ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『金○成』 - 2 ( 極論から極論へ走る日本人の思考 )

2022-06-23 23:39:50 | 徒然の記

 分厚いだけでなく、内容も知らないことが多いので、書評は長くかかりそうです。自分がどの位置にいるのかを忘れないため、今回も目次を最初に置くこととしました。

     「初めに」 「金○成をどう見るか」          黄 民基

      第一部 証言 「隠された真実」    北朝鮮人民軍作戦局長     兪  成哲

     第二部 手記 「暴かれた歴史」  元北朝鮮人民軍師団政治委員 呂  政

  「初めに」・・黄 民基

  「金○成の実像が、日本の中ではなぜ不明瞭なまま認識されてきたのか。」について、黄氏の分析を紹介します。氏は原因として、日本人が持っている二つの思考を上げます。「根強い民族的偏見」と「日本の知識人が持つ、贖罪意識」です。

  〈 根強い民族的偏見 〉に関する説明です。

  「それは第一に、金○成に対する根強い民族的偏見が介在してきたからだと、指摘することができるであろう。」「この偏見は一部の人々に、金○成が抗日運動に身を投じた人物であるという事実や、北朝鮮住民から支持されているという事実から目を逸らせ、彼の業績は全てでたらめで、北朝鮮住民は彼の恐怖政治に服従させられているという情報のみを、信じさせる土壌を作ってきた。」

 「金○成が抗日運動を志したのも、抗日武装闘争に参加したことがあったのも、事実である。圧倒的多数の北朝鮮住民が、金○成を絶対的に支持しているのも、事実である。」

 「そのことが明らかになるや、今度は、いかに信憑性のある資料が現れたにせよ、それが金○成に対する否定的なものであれば、〈反共宣伝〉として片付けてしまう反作用が起こったのである。」

 この分析は、何度読んでも意味がよく分かりません。日本人は「民族的偏見」から、金○成の抗日武装闘争と朝鮮国民からの圧倒的支持を頭から信じていなかったけれど、それが事実だと分かると、今度は氏の全てを事実と信じる。正しい事実が出てきても、金○成を否定する事実であれば、今度は「反共宣伝」だと言って受け付けない、と説明しています。

 日本人は極論から極論へ走るから、金○成の実像が掴めないのだと、そう言っているのでしょうか。

 「金○成が抗日運動を志したのも、抗日武装闘争に参加したことがあったのも、事実である。」

 この文章をよく読むと、金○成は生まれた時から抗日パルチザンの闘士ではなかったが、志を持ち、参加したこともあったと述べています。だから全てを否定する日本人の意見は間違いだと、どうもそのように受け取れます。

 「圧倒的多数の北朝鮮住民が、金○成を絶対的に支持しているのも、事実である。」

 この文章も、よく読むと「北朝鮮の全国民」から支持されていると言っているのでなく、「圧倒的多数の北朝鮮住民」と書いています。全国民でなくても住民の多数からは支持されていたのだから、全てを否定する日本人の意見は間違いだと、同様の理屈を述べているのでしょうか。

 金○成を全否定していた日本人が、事実の一部が正しいと分かった途端、今度は金○成の全てを信じてしまうと、どうもそう言っている気がします。つまり氏が説明しようとしているのは、金○成の実像は「全否定」と「全肯定」の中間にあるということのようです。

 なぜなら著書全体の目的が、「金○成の衝撃の実像」を伝えるところにあるから、こういう解釈をしない限り論理の一貫性がなくなります。

 「多くの日本人は極論に走るから、物事の実態が掴めない。」

 もしも氏が、率直にこう説明すれば、私にはその方がずっと分かりやすいし、多くの日本人にも伝わると思います。戦前の日本人と、敗戦後と日本人の考え方の違いを見れば氏に説明されなくても、日本人自身が自覚しています。

 戦前は、日本は無敗の神国で世界の一等国だと得意になり、敗戦後は、日本は悪い国で、他国を侵略した野蛮な国だとひたすら反省しています。極論から極論に走った自分達の間違いを、現在の私たちが見直そうと苦労しています。

 今回「憲法改正」をするとしても、私たち国民が同じ間違いをしないようにと、私は祈るような気持ちでいます。 

 ですからこの分析は、残念ながら的を外れています。「根強い民族的偏見」は関係のない言葉で、なんのためにこんな重い言葉を持ち出したのか、せっかくの氏への信頼が薄れます。

 二番目に氏が挙げた理由・・〈 日本の知識人が持つ、贖罪意識 〉の分析には納得させられるものがありますので次回に紹介します。

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『金○成』 ( 黄 民基氏の解説 )

2022-06-23 13:19:32 | 徒然の記

 今日から東亜日報・韓国日報編で黄 民基氏訳の、『金○成』 ( 平成4年刊 講談社 ) を読みます。30年前の本です。翻訳者の黄 民基 ( ファン・ミンギ  ) 氏の略歴が、巻末にあります。

 「昭和23年、大阪生まれ。」「早稲田大学中退、ノンフィクションライター、翻訳者。」

 在日韓国人の氏は他にも、『韓国を震撼させた11日間』、『韓国のニューリーダー』など5冊の翻訳書や共著を出版しています。『金○成』がどのような本であるかは、目次を見ると分かるので紹介します。

   「初めに」 「金○成をどう見るか」          黄 民基

      第一部 証言 「隠された真実」    北朝鮮人民軍作戦局長 兪 成哲

     第二部 手記 「暴かれた歴史」  元北朝鮮人民軍師団政治委員 呂 政

 黄氏の説明を読むと、『金○成』は東亜日報と韓国日報が出版したのでなく、両社が持つ個別の資料を氏が編集して翻訳したことが分かりました。

 通常の本では、「はじめに」は著者による本の解説や、執筆の経緯などが簡単に紹介されますが、この本は違います。32ページを使い、訳者の意見が詳しく書かれ、この部分だけでも独立した小冊子です。だから今回は「初めに」も書評に加え、紹介します。

 「金○成は1948 (  昭和23 ) 年9月、建国と同時に弱冠36才の若さで首相、1972 (  昭和47 ) 年からは国家主席となり、以来44年もの長きにわたって政権を維持し、しかも個人的に崇められてきた。」

 「長期執権を常とする社会主義国の中にあっても、最長寿の政権である。彼はおそらく最高権力の座に座り続けたまま、長寿を全うするだろう。」「このような例は、そうあるものではない。思いつく限りで言えば、ベトナムのホー・チ・ミン、中国の毛沢東、ユーゴスラビアのチトー、アルバニアのホッジャくらいだろう。」

 金○成が亡くなったのは平成6年で、本の出版は平成4年ですから、この時氏はまだ存命だったことが分かります。

 「ある意味では、それだけ人民の信望を集め、崇拝されるだけの人物だからだと主張することもできるし、少し見方を変えれば、それだけ苛烈な粛清と徹底した鎖国体制を敷いてきたからだと、指摘することもできるだろう。」

 私なら遠慮なく、圧政を強いた独裁者だと言いますが、礼儀を弁えた氏はそんな不躾はしません。

 「歴史家たちの多くは、金○成に対する明確な評価を保留している状態だ。それでも金○成は、少なくともホー・チ・ミン、毛沢東、チトー、ホッジャたちとは、似て非なる人物だという点では一致した認識を持っているようだ。」

 「少なくとも彼らはいずれも、スターリンに対してフリーハンドを保持し、自力で民族解放闘争に勝ち抜いた英雄であったし、その限りでは自国の民衆に推戴された指導者だったが、金○成はそうでないと見ているのである。」

 金○成は、今では民族解放闘争の偉大な指導者として語られ、優れた将軍だったと北朝鮮で崇拝されていますが、実際にはソ連で育成され、北朝鮮に送り込まれた革命家だったと聞いています。連戦連勝の将軍という話が作りごとに過ぎず、金○成が北朝鮮人民軍に姿を見せた時は、ソ連の軍服を着た大尉だったそうです。

 この事実は北朝鮮で語られず、金○成の生誕から国の最高権威者となるまで、輝かしい伝記が書き上げられています。黄氏が、他国の指導者と違うと述べているのはこのことです。興味深いのは、次の文章でした。

 「日本でも北朝鮮は隣国であるだけに、韓国に次いで金○成に対する関心は強いと言えるだろう。しかしその割には金○成の実像が、日本の中で不明瞭なまま認識されてきたとは言えないだろうか。」

 不明瞭も何も、私を含め多くの日本人は、わざわざ北朝鮮関係の本を買ったり、図書館で借りたりしませんから、金○成を知るのは新聞やテレビの報道しかありません。マスコミが曖昧に報道すれば、私たちの印象もハッキリしないものとなります。

 なぜそうなるのかについて、氏が分析しています。勉強になりましたので、次回はそれを紹介します。

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