「筑紫次郎 筑後川」
「筑後川」の異名。
なぜ、筑後川は筑紫次郎(二郎)と呼ばれるのか 古賀邦雄
利根川を板東太郎、筑後川を筑紫次郎(二郎)、吉野川を四国三郎と呼ばれているが、このような名称はなぜつけられたのだろうか。
松浦茂樹さんは、「にほんのかわ」(日本河川開発調査会発行)のなかで、次のように推測されている。
日本の主なる河川の流域面積と流路延長をみてみると、
1位 利根川(本州) 16840K㎡ 322Km
2位 石狩川(北海道) 14330K㎡ 268Km
3位 信濃川(本州) 11900K㎡ 367Km
17位 吉野川(四国) 3750K㎡ 194Km
21位 筑後川(九州) 2860K㎡ 143Km
と、なっている。流路延長では信濃川が日本一である。
・ 日本は、本州、九州、四国と分かれるが、その面積の広い順に、そして河川の流域面積も広い順により板東太郎、筑紫次郎、四国三郎の呼称にしたのであろう。
筑紫は九州と同意語であり、明治初期には筑紫は九州のことを指していた。
・ 本来であれば、石狩川(北海道)はなんらの名称をもつ河川であったに違いないが、江戸期には北海道はまだ内地化されていなかった。このため石狩川には名称は付かなかったのだろう。
・ 以上のことから、この3つの河川の呼称の成立は、明治期以前における江戸期であったといえる。
さらに、松浦さんによると、明治24年(1891)6月、治水協会発行の「治水雑誌第五巻」に「全国直轄十数大川ノ中板東太郎、信濃岐蘇等ノ諸大川其他筑紫次郎四国三郎 トイフベキ千年川(筑後川ノコト)吉野川等七八大川改修ニ一挙着手セラレタル」の掲載を挙げて、このとき以来、河川技術担当者たちを中心に口についていたのが、次第に全国に広まったのだろうと推測されている。
このように板東太郎、筑紫次郎、四国三郎の呼称については理解できるようだが、明治期以前の文献があらわれることを願っている。
*http://mizunotomo.sub.jp/jirou/jirou.html より
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