14、15、16日とブログを3日間休み、その間、新聞とネットとテレビのコマーシャルを見ていましたと、シリーズの一回目で言いました。
「楽観論」の材料を「ネットの世界」で見つけ、今も驚かされているのは、ネットの世界の広さです。
何度も同じ言葉を繰り返したくなるほど、3日間の休みは大きな意味がありました。ブログを始めて15年になり、学徒の気持で「温故知新」の読書をし、メディアの報道とネットの情報に目を通してきました。
結構色々なことを知ったつもりになっていましたが、3日間の休みが教えてくれたのは意外な事実でした。
・15年いろいろ学んだつもりでも、この世の情報の一部にしか接していなかった。
訪問されている方々から見れば、何を今更という話になるのだと思います。
前回「壊れていく自由民主党」を支えるには、4つ分野で本物の保守政治家、保守学者、保守評論家、保守マスコミを探せば良いと提案いたしました。
1. 自由民主党を再生しようとしている、本物の保守政治家
2. 自由民主党を再生しようとしている、本物の保守学者
3. 自由民主党を再生しようとしている、本物の保守評論家
4. 自由民主党を再生しようとしている、本物の保守マスコミ
人材豊富な日本なのに満足な答えが出せませんでしたが、希望を失くさなかった理由がここにありました。
・「戦後昭和史の大河」を侮ったのが間違いだった。
結論を急がず、流れに浮かぶ物を観察し、恨みと憎しみの感情を交えず検討すること・・何ということはありません。2ヶ月ほど前に自分で言った言葉です。つまり、賀屋興宣氏の姿勢を見習うこと。
知っているつもりでも、「ねこ庭」の得た情報はほんの一部に過ぎなかった。一部の情報で日本の未来を予測し、悲観論を述べるのは時期尚早だった。もちろんその逆も言え、「楽観論」で断定するのも時期尚早です。
訪問された方々には首をかしげる説明と思いますが、「ねこ庭」はこの事実で希望を抱きました。
一つの例をあげますと、今回初めて知った3人の人物がいます。評論家というのか、言論人というのか、3氏は親兄弟のようなつきあいをする仲で、亡くなった安倍首相と親交を持っていました。
「安倍さんはいい人だったけれど、人を見る目がなかったね。」
稲田朋美氏を引き立てた安倍氏を語っていました。
「しかし安倍さんが亡くなってみると、大きさも分かった。安倍さんが亡くなると、一気に自民党がダメになった。」
「あの人が、一人で自民党のダメなところを隠していたんだね。」
3氏は高級レストランで安倍氏を囲んで食事をし、話を聞いたり意見を述べたりした仲でした。
青山繁晴氏や西田昌司氏だけでなく、故安倍首相は多くの人と親しくしていたことを知りました。3氏の意見を聞いていますと、知らなかった政界図が見えてきました。
意外と思われる方が多いと思いますが、3氏の名前は 見城徹 ( けんじょう とおる )、 井川意高 ( いかわ もとたか ) 、佐藤尊徳 ( さとう たかのり ) 氏です。故安倍首相が親しくしていた人物を知るというのは、安倍氏の別の面を知ることになります。
次回は、3氏の略歴をウィキペディアの情報から紹介します。見城氏の経歴についてウィキペディアは次のような「注書き」をしていますので、併せて紹介しておきます。