今回は、南シナ海における、周辺国のせめぎ合いの事実を、氏の説明から抜粋して紹介します。件数が多いので一部だけにしますが、煩わしいと思う方は、スルーしてください。
・1988 ( 昭和63 ) 年1月、中国が南沙諸島の岩礁に軍を派遣し、主権標識を立て、海洋観測所を作った。
・同年3月、中国が珊瑚礁を次々と占領し、6島を手にし、そのうちの2島に軍事施設を建設した。
・同年4月、台湾が南沙諸島最大の島に、海兵隊と気象観測隊を駐在させ、1000メートルの滑走路を持つ飛行場を建設した。
・同年4月、ベトナムが南沙諸島の22の島に軍隊を駐留させていると、初めて公表した。
・同年8月、中国が永暑礁に建設していた、海洋観測所が完成したと発表した。
・1990 ( 平成2 ) 年5月、マレーシアがスワロー岩礁に観光ホテルを建設した。
・1991 ( 平成3 ) 年5月、ベトナムが南沙諸島の駐留兵のため、テレビ放送用の衛星受信装置を設置すると発表した。
・1992 ( 平成4 ) 年9月、マレーシアが自国支配の岩礁に、滑走路等の軍事施設の建設計画を発表した。
・1993( 平成5 ) 年1月、中国が西沙諸島の居住環境を整備し、市制を敷き、観光と資源開発に乗り出すと発表した。
・同年5月、フィリピンのラモス大統領が、南沙諸島にある滑走路の拡張工事を命じ、戦闘機の運用を可能にすると発表した。
活発な動きをしている、南シナ海の周辺国について紹介しているのは、東シナ海での日本と比較するためです。尖閣諸島に関する、氏の説明を紹介します。
〈 尖閣諸島に関する日本政府の対応 〉
・1978( 昭和53 ) 年、政治結社「日本青年社」委員長・荻野屋輝男氏が、自費で魚釣島に灯台を設置した。
・これが正規のものとして認定され、海図と灯台表に掲載されれば、国際的に日本の領土として認められる。
・1988( 昭和63 ) 年、同氏は住民票を魚釣島へ移し、灯台を造り替え、10キロ先まで光が届くものに交換した。
・同年4月、中国が日本が領海とする海域で、操業を行なった。
・政府・自民党内で、灯台、監視施設、避難港の建設など、実効支配を確立すべしという意見が生まれた。
・沖縄開発庁が、仮設ヘリポートを建設した。
・灯台認知申請は、漁業関係者以外は受け付けられないということで、地元の八重島近海鮪漁協船主協会に委嘱された。
・1989( 平成元年 ) 年8月、第12管区海上保安本部へ、申請書を提出した。
・1990( 平成2 ) 年、海上保安庁が灯台の認知を決定した。
「最初に灯台が造られてから、実に12年後であった。」と、氏が述べていますが、たった一つの小さな灯台を造るのにも、日本ではこれほど時間がかかっています。話はまだ、先があります。
・しかし内閣は、台湾と中国が強い反発を示しため、この認知を凍結する方針を決めた。
・1991( 平成3 ) 年1月と、1992( 平成4 ) 年4月の二度、荻野屋氏は行政不服審査請求をした。
・「国際関係に重大な影響を与える。」という理由から、いずれも請求棄却判決となった。
江畑氏が政府の決定を是としていないことが、次の叙述で分かります。
「日本政府は、尖閣諸島の実効支配はできているから、領土問題は存在しない、」「との見解をとっているが、具体的には、群島の6ヶ所に測点標識を設置した以外は、」「海上保安庁の巡視船が、近くをパトロールしているだけである。」
南シナ海の周辺国の対応と比較してみますと、日本政府というより、時の政治家がいかに臆病だったかを教えられます。平成3年1月の総理大臣は、海部俊樹氏です。氏はこののち、小沢一郎氏に担がれたまま自民党を離党し、新進党、自由党などを渡り歩き、不遇のまま亡くなります。
平成4年4月の総理大臣は、宮沢喜一氏です。中国と韓国に膝を屈し、屈辱外交を展開した有名な首相です。アメリカに言われたとはいえ、天安門事件後の中国へ天皇訪中を決定しています。慰安婦問題に関する、あの有名な「河野談話」を出させたのも、この人物の時でした。
「日本だけが間違った戦争をした」「日本だけが悪かった」と、この二人の総理は、敗戦後の「日本国憲法」の申し子のような自民党の政治家でした。しかし当時の風潮を考えると、二人でなくとも、尖閣の灯台や監視施設の設置は難しかっただろうと思います。いわばここに、戦後日本の問題点が集約されています。
氏の著作を読み、自分のこれまでの先入観を、二つ修正しようと思います。
1. 国土交通大臣が公明党だから、海上保安庁が中国に対して弱腰になる。
2. 自衛隊は、他国の軍隊に比べると、勇気がないのではないか。
1. つにいて言いますと、公明党が国交大臣の椅子を占めるようになったのは、平成16年9月の北川一雄氏が最初です。尖閣問題への過去の対応を見れば分かる通り、中国への屈辱外交を続けてきたのは、自民党の政治家です。公明党は、その路線に乗っているに過ぎません。自民党が、公明党との連立をやめるべき、という意見は変わりませんが、国交大臣に関する思い込みは、修正します。
2. 自衛隊が何もしないのは、勇気がないのでなく、「日本国憲法」が彼らの行動を縛り、トップの指揮官である総理大臣に、「憲法改正」の勇気がないからです。氏の著作を読み、他国の軍隊が領土・領海の防衛に活躍しているのを知り、自衛隊の不甲斐なさを感じてしまいました。
わざわざ言う必要はないのですが、自衛隊が不甲斐ないのでなく、彼らを動けなくしている「日本国憲法」を改正できない政治家に、勇気がないのでした。ここは修正する必要があります。
次回は、第三章「東南アジア諸国の軍備近代化」へ進みます。