本書では、多くの人物が登場し私たちの知らない逸話が紹介されますが、根底に存在しているのは安倍洋子氏です。本のあちこちで語られる氏に関する描写を拾い出し、これを最初に紹介します。本題に入る前にそうすると、著者の意図が明確になる気がします。
・18ページ
・晋三にとって岸は政治のシェルパ ( 案内人 ) であり、岸が成し得なかった「憲法改正」の宿題を、孫の自分が成し遂げようとする意思が見え隠れする。
・見過ごすことができないのは、晋三が政権の座にあるということは、岸の娘洋子が岸家の伝道師として晋三の陰にいるということである。
・19ページ
・「政治というのは土壇場で何が起こるか分からない。正式に決定するまで、誰にも言ってはダメなんですよ。」
・戦後最大の政治闘争を生きた岸の娘として、そして息子晋三の司令塔として生きている覚悟を窺わせる言葉だ。
・29ページ
・その年の師走、晋三は2度目の総理に就いた。未完に終わった岸の「憲法改正」を、洋子は息子の晋三に託そうとしている。
・一方で洋子を中心軸に、岸から晋三につながる脈々とした血族の傍流というべき存在が、安倍晋太郎、安倍昭恵、岸仲子らのように見える。
・三人とも、岸が頂点の閨閥の流れから見れば他人だった。そこには彼らのもう一つのドラマがあった。
・229ページ
・洋子は昭和20年8月15日、疎開先の山口・田布施村でラジオから流れる玉音放送を聞いた時、「びっくりすると同時に、もっと頑張れないのかしらとも思いました。」と語っている。
・当時洋子は17才。軍国少年ならぬ軍国少女だっただけでなく、「大東亜戦争を以て、日本の戦略戦争というは許すべからざるところなり。」( 岸の獄中記『断想録』 ) という岸信介を父に持ったことで、彼女の歴史観は岸の影響を受けて作られたというべきだろう。
・頂点を極めた安倍ファミリーの中で、洋子ほど政治の興亡を体験した女性はいない。その意味で、洋子は一族の家長と言うべき存在だ。
彼女を称賛する文章にも読めますが、著者である松田氏は岸氏の『断想録』を肯定していません。松田氏から見れば、洋子氏の歴史観は単に父の影響を受けただけのものとなり、まして安倍元首相の「憲法改正」論においておや・・・と言う立ち位置になります。
最後までこの本が抵抗なく読めたのは、氏の中庸の姿勢だったと思います。「東京裁判史観」に染まった人々のように、「憲法改正」論者を口を極めて批判していません。憲法改正に反対の立場にいながら、改正論を主張する人間を正面切って否定しないところに、ジャーナリストの姿勢を教えられた気がしました。
安倍洋子氏と松田氏のおおよそを紹介したところで、話が大きく飛びます。洋子氏が中心にいたと言われる「閨閥」とは、何なのか。「閥」とはそもそも何を言うのか。テーマの本道を離れますが、安倍元総理というより、日本の政治を理解するには欠かせない知識と考えます。思いつくままに挙げますと、次のような言葉があります。
閨閥、財閥、門閥、学閥、藩閥、派閥、軍閥・・まだあるのかもしれませんが、中学・高校時代の教科書に出てきた言葉は、こんなものではなかったでしょうか。学校では言葉の中身を説明されたのでなく、批判の材料として何となく教わったと言うのが実際だったと思います。
現在、安倍総理の反対側の勢力にいた人間たちが、盛んに批判・攻撃しているのが「派閥」です。「閥」と言う言葉も良い意味に使われていませんので、初心に戻りこれらの言葉を調べてみました。( ウィキペディアが中心ですが、他にウェブログ辞書、コトバンク、goo辞書などを参照しました。)
大元になっている「閥」と言う言葉から、順番に紹介します。
1. 閥
・出身が同じなどで団結・連絡し、自分たち仲間の利益を図ろうとする人々のつながり。
日本に限らず世界のどこへ行っても、人間は全て同じでありません。異なる意見だけでなく、異なる神様、異なる先祖、異なる肌の色などがあり、対立するだけでなく殺し合いにもなります。
世界にまで広げず、日本だけに限っても、仲間が集まって行動すれば自分たちの利益が守れ、身の安全も図れます。「閥」と言うのは一つの利害で人間が集まることを言い、何を基盤として集まるかによって「閥」の種類が分かれるのだと分かりました。
次回は、安倍洋子氏が司令塔だったと言う「閨閥」から順番に紹介いたします。