真言宗智山派瑞応山 大報恩寺(京都市上京区)
大報恩寺は、鎌倉時代初期の承久3年(1221年)に、求法上人義空(藤原秀郷の孫)によって建立されました。俗に千本釈迦堂とも呼ばれるお寺です。
大報恩寺の本堂を造営する際、大工の棟梁であった長井飛騨守高次が、代りのない柱の寸法を切り誤ってしまい困っているのを見た妻のおかめが、斗組を用いたらどうかと提案し、無事本堂を完成させることができました。
しかし、おかめは女の提案で夫が大任を果たしたことが知れてはと、上棟式を待たずに自害してしまったという伝説があります。このため、京都では棟上げ時の御幣におかめ(お多福)の面を飾る風習があるそうです。
首途八幡宮(京都市上京区)
首途八幡宮(かどではちまんぐう)は、承安4年(1174年)、ここから源義経が奥州平泉に旅立った場所でした。
西陣の織物屋さんの店頭にNHK大河ドラマ『どうする家康』のポスターがありました。
ドラマの中でムロツヨシさん演じる豊臣秀吉が着てる絢爛な衣装にこのお店の金糸が使われてるということでした。
今年ハマった『どうする家康』ゆかりの物に出会えるとは、何たる偶然
白峯神宮(京都市上京区)
白峯神宮は幕末・明治期に孝明天皇、明治天皇が平安末期の保元の乱で讃岐に流された崇徳上皇の霊を慰めるために創建した神社です。
摂社の地主社
白峯神宮の社地は蹴鞠(けまり)の宗家であった公家の飛鳥井家の屋敷跡地で、摂社の地主社に祀られている精大明神は鞠の守護神です。
そのため、今ではサッカーや球技全般の神様とされ、サッカー・球技上達を願う人達の聖地になってます。境内にはサッカー選手やサッカー漫画の作者が奉納したボールが飾られてました。
清明神社(京都市上京区)
ずっと来てみたかった安倍晴明を祀る清明神社を初めて訪れました
夢枕獏氏の小説『陰陽師』シリーズやその映画で有名になった平安時代の陰陽師 安倍晴明(あべのせいめい)。
管理人は荒俣宏氏の小説『帝都物語』シリーズで陰陽道に興味を持つようになりました。帝都東京の破壊を目論む陰陽の術を操る魔人 加藤保憲とそれを防がんとする人々の戦いを描いた壮大な伝奇小説でした。
安倍晴明像
延喜21年(921年)に生まれた安倍晴明は陰陽師 賀茂忠行・保憲父子に陰陽道・天文道を学び、40歳で陰陽寮(天文、暦、占いを編纂する朝廷の機関)に属し、51歳になって天文博士に任命されました。役人としての出世は遅かったものの、早くから清明の占いや陰陽道に関する類稀なる才能は貴族にも知れ渡っており、歴代の天皇や藤原道長の信頼を得ました。
境内に一条戻橋(いちじょうもどりばし)のミニチュアがありました。
堀川に架かる現在の一条戻橋は平成7年(1995年)に架け直され、それ以前の一条戻橋の実際の部材を使って再現されたものです。
これが現在の一条戻橋
安倍晴明はこの橋の下に式神を隠していたと云われてますね。
安倍晴明が使役したと云われる式神は、人心から起こる悪行や善行を見定める役目を務めていた妖怪・鬼神のようなもの。式神を家に置いておくと清明の妻が怖がったので、この橋の下に隠していたんだとか。。。
安倍晴明も奥さんには頭が上がらなかったんですね
護王神社(京都市上京区)
今年2月に続いて、この時も和気清麻呂を祀る護王神社に参拝しました。
和気清麻呂がイノシシに助けられたという逸話から、境内のあちこちにイノシシの意匠やグッズが飾られていました
烏丸御池でIT関係の試験を受け終えて外に出ると、陽も落ちて、もう真っ暗。。
歩き疲れていたから、余分な力が抜けた状態で試験に挑めました(笑)
つづく
過去記事<2023 お気楽行楽記総集編(14)>
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