分厚いだけでなく、内容も知らないことが多いので、書評は長くかかりそうです。自分がどの位置にいるのかを忘れないため、今回も目次を最初に置くこととしました。
「初めに」 「金○成をどう見るか」 黄 民基
第一部 証言 「隠された真実」 北朝鮮人民軍作戦局長 兪 成哲
第二部 手記 「暴かれた歴史」 元北朝鮮人民軍師団政治委員 呂 政
「初めに」・・黄 民基
「金○成の実像が、日本の中ではなぜ不明瞭なまま認識されてきたのか。」について、黄氏の分析を紹介します。氏は原因として、日本人が持っている二つの思考を上げます。「根強い民族的偏見」と「日本の知識人が持つ、贖罪意識」です。
〈 根強い民族的偏見 〉に関する説明です。
「それは第一に、金○成に対する根強い民族的偏見が介在してきたからだと、指摘することができるであろう。」「この偏見は一部の人々に、金○成が抗日運動に身を投じた人物であるという事実や、北朝鮮住民から支持されているという事実から目を逸らせ、彼の業績は全てでたらめで、北朝鮮住民は彼の恐怖政治に服従させられているという情報のみを、信じさせる土壌を作ってきた。」
「金○成が抗日運動を志したのも、抗日武装闘争に参加したことがあったのも、事実である。圧倒的多数の北朝鮮住民が、金○成を絶対的に支持しているのも、事実である。」
「そのことが明らかになるや、今度は、いかに信憑性のある資料が現れたにせよ、それが金○成に対する否定的なものであれば、〈反共宣伝〉として片付けてしまう反作用が起こったのである。」
この分析は、何度読んでも意味がよく分かりません。日本人は「民族的偏見」から、金○成の抗日武装闘争と朝鮮国民からの圧倒的支持を頭から信じていなかったけれど、それが事実だと分かると、今度は氏の全てを事実と信じる。正しい事実が出てきても、金○成を否定する事実であれば、今度は「反共宣伝」だと言って受け付けない、と説明しています。
日本人は極論から極論へ走るから、金○成の実像が掴めないのだと、そう言っているのでしょうか。
「金○成が抗日運動を志したのも、抗日武装闘争に参加したことがあったのも、事実である。」
この文章をよく読むと、金○成は生まれた時から抗日パルチザンの闘士ではなかったが、志を持ち、参加したこともあったと述べています。だから全てを否定する日本人の意見は間違いだと、どうもそのように受け取れます。
「圧倒的多数の北朝鮮住民が、金○成を絶対的に支持しているのも、事実である。」
この文章も、よく読むと「北朝鮮の全国民」から支持されていると言っているのでなく、「圧倒的多数の北朝鮮住民」と書いています。全国民でなくても住民の多数からは支持されていたのだから、全てを否定する日本人の意見は間違いだと、同様の理屈を述べているのでしょうか。
金○成を全否定していた日本人が、事実の一部が正しいと分かった途端、今度は金○成の全てを信じてしまうと、どうもそう言っている気がします。つまり氏が説明しようとしているのは、金○成の実像は「全否定」と「全肯定」の中間にあるということのようです。
なぜなら著書全体の目的が、「金○成の衝撃の実像」を伝えるところにあるから、こういう解釈をしない限り論理の一貫性がなくなります。
「多くの日本人は極論に走るから、物事の実態が掴めない。」
もしも氏が、率直にこう説明すれば、私にはその方がずっと分かりやすいし、多くの日本人にも伝わると思います。戦前の日本人と、敗戦後と日本人の考え方の違いを見れば氏に説明されなくても、日本人自身が自覚しています。
戦前は、日本は無敗の神国で世界の一等国だと得意になり、敗戦後は、日本は悪い国で、他国を侵略した野蛮な国だとひたすら反省しています。極論から極論に走った自分達の間違いを、現在の私たちが見直そうと苦労しています。
今回「憲法改正」をするとしても、私たち国民が同じ間違いをしないようにと、私は祈るような気持ちでいます。
ですからこの分析は、残念ながら的を外れています。「根強い民族的偏見」は関係のない言葉で、なんのためにこんな重い言葉を持ち出したのか、せっかくの氏への信頼が薄れます。
二番目に氏が挙げた理由・・〈 日本の知識人が持つ、贖罪意識 〉の分析には、納得させられるものがありますので次回に紹介します。