平成30年に「ルドン展」を観に行って以来ですから、4年ぶりの東京です。新宿のSOMPO美術館で、「 シダネルとマルタン展」を観に行ってきました。
「最後の印象派、二大巨匠」
画家は大抵貧しくて、苦闘しながら絵を描いていると、そんな先入観がありますが、中には経済的な苦労をせず、無名であることも気にせず、好きな絵を描いて一生話終えた幸せな画家もいます。
シダネルとマルタンも、そんな裕福な画家だったのではないでしょうか。慎ましい農夫の働く姿を描いたり、道路工事の作業者を描いたりしていますが、彼ら自身は優雅な暮らしを楽しんでいる上流階級です。
二人の画家は家族ぐるみでつき合いをし、「親密派」と呼ばれているそうですが、家族に囲まれた写真も作品と一緒に飾られていました。
国務院の役員だったと言い、立派な国務院の部屋に一面の壁画を描いていました。どの絵も、心の休まる美しい絵でした。これ以外に「祈る少女像」、「暮れ方のアパートの窓辺の風景」「テラスの食卓に並ぶ食事」など、どれを見ても心が癒されました。
プーチン氏の「核発言」で、国際社会が揺れ動き、日本にも衝撃が伝わり、毎日「ねこ庭」でブログを発信しています。「憲法改正」の近づく気配に緊張していますが、二大巨匠の絵は緊張の日々を忘れさせてくれました。
武漢コロナの騒ぎが、3年目になります。すっかり世間と縁を切り、家内と二人の独居生活をしているためか、東京駅で私は驚く発見をしました。
すっかり「千葉の田舎者」になってしまい、見るもの全てが新鮮で、心が奪われました。もっと驚いたのは、何年も通勤したルートなのに、乗り換えの場所や駅の風景をすっかり忘れていました。たった4年で、東京は見慣れた風景を別のものにしていました。家内がいなければ、倍以上の時間をかけ、自宅へ戻ったに違いありません。
バスから地下鉄、地下鉄からJRに乗り換えましたが、東京が変貌したのか、自分のボケが進行したのか、おそらく両方に原因があるのだと思いますが、新鮮な驚きの楽しい旅でした。
東京一極集中の弊害、地方への機能分散と言われながら、高層ビルが増え人口を集めている東京でした。
「ここへ一発、核弾頭ミサイルが撃ち込まれたら、」と思うと、悲惨な光景が実感できました。しかし同時に、マスコミがこれだけ騒いでいるのに、街の賑わいと喧騒は平和な日常そのままでした。
並び立つビルの中では人々が働き、高層のマンションにはたくさんの暮らしがありました。何千何万という人たちが生活をしています。
「ねこ庭」を訪問される方々が2、3百人であることを思いますと、自分のブログの小ささがいやでも分かります。この多くの人々は、何を考えて暮らしているのだろう。日本国憲法も、反日左翼のことも気に掛ける暇なく、忙しく暮らしているのだろうか。
昨日の短い旅を思い返していますと、気持ちが変化するのが分かります。
「慌てることはない。」「気負って考える必要はない。」
「日本のことを考えているのは、お前一人ではない。」
「今まで通りの暮らしを続ければいいのだ。」「貧者の一灯を、千葉の片隅で照らしていけるだけでいいんだ。」
「日本は広い。」「日本には日本人がたくさんいる。」「日本人は、日本人として生きている。」
何を馬鹿なことを言っているのかと、笑ってもらって結構です。「シダネルとマルタン展」のお陰で、日常の中にある「不思議な感動」を発見しました。明日からの活力を得ましたので、息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々に、現況を報告いたしました。