「初めに」 「金◯成をどう見るか」 黄 民基 ( ファン・ミンギ )
第一部 証言 「隠された真実」 北朝鮮人民軍作戦局長 兪 成哲 ( ユ ソンチョル )
第二部 手記 「暴かれた歴史」 元北朝鮮人民軍師団政治委員 呂 政 ( ヨ ジョン )
「初めに」・・黄 民基
今回は、金◯成が行った「粛清」に関する黄氏の意見を紹介します。氏の説明によると金○成が行った「粛清」は次の5段階だそうです。
第一段階 朝鮮戦争前
・「北朝鮮国内派」粛清。玄俊赫ら古参共産主義者が暗殺される
第二段階 1953 ( 昭和28 ) 年
・「南労党系」粛清。李承焃司法省ら処刑。朴憲永副首相処刑。
第三段階 53~56 年
・「ソ連派」粛清。許哥而副首相が謎の拳銃自殺。
第四段階 56~68 年
・「延安派」粛清。朴一禹内務相、金科奉人民委員会委員長ら数十名の党幹部、政府閣僚、軍幹部が虐殺、投獄、「延安派」壊滅。
第五段階 69~ 年
・パルチザン派 ( 金◯成派 ) 粛清。
五段階の粛清の事実を示した後、黄氏はここでも金◯成を弁明するような説明をします。複雑な気持ちなのかと推察できます。
「もちろん、粛清に走ったのは何も金◯成に限った話ではない。マルクス・レーニン主義を掲げてきた現代の共産主義者たちは、多かれ少なかれ粛清に手を染めてきたし、これからもその危険性を持っているだろう。」
「ただ金◯成の粛清の背後には、大国の間で翻弄され続けた朝鮮共産主義者たちが、最後の拠り所とした母国で、最大の不幸に見舞われたと言う事情を踏まえておかねばならないだろう。」
〈在ソ・韓人共産主義者〉
・日本の植民地支配と、スターリン体制下での強制移住政策で翻弄
・コミンテルンの「一国一党」の原則で、朝鮮共産党の資格取り消し
(・中国在住の朝鮮人共産主義者たちも、似たような苦悩を味わう。)
スターリンは解放後も朝鮮を一国として認めず、自国の自治州としか見なしていませんでした。氏の説明から、私たちは当時のコミンテルンとスターリンの強大な力を教えられます。
「こうした状況下で、北朝鮮に帰国した共産主義者たちは、解放後も翻弄され続けただろう。金○成もそうした朝鮮共産主義者の一人であったことは、事実なのだ。」
「金○成は多分、それら諸々の経験から密かに、国際共産主義者とは相容れない人間となっていったのかもしれない。」
異論を許さないマルクス主義というだけでなく、朝鮮の特殊な事情が重なり、金○成の「粛清」が必然として生じたと氏が語ります。
「スターリンの死後、金◯成は自立し、皮肉なことに自立の意思を同胞・同志への粛清で示すということに結果していくのである。例えばソ連派、延安派への粛清は、両派がそれぞれソ連と中国に縁が深かったというところに、伏線があったかもしれず、両派は国際主義という共産主義者の矜持と理念を保持し続けていた。」
だから金◯成は、粛清をせざるを得なかったと説明します。同時に黄氏は、粛清された者たちへの理解も示します。
「しかし何派であれ、朝鮮共産主義者たちはいずれも、大国に翻弄される中で民族独自の党建設を熱望し、住み慣れたソ連や中国、南朝鮮から北朝鮮に馳せ参じた人々だった。」
「そんな彼らが、朝鮮労働党の名の下に〈反党・反革命罪〉で粛清され、虐殺されていった。金○成の粛清の背景には、他国で起きた粛清とは質をことにする残酷さと、朝鮮共産主義者たちの悲しみが横たわっているのである。」
「経歴改竄」の説明の時と同様、氏は自分の複雑な気持ちも語っています。しかし私は日本人ですから、拉致被害者を返さない金○成を許しません。異質なものを排除するだけでなく、虐殺したり粛清したりする共産主義も認めません。そんな党が政権をとっても、国民を幸福にする訳がありませんから、理解や同情は禁物です。その証拠が現在の北朝鮮であり、中国政府です。
彼らが国民を幸福にする党であると、そんなことを思っている日本人はほんの少数です。「平和と人権を守る共産党です。」と、昨日も郵便受けに同党のチラシが入りましたが、私は参院選でもこの党に投票しません。
次回は、「38度戦」「朝鮮人民共和国」「信託統治問題」など、私たちに馴染み深いけれど、内容の曖昧な言葉を氏が説明してくれます。なぜ北朝鮮が核保有国となり、他国を脅すようになったのかを知るには参考になります。