本日は、気乗りのしない検討作業になります。株式会社・独立総合研究所のホームページから、「沿革」の部分を紹介します。
年月の後に内閣名を入れたのは「ねこ庭」ですが、それ以外は同社の説明です。
2002 ( 平成14 ) 年4月1日 ・・( 小泉内閣 )
・三菱総合研究所から円満に独立し、有限会社・独立総合研究所として創立、本社を東京・竹芝に置いた。
・政府機関、また民間企業から委託を受けての調査・研究を直ちに、開始。
2002 ( 平成14 )年10月 ・・( 小泉内閣 )
・経済産業省の関連機関、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)が公募した新エネルギーに関する調査・研究に当選。創立半年でNEDO公募に当選したのは史上最短記録とみられる。
2002 ( 平成14 )年12月 ・・( 小泉内閣 )
・警察庁警備局の警部を研修生として受け入れ。警察がその本分の職務に関して民間へ研修生を派遣するのは、日本の近代警察史上で初めてとみられる。
2003 ( 平成15 ) 年7月 ・・( 小泉内閣 )
・業務の拡大に伴い、本社を東京・汐留に移転
2004 ( 平成16 ) 年5月 ・・( 小泉内閣 )
・業務の拡大に伴い、本社を東京・新橋に再移転
2004 ( 平成16 ) 年5月 ・・( 小泉内閣 )
・国民保護法制の運用実務をめぐる調査・研究で、自治体(ある県)の指名競争入札に応札し落札。
・すなわち、従来の政府機関、民間企業に加えて自治体からの受託を開始した
2004 ( 平成16 ) 年6月 ・・( 小泉内閣 )
・有限会社を株式会社とした
2004 ( 平成16 ) 年11月 ・・( 小泉内閣 )
・危機管理への貢献によって、東京消防庁の山元和美丸の内消防署長(当時)から、青山繁晴社長が感謝状を受領。
2005 ( 平成17 ) 年1月 ・・( 小泉内閣 )
・防衛庁(当時)部員(文官の課長補佐相当)を研修生として受け入れ。
2005 ( 平成17 ) 年4月 ・・( 小泉内閣 )
・2004年10月特許申請した「海底資源探査システム及び探査方法」が特許庁より特許を認められた。
2005 ( 平成17 ) 年8月 ・・( 小泉内閣 )
・防衛庁(当時)部員(文官の課長補佐相当)を研修生として受け入れ(第2次)。
2005 ( 平成17 ) 年9月 ・・( 小泉内閣 )
・沖縄電力会社営業部職員を研修生として受け入れ。
2006 ( 平成18 ) 年4月 ・・( 小泉内閣 )
・総務省消防庁職員を研修生として受け入れ。
2006 ( 平成18 ) 年5月 ・・( 小泉内閣 )
・陸上自衛隊幹部学校高級課程研修生を2名受け入れ(第1次) ※以来、2015年の現在に至るまで、毎年、同じ2名づつを10次、10年にわたり受け入れ中。
・これにより、2013年11月、陸上自衛隊幹部学校長の海沼敏明陸将(当時)から、青山繁晴社長が感謝状を授与された。
2006 ( 平成18 ) 年9月 ・・( 小泉内閣 )
・民間企業の職員を研修生として受け入れ。
2006 ( 平成18 ) 年9月 ・・( 小泉内閣 )
・洞爺湖サミット(2008年)の警備準備への貢献によって警察庁の西村泰彦警備局長(当時)から、青山繁晴社長が感謝状を授与された。
2010 ( 平成22 ) 年6月 ・・( 鳩山内閣 )
・業務の拡大に伴い、本社を東京・お台場地区に再移転。
2013 ( 平成25 ) 年11月 ・・( 安倍内閣 )
・自衛隊の高級幹部育成への貢献によって前述のように陸上自衛隊幹部学校の海沼敏明学校長(陸将)から、青山繁晴社長が感謝状を授与された。
2016 ( 平成28 ) 年7月 ・・( 安倍内閣 )
・代表取締役社長 青山繁晴が退任し、青山大樹が代表取締役に就任。
2021 ( 令和3 ) 年4月 ・・( 菅内閣 )
・代表取締役社長 青山大樹は取締役となり、青山千春が代表取締役社長に就任。
沿革を読むまで、青山氏を支援していたのは故安倍首相とばかり思っていましたが、氏の会社を大きく育てたのは小泉首相だったことが分かりました。
故安倍氏と青山氏とのつながりが生まれたのは、平成17年10月に小泉首相が安倍氏を官房長官に抜擢した以降ではないのでしょうか。
今回の「沿革」と前回の「株式会社 独立総合研究所」の情報を読んだ方の中には、青山氏の国会活動がどのようなものであるかを理解された人がいるのではないでしょうか。
ここでシリーズを終えても良いのかもしれませんが、息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々にはちゃんと説明をする責任がある気がします。情報の受け取り方は様々あると思いますから、飽くまでも「ねこ庭」の推測ということで次回に説明をいたします。