「カミソリ後藤田 後藤田正晴」
後藤田 正晴(ごとうだ まさはる、1914年〈大正3年〉8月9日 - 2005年〈平成17年〉9月19日)は、日本の警察官僚、政治家。位階は正三位。
内務省を経て警察官僚として昭和期の動乱にあたって治安維持に努め、第6代警察庁長官まで上り詰めた。
退官直後に田中角栄により抜擢され内閣官房副長官として田中政権を支えたが、参議院から国政に進出しようとしたことが「阿波戦争」に発展し、田中の権勢を弱めることとなった。その後逆境を乗り越えて徳島県全県区から衆議院議員に選出され、以後7期務める。
この間に自治大臣(第27代)、国家公安委員会委員長(第37代)、北海道開発庁長官(第42代)、内閣官房長官(第45・47・48代)、行政管理庁長官(第47代)、総務庁長官(初代)、法務大臣(第55代)、副総理(宮澤改造内閣)などを歴任。以後も晩年まで自由民主党の重鎮・御意見番として国政を支えた。
その辣腕ぶりから「カミソリ後藤田」、「日本のアンドロポフ」、「日本のジョゼフ・フーシェ」などの異名を取った。
*Wikipedia より
「アンドロポフ」-ユーリ・アンドロポフ
ユーリ・ウラジーミロヴィチ・アンドロポフ(ロシア語: Ю́рий Влади́мирович Андро́пов、ラテン文字表記:Yurii Vladimirovich Andropov、1914年6月15日 - 1984年2月9日)は、ソビエト連邦の政治家、軍人。ブレジネフの死後はソ連共産党中央委書記長、最高会議幹部会議長として同国の最高指導者の地位にあった。党中央委第二書記、国家保安委員会(KGB)議長、駐ハンガリー人民共和国ソ連大使を歴任。軍の階級は上級大将。
長らく秘密警察のトップたるKGB議長を務めた。書記長に就任後はブレジネフ時代に蓄積された停滞と腐敗の一掃・労働規律の強化に乗り出したものの、就任後に病に倒れ十分な成果を収められなかった。しかしアンドロポフの構想の一部は、自らが目を掛けて引き立ててきた同郷の後輩でもあるミハイル・ゴルバチョフに引き継がれた。
「ジョゼフ・フーシェ」
ジョゼフ・フーシェ(仏: Joseph Fouché, 発音例, 1759年5月21日 - 1820年12月25日)は、フランス革命、第一帝政、フランス復古王政の政治家である。ナポレオン体制では警察大臣を務め、タレーランと共に体制の主要人物となった。特に百日天下崩壊後は臨時政府の首班を務めてナポレオン戦争の戦後交渉を行った。
複数の場所に同時に存在するという近代警察の原型となった警察機構の組織者、秘密警察を駆使して政権中枢を渡り歩いた謀略家として知られる。権力者に取り入りながら常に一定の距離を保って激動の時代を生き抜いた人物であったとされ、「カメレオン(変幻自在の冷血動物)」の異名を持つ。オーストリアのユダヤ人作家シュテファン・ツヴァイクによる評伝が有名である。
*Wikipedia より
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