ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『絶頂の一族』- 16 ( こっそり結ばれた日米安保条約 )

2024-04-30 23:12:34 | 徒然の記

  〈 第1章 祖父・岸信介 〉・・ ( こっそり結ばれた日米安保条約  )

  ・岸の動きは早かった。昭和30年6月の重光・ダレス会談の6ヶ月後に保守合同を成し遂げ、自由民主党を結成した。ダレスの言った、共産主義勢力に対抗できる保守勢力の結集を図ったのである。

  ・前述したように岸は11月に定めた『党の政綱』の中に、「憲法改正」を掲げた。次の政治プログラムは、「安保改定」だった。

 松田氏は、ここで当時の安全保障条約の第一条を紹介し解説します。

 〈 第一条 〉・・米軍の駐留を最優先した内容だった。

  ・日本は国内へのアメリカ軍駐留の権利を与える。 

  ・駐留アメリカ軍は極東アジアの安全に寄与するほか、直接の武力侵攻や外国からの教唆などによる日本国内の内乱などに対しても援助を与えることができる。

 〈 第四条 〉・・米軍の駐留を半永久的に認める一方的内容だった。

  ・安全保障措置の効力を生じたと、両国政府が認識した場合に失効する。

 ではこの不平等条約を、誰がどのようにして結んだのかについて、氏の著書を離れ先日別途調べたダイヤモンド・オンラインの情報を紹介します。平成27年8月4日掲載の、蔭山克秀氏の『やりなおす戦後史』の文章です。長くなりますが、省略せずそのまま転記します。記事には次のようなのタイトルがつけられています。

 「夜中にこっそり結ばれた運命の日米安保条約」

  ・調印場所は、当時サンフランシスコのプレシディオ国立公園内にあった「下士官クラブ」。華やかなオペラハウスとは対照的に、ここは米軍将校用の酒場だ。

  ・こんなところに吉田茂は池田勇人だけを随行させて出向き、そこで日本代表としてたった一人で条約に署名したのだ。

  ・なぜ吉田は、この条約にたった一人で署名したのか? アメリカ側はディーン・アチソン国務長官、ジョン・フォスター・ダレス国務省顧問ら4人が署名しているというのに。

  ・それはこの条約が、おそらく日本国内ではすこぶる評判の悪いものになるであろうことが、分かっていたからだ。

  ・だって、日本の安全保障をアメリカに委ねるかわりにアメリカに基地を提供するなんて、独立国家としてはあり得ない。

  ・僕たち日本人は、この環境にあまりに慣れすぎたせいで、自分たちのおかしな点が見えなくなってしまっているが、もしこれと同じ条約を、例えば中国とブルネイが結んだら、どう見えるか想像してみてほしい。

  ・南シナ海に面した南国の青い空の下、自国の軍隊を捨てて得意満面で「平和国家」を宣言するブルネイ。でもそこには、「ブルネイの平和は俺たちが守ってやる」と、中国軍基地と中国人兵士がウジャウジャ・・・。

  ・それを見た人はおそらく「あーあブルネイ、中国に騙されるぞ。傍目から見ればただの属国じゃん」と思うはずだ。

  ・だが僕らに笑う資格はない。なぜなら日米関係も、これと同じだからだ。

 氏の説明は分かりやすいけれど軽薄な印象を与えると、前回言いましたが、今も同じです。しかし分かりやすいと言う点では、無視できない意見です。 

  ・そもそも、独立した主権国家の中に外国軍隊がウロウロしているなんて、本来あってはいけないのだ。でもこれが起こっている。なぜか? それは同条約が、事実上の「占領政策の継続」だからだ。

  ・つまり、日米安保条約は、日本が独立国家としての誇りを捨てることで、その見返りにアメリカが日本のガードマンになってくれるという契約なのだ。

 文章の中に口語文を入れていますので、軽い印象が真面目な読者には引っかかりますが、ここまで遠慮なく核心をついている記事を「ねこ庭」ではこれまで読んだことがありません。

  ・だから吉田は池田勇人に言った。「この条約には私一人が署名する。君は書かんでいい。君の経歴に傷がつくぞ」と。

  ・では吉田茂は、なぜこんな条約に署名したのだろうか? それは彼が “ 通商国家 ” としての日本をめざしていたからだ。

  ・通商国家で世の中を渡っていくには、できるだけ身軽なほうがいい。だから吉田は、軍隊という「高コストの組織」はアメリカに任せ、できる限り “ 節約 ” できる道を選んだのだ。

  ・対してダレスは、「我々の望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利」をほしがっていた。ここに両者の思惑は一致し、吉田一人による日米安保条約締結にいたったのだ。

 どこまで正確な情報なのか「ねこ庭」では分かりませんが、吉田元首相の「軽武装論」と合致していますので、有力な参考情報として紹介します。ダレス長官が署名者の一人だったとすれば、重光外務大臣の申し出を一蹴した理由もうなづけます。

 話が横道へ逸れましたので、次回は松田氏の著書77ページに戻ります。

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『絶頂の一族』- 15 ( 重光・ダレス会談 )

2024-04-30 17:24:52 | 徒然の記

  〈 第1章 祖父・岸信介 〉・・ ( 重光・ダレス会談  )

  ・岸の運命が急展開するのは、昭和32 ( 1957 ) 年を迎えてだった。石橋湛山が、老人性急性肺炎の発作に襲われたのである。副総理格の岸が、臨時首相代理に就く。

  ・石橋の容体は回復することなく、内閣発足からわずか2ヶ月余りで辞すことになる。後任総理に就いたのが岸だった。

  ・岸60才、巣鴨プリズンから釈放されて8年が経過していた。岸はようやく権力の頂点を極めたのである。この時孫の寛信は4才、晋三は2才だった。安倍晋太郎は、首相秘書官に就いて政界入りを果たした。

 ここから、本題の「60年安保騒動」の説明が始まります。最終目標の「憲法改正」のためには、「日米安全保障条約」の改定が不可欠と考える岸氏が動きます。松田氏が紹介する話は全て初耳で、昭和史秘話ではないかと思いましたが、よく探すとウィキペディアその他も同じ説明をしています。

 出どころが皆『岸信介回顧録』ですから、本を読んだ人には秘話でも何でもなく、単に「ねこ庭」の読書範囲が狭かったということになります。評判の良くない岸氏の「回顧録」がベストセラーにならなかったせいで、学徒の私も気がつかなかったのでしょう。

  ・岸が日米首脳会談のため訪米したのは、総理就任から約4ヶ月後、昭和32 ( 1957 ) 年6月のことだった。岸はホワイトハウスで、アイゼンハワー大統領と会談。

  ・共同声明の作業が終わりかけたのを見計らい、同席していたダレス国務長官に岸はこう切り出したと言う。

 『岸信介回顧録』を引用しながら、松田氏が対話を紹介します。

   岸 ・・・これで日米間は対等になったが、一つだけ非常に対等でないものがある。これを直さなければならない。

   ダレス・・それは何か。

    ・・・安保条約だ

  ・実は、岸がダレス長官を前に安全保障条約改定に触れるのは2度目だった。1度目は昭和30 ( 1955 ) 年6月で、鳩山内閣の幹事長だった時重光外務大臣に同行して訪米していた。

  ・その時重光はダレスに対し、「現在の安保条約は不平等で、日本側としては条約を対等なものに直したい。」と提案した。

  ・しかしダレスにはその提案が意外だったらしく、木で鼻をくくるように一蹴し、次のように吐き捨てたと言います。

    「アメリカとの間に対等の条約を結ぶなど、日本にそんな力はないでないか。」

  ダレスのこの態度が、側で聞いていた岸氏の神経を逆撫でし、その後の安保改定へ走らせる原因になったと松田氏が説明します。

  ・一体ダレスは、改定を求める重光に何を主張したのだろうか。NHK取材班が入手したアメリカの外交文書によると、ダレス・重光会談では以下のようなやり取りがあった。

  ・二人はさらに、海外派兵にかかわる憲法解釈についても応酬している。後の安保改定に至るアメリカ側の狙いが窺える会談なので、少々長いが引用したい。

 わざわざ氏が断りを入れているところをみると、二人の応酬の重要性が伝わります。そうなれば「ねこ庭」も、少々長くなっても紹介します。

   ダレス・・改定は現時点では、時期尚早です。アメリカはいまだ確信が持てません。

   重光 ・・・日本としては、共産主義のブロパガンダとその影響に対処する必要があるのです。現行の安保条約の体制下では、これからも勢力はますます拡大するでしょう。

      ・・・日本は共産主義勢力と戦える武器を持ちたいのです。安保改定によってそれを得たいと考えています。

   ダレス・・ならば日本は何時、自国防衛のために応分の貢献を行なうつもりですか。いつ保守勢力が、共産主義勢力に対抗できる強い力にまとまるのか。

      ・・何時その政治プログラムを実現し、アメリカとの協力関係を作れるようになるのですか。

   重光 ・・・日本はこれから、防衛力をさらに増強していくつもりでいます。

   ダレス・・日本の防衛力が不十分である今の段階で、条約改定の議論をすることはできません。

 アメリカと対等になりたければ証拠を見せろと、ダレス長官が重光外務大臣に迫っています。この時から岸氏は、「保守合同」を本気で進めたということになります。

   ダレス・・万一アメリカが攻撃を受けた場合、日本は軍隊を国外に派遣し、果たしてアメリカを助けてくれるのか。

      ・・日本が妥当な戦力を持ち、改正された憲法を持っているというのなら、状況は変わります。

      ・・例えばグアム等が攻撃された場合、日本はアメリカのため駆けつけることができるのでしょうか。

 議員の3分の2以上の賛成がなければ、「憲法改正」の発議すらできないと、とんでもない条件をつけたのはGHQでしたのに、ダレスは憲法改正をしない日本を批判しています。超大国の身勝手を見せられる思いがします。

   重光 ・・・日本はそうするでしょう。現行の憲法下でも、日本は自衛のための戦力を組織できるのですから。

      ・・・日本はこれから、防衛力をさらに増強していくつもりでいます。

   ダレス・・私が言ったのは、日本の自衛の問題ではありません。アメリカの防衛を言っているのです。

   重光・・・そういう状況が発生したら、日本はまずアメリカと協議を行います。日本の戦力を用いるかどうか、決定することになるでしょう。

   ダレス・・貴方のいう憲法解釈が、今一つ分かりません。日本が憲法上できる最大のことは、日本の防衛においてのみ戦力が使用できるのだと思っていました。

 「日本弱体化」の憲法を与えたアメリカの長官ですから、現行憲法の弱点を熟知しています。重光外務大臣の説明を、鼻先であしらっている様子が見てとれます。

   重光・・・もちろん日本の戦力は、自衛のために用いなければなりません。しかし日本は、安保条約に関する攻撃があった場合、戦力の使用についてアメリカと協議できることになります。

   ダレス・・事実上、日本の憲法が武力の海外派遣を妨げている以上、日本との協議の意味はほとんどないのではないですか。

 これが松田氏の言う、「木で鼻を括り一蹴した」ダレス長官の対応です。岸氏は私と違い「井の中の蛙」でありませんから、二人の応酬を聞きながら怒りと屈辱を堪えたはずです。

 岸氏の動き伝える松田氏の説明は、次回に紹介します。

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