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ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『 日本が軍事大国になる日 』 - 17 ( 冷戦後のベトナム -2 )

2022-02-20 23:13:49 | 徒然の記

 ソ連崩壊後のベトナムの動きを、江畑氏の本から抜粋し、箇条書きにします。

  ・米国との関係改善に乗り出し、ベトナム戦争中の、行方不明米軍兵士の捜索に協力している。(  経費は米国負担 )

  ・ベトナム自身も、30万人以上の行方不明兵士を出したままになっているが、それでも米国に協力せざるを得ない。

  ・努力が功を奏したのか、米国はクリントン政権になり、態度を大きく軟化させた。

  ・IMFのベトナム支援を、黙認する政策を取り始めた。

  ・1993 ( 平成5 ) 年、米政府がベトナムへの禁輸措置解除に向け、動いていると伝えられた。( 早ければ、平成5年の4月ごろか。 )

 一方で、長年の敵対国である中国への動きもあります。

  ・1991 ( 平成3 ) 年、ベトナムのムオイ書記長とキエト首相が北京を訪問し、江沢民総書記、李鵬首相らと首脳会談を行い、両国関係の完全正常化を宣言した。

  ・1993 ( 平成5 ) 年、レ・ドク・アイン大統領が国家元首として、初めて訪問し、経済協力と領土問題につき会談した。

  ・同年11月、中国人民解放軍の干永波政治部主任が、ベトナムを公式訪問した。

 中でも、アメリカの態度を軟化させた最大の要因は、「カムラン湾のロシア軍通信傍受施設」の縮小だったそうです。詳しく説明されていますので、紹介します。

 通信傍受施設は、通信傍受人工衛星のない時代、米ソが相手国の情報を得るための、極めて重要な施設だったといいます。日本にも、米軍による巨大な通信傍受施設が二つありましたので、関心を抱きました。

  ・ 沖縄県楚辺通信所( 平成19年撤去 )

  ・ 青森県姉沼通信所( 令和4年現在解体計画検討中 )・・三沢飛行場

  通称「象の檻」と呼ばれる、三沢の施設を管理しているのは、在日米軍ではありません。米国メリーランド州にある、 NSA ( National Security Agency : 国家安全保障局 ) の指揮下にあるのだそうです。

 日本のことは氏の著書にありませんが、参考のため調べてみました。本を読まなければ、無関心のままでしたが、アメリカにとっては今も重要な施設であるようです。大事なのは日本との比較なので、このことを頭に入れながら、先へ進みます。

 「カムラン湾駐留のロシア軍の縮小は、ベトナムの努力によるものでないとしても、」「両国の関係が、かってほど緊密でないことは、」「ベトナムが外部勢力による前進基地として、機能する危険性が非常に少なくなったと解釈された。」

 「しかしロシアが、カムラン湾を手放す様子も、まだみられない。」

 なぜそうなのかについて、氏の説明を読み、歴史的事実に意外感を覚えました。

 「カムラン湾は、日露戦争中極東に回航されたロシアのバルチック艦隊が、」「最後に寄港した場所であることからわかるように、アジア有数の、」「天然の、優れた泊地である。」「投資さえすれば短時間で、立派な貿易港になる特質を備えている。」

 ここで氏が、興味深い事実を説明していますので、箇条書きで紹介します。

 ・1992 ( 平成4 ) 年1月、訪問したタイのスチンダ軍最高司令官に対し、カムラン湾視察の要請を、次回に受け入れる意向を示唆した。

 ・ベトナムが同湾を、石油開発や貿易の拠点とする意図を持っていると、解釈された。

 ・同年2月、ベトナム外務省が次のように述べた。

   「カムラン湾はベトナムの港湾であり、旧ソ連海軍は両国間の協定に基づいて、補給その他の便宜を受けてきた。」

   「その将来は、ロシア等独立国家共同体との協議に委ねられるが、」「我が国の優先課題は、経済発展であり、」「同湾は、その方向で活用される。」

 ・しかし同年5月、ロシア外務省が、カムラン湾の自由貿易港構想を打ち出し、使用権がなおロシアにあることを、印象付けている。

 ・ベトナムに対する旧ソ連の債務問題が絡み、ロシアはカムラン湾を、一種のカタにとっているものと推測される。

 日本の三沢にある米軍の通信施設と、カムラン湾のものがどう違っているのか、よく知りませんが、まずは氏の詳しい説明を紹介します。スペースの都合で、本日はここで一区切りとしますので、関心のある方は、次回までお待ちください。

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『 日本が軍事大国になる日 』 - 16 ( ソ連崩壊後のベトナム )

2022-02-20 14:29:30 | 徒然の記

 東西冷戦時代のベトナムが、超大国アメリカと10年間も戦い、最後に勝利しました。なぜそういうことが可能になったかについて、二つの要因が言われています。

  1. アメリカは、核兵器を使用しなかった。( できなかった。)

  2. ベトナムは、武器、資金、食料等、あらゆる援助をソ連から受けていた。

 ゲリラとの戦いに核は不向きであるとか、理由は様々ありますが、ベトナムを支援しているソ連が本気で反撃してくると、核戦争の恐れがあるため、核が使用できなかったというのが、妥当な意見ではないかと思います。

 1965 ( 昭和40 ) 年から、1975 ( 昭和50 ) 年にかけて、10年に及ぶベトナム戦争について、日本のマスコミの報道は、弱者であるベトナムを、超大国のアメリカが痛めつけているというトーンでした。私は、これに続くベトナムのカンボジア侵攻について、氏の著作を読むまで知りませんでした。

 カンボジア侵攻は、「ベトナム戦争の影に隠れた、カンボジア戦争」とも呼ばれ、ベトナムが一方的にカンボジアを攻撃した戦争です。1975 ( 昭和50 ) 年から、1977 ( 昭和52 ) 年の2年間、弱者のはずのベトナムが、カンボジア国内を占拠し、国民を苦しめました。苦しめただけでなく、周辺国が明日は我が身かと、ベトナム軍の侵攻を恐れたと言います。

 シンガポール、マレーシア、タイといった、反共のアセアン諸国が連携して、アメリカの支援を求め、外交努力を重ねたとのことです。事情が複雑なため、言外に匂わせるだけで、氏が省略していますので、別途調べて理解しました。ここを知らないと氏の叙述が、正確に理解できません。101ページです。

 「ベトナムは、カンボジアからの撤退により、」「次第に国際社会から認められつつあり、アセアン加盟も、」「そう遠い将来の話とは、言えなくなっている。」

 「ベトナムの軍事力を、脅威と感じる東南アジア諸国は少なくなっているが、」「ベトナムの軍事力が、あまりに他の国と格差があるため、」「問題を複雑にするかもしれない。」

 しかしベトナム軍の近代化を阻んでいるのは、教条主義的な幹部の若返りや、民兵組織に依存している軍の再編などであると、氏が説明します。

 「だがそういう内部的な問題より、最も基本的な問題は、」「米国との国交正常化と、経済の発展である。」「米国による経済制裁が、全面的に解除されない限り、」「この国の経済発展は、期待薄であろう。」

 米国の経済制裁の威力を、氏の説明でやっと理解しました。同時に、日本の政府や経済界が、アメリカの意向を常に伺う意味も分かりました。現在のアメリカが、まだそうであるのかは知りませんが、当時のアメリカは、文字通り世界の超大国でした。

 「米国の経済制裁の力は凄まじいもので、極端な表現をすると、」「ベトナムは、ほとんど一切の物が入手できない。」

 密輸で色々な物は入ってきますが、最新の工作機械や化学プラントなどを、密輸で入手することは不可能です。この密輸が、さらにベトナムの経済を悪化させていると言います。

 「ベトナム経済の半分以上は、密輸で構成されると言われている。」「政府ですら、50%が密輸経済であることを認めているが、」「しかし裏の経済では、国庫は潤わない。」「税収のない経済活動では、いくらそれが盛んでも、」「国は貧しいままである。」

  密輸経済の比率は50%でなく、60 ~ 70%という説もあるそうです。1991 ( 平成3 ) 年のGNPが150億ドルで、一人当たりにすると120ドルですから、アジアの最貧国の数字です。

 「しかし国民生活は、それほど貧しくない。」「これは明らかに、裏の経済が発展しているからである。」

 この説明は、そのまま現在の北朝鮮に当てはまるような気がします。或いは、イランにも当てはまるのでしょうか。北朝鮮の密貿易については、時々マスコミが報道していますので、なるほどと思わされます。

 「しかし密貿易のままでは、国でなければできないこと、」「例えば社会保障や、鉄道、道路、通信網といったインフラの整備などが、」「ベトナムでは、徹底的に遅れている。」

 「冷戦時代、東側経済ブロックがまだ健在だった頃は、まだやっていけた。」「東欧諸国からの経済援助は、年間10億ドルに達したと言われている。」「ベトナム貿易の80%が、ワルシャワ条約機構諸国とのものであっが、」「冷戦後は北側ブロックの崩壊により、14%にまで激減した。」

 「1993 ( 平成5 ) 年現在では、80%がアジア諸国との交易である。」「シンガポール、日本、香港、韓国、台湾などが主なもので、」「欧州諸国は、かっての宗主国だったフランスが多いものの、」「他の国はいずれも、米国の目を気にしながらの貿易で、」「そう大した額にはなっていない。」

 「直接投資のトップが、台湾、香港、フランス、オーストラリアであるから、」「いかに他の国が、米国に気兼ねしているかが推察される。」

 世界経済をリードしているアメリカやドイツ、イギリスが加わらないと、ベトナム経済の活性化ができません。書かれてはいませんが、おそらくは日本も、アメリカに気兼ねして、ベトナムーの投資を控えたはずです。

 「さらにベトナムに、まともな金融システムが存在していないという、」「社会主義体制独特の弊害も、経済停滞の理由になっている。」

 ベトナムが、この後どのように変化していくかは、他人ごとでないものがあります。米国とは ?  欧州諸国の動きとは ? 日本とは、中国とはと、氏の説明が続きます。興味と関心のある方は、次回も「ねこ庭」へお越しください。

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