2月7日の千葉日報に、カンボジアの首相後継者が来日する、という記事が掲載されました。江畑氏の著書に添い、ASEAN諸国の実情をご報告しようとする時なので、興味を覚えました。
「カンボジア首相後継来日へ」「政府、東南アと関係強化」・・と、これが見出しで、記事が続きます。
「カンボジアのフン・セン首相が後継者に指名した、長男のフン・マネット陸軍司令官が、」「今月中旬に来日する方向で、調整していることが、6日、分った。」
「政府は、今年のASEAN議長国を務める、カンボジアと関係を強化し、」「安全保障やミャンマー情勢をめぐって、連携を図る方針だ。」
フン・マネット氏は、岸田首相や林外相、岸防衛相と会談し、陸上自衛隊の部隊の視察をすると書かれています。その後氏は、防衛協力の深化について話し合うとのことです。カンボジアの歴史を多少とも知っていると、感慨深いものがあります。
カンボジアは、1970 ( 昭和45 )年のクーデターによるロン・ノル政権(クメール共和国)発足後、ポル・ポト派がした国民の大量虐殺、ベトナムによるカンボジア侵攻など、20余年にわたり戦乱と国内の混乱が続きました。
1991( 平成3 )年に、国連の主導で紛争当事者間において、パリ和平協定が結ばれました。1993( 平成5 )年には、民主的な総選挙が行われ、新政権が樹立し、民主的新憲法が制定され、新生カンボジア王国が誕生しました。
この時国連は、停戦・武装解除の監視、選挙の実施、難民帰還の支援など、行政管理を行う、国連カンボジア暫定機構(UNTAC)を設立しました。日本が初めて行った、自衛隊の海外派遣でもあり、UNTACのトップは日本人の明石康氏でした。今年が丁度30年になるというので、防衛省がフン氏を招待したのだそうです。
かってカンボジアは、隣国のタイとベトナムから、常に独立を脅かされ、時にはベトナムや、時にはタイの支配に屈しました。それよりもっと以前は、フランスの植民地でした。
カンボジア人が、タイよりベトナムへ激しい嫌悪感を抱くのは、ベトナムによる統治が、過酷だったためとも言われています。
加わる不幸は、昭和50年から3年余に及ぶ、ポル・ポト政権下での大虐殺でした。人口の3分の1に当たる、200万人の国民が殺された、悲惨としか言えない出来事ですが、殺害された国民の数は、60万人、100万人という説もあり、確定した数字が今も不明のままです。どちらの数字にしましても、女性も子供も容赦なく、政府が、自国民をむごたらしく処刑した、信じがたい事実です。
かってカンボジアには、周辺国を睥睨する、強大なクメール帝国の時代がありました。当時を誇りとする、極端な民族主義者である愛国のポル・ポトは、外国勢力、特にベトナムへの敵対心と猜疑心を燃やす、極左共産主義者でした。
彼は政権を取ると、自国の独立を守るため、ベトナムの影響を受けた人間を、排斥し、追放し、それでも足りず、ついには全て抹殺という事態に至りました。一途な、激しい愛国心の、行き着く果ての行為だった、という説もあります。
カンボジアの内戦を複雑にしたのは、ベトナムに支援されるヘン・サムリン政権と、これに対立する3派と、それを支援する外国勢力でした。
1. 中国の後ろ盾を受けた、恐怖政治のポル・ポト派
2. アメリカが肩入れする、ソン・サン派
3. 王政の流れを継承する、反ソ・親中のシアヌーク派
カンボジアの政治は、ずっと利害の対立する集団のせめぎあいでした。激しく長いあのベトナム戦争の間、政治的、経済的、軍事的に、ベトナムを支援していたのはソ連でした。
米ソ中という大国同士の対立が、そのまま持ち込まれたのが、ベトナムとカンボジアでした。ヘン・サムリン政権を率いるフン・セン首相に、当時シアヌーク殿下が語った言葉が、残っています。政敵であるフン・セン氏に語りかける殿下の言葉が、国難続きのカンボジアと、国際社会で生きる厳しさを教えてくれます。
「あなたと私が中国、ソ連、ベトナムに対し、」「仲違いを止めるよう、謙虚に求めることが必要だ。」「これらの国が、友好を回復しなければ、われわれの悲劇は終わらない。」
殿下が言おうとしていたのは、「小国は、周りの大国の一つとばかり結びついてはならず、どの大国とも仲良くし、」「さらに、大国同士が仲良くするよう、謙虚に求めなくてならない。」、ということでした。ずる賢く、卑怯に見えても、小国はそうしなければ生き残れないのです。
戦前の日本は一時期軍事大国となり、戦後は、一時期経済大国となりましたが、米・ソ・中の大国から、即座に叩き潰されました。この経験を踏まえれば、シアヌーク殿下の言葉を、無下にできない日本ではないでしょうか。訪日するフン・マネット氏との会談も、こうした歴史を踏まえながら行って欲しいものです。
江畑氏の著書に戻る予定が、横道に逸れてしまいました。ASEAN 11ヶ国のうちの1国であるカンボジアでも、かなり複雑な事情を抱えています。他の国々も同様に、隣国や、介入する大国と、ついたり離れたり、困難な舵取りをしています。
こうしたことを予備知識にして、次回から氏の著作に戻ります。