今回は主としてウィキペディアからの、「軍閥」の解説を紹介します、
軍閥とは・・・
1. 文民・文官を中心とする政治勢力(派閥)に対抗する、軍人を中心とする政治勢力(派閥)のこと。
2. 日本軍の中における、相争う複数の勢力(派閥)のこと。
ウィキペディアの解説は「軍閥」を大きく二つに分けていますが、もう少し説明を加えないと息子たちには分からない気がします。1. の解説は政界に限定した説明で、軍人を中心とした勢力と軍人以外の政治家を中心とした勢力のことです。2. の解説は政界の話でなく、日本軍の中で争っていた複数の勢力を言い、これらを「派閥」という言葉でくくっています。
戦前は、天皇陛下が軍の統帥権を持っておられたので、陸海軍は陛下の指揮下にありました。陸・海軍大臣が文官の総理大臣の政府に参加しているとしても、実質的には陛下の統率下にありました。
従って 1.の説明によりますと、戦前の政界には軍人と文民 ( 文官 ) という二つの勢力があり、双方が対立していたことが窺われます。
「軍部の独走」「軍の横暴」と、戦後の歴史で語られる原因は 、1. 2. の部分から生じていたことを、後世の私たちは知っておく必要があります。これから実現する「憲法改正」に際しては、再び「軍部の独走」を生じさせないため、細心の注意が求められるからです。
この点については、近衛内閣で内閣書記官長を務めた富田賢治氏の意見を紹介するのが、一番適切な気がします。内閣書記官長というのは、現在で言えば内閣官房長官に当たるのだと思いますが、昭和37年に出版された、氏の著書『敗戦日本の内側』からの引用です。
・昨今、現行日本国憲法の再検討が云々されており、その重要な点の一つに、再軍備の問題がある。
・再軍備問題は、今日のわが国内の国民感情、特に婦人層並びに青年層の考え方や、国家財政の上から、いろいろ問題があるけれど、独立国としていつの日にか、軍備を持たねばならぬと思う。
・その時、一番心しなければならないことは、軍の統帥を絶対に国務から独立させてはならないと考えている。
・端的に言って、統帥の国務からの独立を許したことが支那事変を拡大し、そして大東亜戦争に発展せしめ、これが敗戦を導いたと断じてよいと、私は信ずるものである。
氏が述べているのは、「軍の統帥権」つまり「天皇の大権」のことで、「国務」と言うのは「政府」を指しています。陸・海軍の統帥権は天皇の大権で、政府や帝国議会は介入できないとする考え方が主流でしたから、政府に反対する人間はこの論理で批判・攻撃をしました。今は死語になっていますが、「統帥権干犯」という言葉がそれで、軍による倒閣を可能にしました。
ウィキペディアは、次の 2.の軍内の派閥も「軍閥」と解説していますが、これは軍閥と言うより、派閥と表現する方が正しい気がします。過激で暴力的だった彼らの影響力の大きさから、軍閥と言いたかったのだと思いますが、陸軍と海軍に分け具体的に紹介しますので、各自でご判断ください。
〈 陸軍内 〉
月曜会・・軍の薩長閥支配に反対した、若手将校の研究会
湖月会・・日露戦争を推進・画策した外務省、陸・海軍少壮有志によるグループ
革新派・・満州事変以降盛り上がった、民族主義、国家主義、国粋主義をもとに、当時の政界、経済界の革新、改造を唱えた勢力
・・その潮流の一つが昭和維新であり、三月事件、十月事件、五一五事件、二二六事件などの暗殺、クーデター事件を引き起こした
双葉会・・後に一夕会と合同
木曜会・・後に一夕会と合同
一夕 ( いっせき ) 会・・昭和4年に発足した陸軍左官級の幕僚将校らによる会合。
双葉会と木曜会が合同してできたもの 永田鉄山、東條英機 小畑敏四郎 岡村寧次
桜会・・日本の軍事国家化と翼賛議会体制への国家改造を目指して結成された超国家主義的な秘密結社 橋本欣五郎
皇道派・・荒木貞夫・真崎甚三郎ら 相沢事件や2・26事件につながる
統制派・・永田鉄山と言われるが、特に中心人物なし
満州派・・永田鉄山・東條英機ら
〈 海軍内 〉
本省派・・山本権兵衛が中心
艦隊派・・条約派に反対する者 対英米主戦論者 ?
条約派・・ロンドン海軍軍縮条約締結時、「条約妥結やむなし」とする者
軍閥の説明は「憲法改正」に当たって忘れてならない重要事ですが、ブログのテーマから外れていますので、これ以上の言及をやめます。次回は本題へ戻り、岸信介氏の家系を松田氏の著書に従い紹介します。