「昭和31年、初代全学連委員長の武井明夫との共著、『文学者の戦争責任』で、」「戦時中の坪井繁治・岡本潤らの行動を批判し、」「同時に、新日本文学会における、戦前のプロレタリア文学運動に参加した人物の、」「昭和25年代当時の行動の是非を、厳しく問うた。」
前回は、左翼活動家としての氏を紹介し、昭和31年当時の氏が、どんな考えを持っていたのかを知りたいと述べました。本日ネットで『知の快楽』というブログを発見し、答えの一端がありましたので、紹介します。
「吉本は見る。」「戦前の日本社会の現状とは、超絶対主義体制のもとで、庶民が積極的に戦争へと協力させられていくような、ゆがんだあり方である。」
氏の考え方がこう言うものであるのなら、そもそも私の意見と一致しません。大東亜戦争に関する考え方が、元から違っています。私は大東亜百年戦争を、欧米列強の侵略から日本を守るための「自衛戦争」だった、と考えています。
しかるに氏は、日本の戦争は「侵略戦争」であり、絶対主義的強権で庶民を犠牲にした・・・と言う考え方です。簡単に言えば、「日本だけが間違った戦争をした」と断罪した、東京裁判の復讐判決そのままの意見です。
「吉本は、庶民が絶対主義的体制に組み込まれていくことは、」「ある意味避けられないことだと、諦念しながら、」「それを、手をこまねいて見ているだけの前衛には、厳しい目を向ける。」
「庶民が全体主義体制に組み込まれるのは、絶対主義権力の狡知によるものであって、」「その狡知は、絶対主義権力の絶対的な要件として、権力が身につけようと努力するものである。」
こうして普通の言葉で語り、私と同じ現状認識の土俵に上がれば、氏特有の難解さはなくなります。
「その努力に見合うだけの努力を、前衛もしなければならないのに、前衛はそれを怠った。」「それゆえ戦時中には、庶民が積極的に戦争に協力したわけであり、」「戦後も、絶対主義権力を有効に制約できない状況が生じている。」
「位相」「逆立」或いは、「自己幻想」「共同幻想」と、聞き慣れない言葉を使っていますが、結局氏が肯定しているのは「東京裁判史観」でした。侵略戦争に庶民が巻き込まれていくのを、共産党の前衛は止めることすらしなかったと、氏の批判はここにあります。
「そうなったことの責任の大半は、前衛が担うべきだというのが、吉本の基本的な考え方だったように伝わって来る。」
『知の快楽』の管理者は慎重で、「・・のように伝わって来る。」と曖昧に説明しています。著名な氏への忖度でしょうから、私はそのままに受け取ります。
「当時、前衛という言葉で吉本が指していたのは、共産党とその周辺の勢力だったわけで、」「吉本の前衛批判は、共産党批判と言い換えてもよい。」
当時の氏は、共産党よりもさらに過激な、「観念的マルクス主義者」だったことが分かりました。武井明夫氏との共著『文学者の戦争責任』を書いた当時、氏は32才です。私の記憶にある氏の姿は、好々爺になった優しい笑顔の老人ですが、新進気鋭の左翼詩人であり評論家だったと言うことになります。
出版した詩集に、氏自身が「左翼的な詩」と解説していたと言いますから、私が「左翼詩人」と言っても間違いではなさそうです。
日本は無残な敗戦国となりましたが、共産主義のソ連は大国として台頭し、マルキストの憧れの国となりました。東大総長だった大内兵衛氏が、ソ連を称賛した言葉が過去の「ねこ庭」にありました。
[ 大内兵衛 ]
「日本は、社会主義を否定したり、排斥したりすることは、」「決してできない筋と思われる。」「もともとマルクス主義又は、レーニン主義といっても、」「本来、個人の自由の要求に出発するものであり、到達点もそうであるから、」「階級的独裁を、人権の自由に優先させることでないのは、自明であるが、」「一定の条件の元では、そういう傾向をもつのも、又事実である。」
「ロシアの経済学は、二十世紀の後半において、」「進歩的な、特色のある学問として、」「世界の経済学界で、相当高い地位を要求するようになるだろう。」「こういう歴史の変革のうちに、経済学者として、いよいよ光彩を加える名は、」「レーニンと、スターリンでありましょう」
左翼詩人の吉本氏が、ソ連を称賛しない訳がないと私が考えるのは、考えすぎなのでしょうか。
『知の快楽』には、さらに氏に関する説明が続きます。
「吉本が、その批判を展開するようになった時には、」「共産党は敗戦直後に誇っていた権威を、次第に失いつつあった。」「それどころか、人々のあいだには、共産党嫌いの現象も広まりつつあった。」「だから吉本の前衛・共産党批判は、そうした共産党嫌いの風潮に便乗したという見方もある。」
聡明な氏は、理論的に完成したものに知的関心を奪われ、心を奪われたものは発表せずにおれない、実戦の知識人だったと私は考えます。氏の知力の柔軟性は、右でも左でも、縦でも横でも、およそ思想と名のつくものなら、なんでも取り組みの対象として分析・批判したのではないでしょうか。風潮に便乗したという言い方をするのは、少し酷な気がします。
頭脳明晰な人物を、私は何人も知っています。どんな難問でも理解し、何にでも答えの出せる非凡な人物の欠点は、多くの場合、魂が欠けていることです。日本人であれば、日本人としての魂、ドイツ人であればドイツ人の魂です。簡単な言葉で言えば、「自分の国の文化や歴史を大切にする心」、もっと単純に言えば「愛国心」です。
氏のように知識人を自認する人々は、「愛国心」をそのまま戦前と結びつけ、嫌悪し、口に出すのさえ嫌がります。世界にいくつの国があり、どのくらいの国民が住んでいるのか、正確な数字を知りませんが、自分の国を愛せない人間が、こんなにもいる戦後の日本の異常さについて、氏は考えません。右左ともに、日本の知識人の魂の欠落がここにあります。
「ともあれ吉本自身は、戦時中には積極的な体制批判は行っていない。」「まだ年が若かったと言うこともあるが、その割には自分から兵役を逃れる動きをしたりして、」「政治的と見られる行動を、取ったりもした。」「そういう吉本が戦後になって、戦争責任の問題について、」「声高に発言するようになったことは、興味をそそれらるところである。」
『知の快楽』の最後は、このような説明で終わっています。息子たちや「ねこ庭」を訪問される方々に、最後の説明文を紹介するのがためらわれますが、あえて転記しました。
「ネットの情報」も、マスコミの記事や映像同様、正しい事実を伝えているとは限りません。あくまでも参考情報です。書評はまだ始まっていませんので、次回からの「ねこ庭」を楽しみにして下さい。