吉本氏が、自分に影響を与えた人物として語っているのは、次の6人です。
カール・マルクス ・・プロイセン出身の哲学者、思想家、革命家
『共産党宣言』 『資本論』
ジークムント・フロイト ・・オーストリアの心理学者、精神科医
『精神分析入門』 『リビドー理論』
小林秀雄 ・・・文芸評論家、編集者、作家、( 保守文化人の代表者だった )
『様々なる意匠』 『私小説論』 『ドストエフスキイの生活』
親 鸞 ・・・鎌倉時代の仏教家、浄土真宗の宗祖、( 法然を師と仰いでいた )
『教行信証』
保田与重郎 ・・・文芸評論家、( 戦争賛美者として、戦後に公職追放 )
『文學の立場』『民族的優越感』『近代の終焉』
遠山 啓 ・・・数学者、東京工業大学名誉教授
『数学教育論シリーズ』(全13巻)
この6人を見ていますと、氏を「観念的マルクス主義者」と表現したのは間違っていなかったと、そんな気がします。マルクス以外は誰も共産主義者でなく、小林氏や保田 ( やすだ ) 氏はむしろ保守系の人物です。
共通しているところを強いて探すと、これらの人物は生きている間、毀誉褒貶に晒されていたと言うところでしょうか。
反対者がいても、自分の信じる思想や学説や意見を述べ、努力と研鑽を重ねた過酷な生涯を送った人々です。マルクスとフロイトの名前を見ますと、世間で言われる通り、ユダヤ人が優秀な民族であることを、改めて考えさせられます。
親鸞はマルキストでありませんし、他の4人もそうですから、彼らを並べて見るだけで、氏の精神世界の複雑さが見えてきます。本人は反対するのでしょうが、私から見れば氏は、「観念的マルクス主義者」であり、「観念的フロイト主義者」であり、「観念的親鸞主義者」であり、「観念的遠山主義者」に見えてなりません。
この中で一番影響を受けているのが、どうやらマルクスのようです。氏が批判しているのは、共産党とその親派の文化人たちで、マルクス主義ではありません。マルクスの天才的頭脳が生み出した精緻な理論の虜となった、氏の頭脳を発見します。
平成3年にソ連が崩壊し、マルクシズムの失敗が世界に晒され、多くの社会主義者たちが挫折や転向をしました。平成24年に亡くなった氏は、その事実を見ているのに、「マルクシズムの失敗」に影響されていないようです。
「ソ連という国家が失敗したのであり、マルクシズム理論は破綻していない。」
おそらくこの頑固さが、「観念的マルクス主義者」である由縁だろうと思います。私の言う意味は、氏とよく似た人物の話をすれば分かります。マルキスト大内兵衛氏の、「ソ連評価」の談話です。
「もともとマルクス主義又は、レーニン主義といっても、」「本来、個人の自由の要求に出発するものであり、到達点もそうであるから、」「階級的独裁を、人権の自由に優先させることでないのは、自明であるが、」「一定の条件の元では、そういう傾向をもつのも、又事実である。」
ソ連政府が国民の言論を封殺し、自由に意見を言わせないのは、社会主義国家建設の途上にあるからだ、という意見です。建設途上の時間が、百年かかろうと、彼らは構わないのです。こうした学者たちが見ているのは、現実の国際社会でもなく、現在の弾圧されている国民でもありません。
頭脳明晰な知識人たちが見ているのは、「理論の正しさ」だけですから、私は氏のような人たちを「観念的マルクス主義者」と呼びます。
ただ氏が、そこいらの「観念的マルクス主義者」と違うのは、同時に、異質の思想の人々に賛同しているところです。フロイト、小林秀雄、親鸞などなどと、その関連性のない無秩序さが、返って魅力になっているようです。理解できないややこしさに惑わされ、「知の巨人」などと誤解する人間が出てきます。
「僕は詩を描き、批評文も書いて、文学理論上の問題をずっと扱ってきた訳です。」「そこで社会主義リアリズム論、スターリズムの芸術論に突き当たりました。」
『共同幻想論』の「序」の部分の文章を転記していますが、元の文章は冗長で分かりにくいので、私が勝手に省略しています。『遠野物語』に関して、氏も同じことをしていますから、問題はないような気がします。
「そういうものが、日本では、非常に支配的な一つの文学理論であり、」「同時に文学方法であり、文学から見た世界観である、」「という形で流通している。」
ここで息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々に報告したいのは、氏の芸術論ではありません。文学理論を考えていたら、どうして当然のように、社会主義リアリズム論やスターリズムの芸術論に突き当たるのかという点です。
『源氏物語』『枕草子』『浮世床・浮世風呂』『東海道中膝栗毛』など、昔からの日本文学を考えていれば、当然のように、社会主義リアリズム論に行きあたるでしょうか。
こういうところに、私は氏の偏狭さというか、「観念的マルクス主義者」の限界というのか、そういうものを感じます。
批判ばかりしているように見えますが、見習うべき点も発見していますので、次回はそれについてご報告します。