかった?話聞かせて。」
とか、
「そういう時間も必要よねぇー。」
とか言ってくださる方ばかり。

逆の立場だったら、間違いなく私も、そう言うと思います。

でも、自分となると、そうはいかない、なぜか。
  
ただ、完全に、
「そういうことはいけない。」
と、自分を許さなかった時は、ぶらぶら出かけるなんてこと、決してしなかったのだから、
だいぶ、のんびりする自分を許してあげられるようになったんだよね。

実際は、誰も何も言わないのに、勝手に罪悪感を感じてしまう。

いえ、勝手に感じているんじゃありません。

私が「罪悪感」を選んでいるんです。自分で。

何故?
「いけないことしてるって、そう言われたから」

誰に?
そう、「内なる親、インナーペアレンツに」です。

感情の選択は、秒速の早さで行われます。
だから、ほとんど、オートマティックに感じられます。
だから、「勝手に感じてしまう」
というふうに思ってしまうのです。

あー、長くなってきた・・・続きはまた。


秋のバラ

2009-10-20 16:54:13 | 日記
欧風庭園に行った目的のひとつは、「秋のバラが、見頃なのではないかしら。」
と思ったからです。

行ってみてわかったのですが、春のバラと秋のバラは、だいぶ趣が違うのですね。

春は、もうこれでもか!というくらい、枝もたわわに、これがバラかい?という勢いで咲き誇ります。

豪華で美しくて、生命力にあふれています。

そういうイメージで見に行ったから、あまりにも違ってちょっとびっくり。

「秋のバラは寂しい。」
と言っていた父の言葉を思い出しました。

ひっそりと、ぽつりぽつりと咲いているのです。

まるで、忘れ去られた花みたいに。

咲いている姿が、深く物思いにふけっているように見えます。

静かな友人です。

秋の空気にぴったり。
本当に、自然というのは、よくできているものです。

寂しげなたたずまいなのですが、色が冴えわたって深い色合いなのも印象的です。

いまのワタクシには、秋のバラの方がいいな・・・。

欧風庭園

2009-10-19 15:40:41 | 日記
もう、2年ほど前から「一度行ってみたい。」と、資料を冷蔵庫に張り付けていた
欧風庭園に、今日やっと、行って参りました。

先日の横須賀美術館もそうですが、この春、下の子が大学に入ってから、
「いつか、行ってみたい。」
と思っていた所に、ぼちぼち出かけられるようになってきました。

まあ、今までいろいろありまして、「出かける」ということを、めったにしないワタクシでした。

幸か不幸か、ワタクシの住処は、大変便利な所でして、警察・市役所・スーパー・病院・郵便局・・・
ほとんど徒歩圏なのです。

ですから、「出かける」「電車に乗る」などというと、途端に緊張してしまう。

で、今、おそるおそる「出かけ」始めているわけです。

「す、すこし、お外にでなくては・・・。」

しかし、
「ここに行って、○○をする。」
というような明確な理由や目的が無く、出かけるというのは、なかなか、自由気ままでいいようで、
実際は、変に緊張してしまうワタクシであります。

こんなに、あてもなく、きれいな庭を散歩しているのが、なんかすごく、申し訳ないような
居心地悪い気分になってしまい、しばらくは落ち着きませんでした。

「ゆとり」とか「贅沢なオトナの時間」などを味わえない自分にあらためて気づき、
「う~ん、こりゃいかんなぁ・・・。」

長年の、自分のクセを変えるというのは、なかなか難しいものですねぇ。

それでも、広い庭園のあちこちに置いてある、すてきなベンチに一人腰を下ろし、
しばらくぼうっと、木々のそよぎやちらちら動く木漏れ日を眺めて、落ち着くことができました。

平日の昼間でしたので、あたりは本当に静かでした。

絶え間なく動く木の葉が、さわさわと話しかけてくれるようで、
「ああ、こういう感覚は、一人でないと味わえないな。」
と思いました。

さらに、ささやく木々を見つめ、耳を傾け続けていると、フッと自分の中の落ち着かなかった何かが
足下の地面におりたような感じがして、
「ああ、もう大丈夫だな。」
と思いました。