田中氏の話は、小声になったり、途中で中断したりしますので、メモを取るため、二、三回聞き直す時があります。難渋しますが、息子たちには、伝えずにおれない中身なので、諦められません。時間がかかっている理由の、一つでもあります。
「もともと日本学術会議は、昭和24年に、」「GHQの占領政策として作られたものです。」「日本が、二度と立ち上がれないようにするため、」「二度と、戦争をさせないようにするため、」「意図的な占領政策の中で、作られました。」「これを政府が再検討していることに、私たちは、賛成する立場を取ります。」
氏はGHQの話を、詳しく説明しませんでしたが、10月に書いた自分のブログ『 害虫駆除-8 ( 日本学術会議 ) 』を、思い出しました。
あの時私が調べた情報では、GHQは「日本学術会議」だけでなく、「東京大学社会科学研究所」と「憲法研究委員会」の設立にも関与しています。昭和20年9月に、GHQの統治が始まり、その翌年に、彼らは東大総長南原氏を動かし、反日・左翼系の学者を集めさせ、「東京大学社会科学研究所」と「憲法研究委員会」を立ち上げています。
時系列で示しますと、次の通りになります。
1. 昭和20年 9月、ミズーリ号にて降伏文書が調印。GHQの統治始まる。
2. 昭和21 8月、南原総長 「東京大学社会科学研究所」設立 ( 反日・左翼学者中心 )
3. 昭和21 8月、 南原総長 東大内に「憲法研究委員会」設立 ( 反日・左翼学者中心 )
4. 昭和21 11月、「日本国憲法」公布 ( 国際法違反の、東京裁判史観による憲法 )
5. 昭和24 1月、「日本学術会議」設立 ( GHQが関与し、物理学者仁科芳雄氏と共に、旧体制を刷新 )
「日本国憲法」を成立させ、「日本だけが悪かった」、「日本だけが間違った戦争をした」という、東京裁判史観を国内に浸透させれば、日本は二度と米軍に立ち向かう、気力を失います。
国際法違反の「日本国憲法」を成立させるには、日本のトップレベルの学者の協力が不可欠でした。南原氏に「憲法研究委員会」を作らせたのは、その布石で、憲法草案は政府に示される前に、氏を通じて渡され、反日左翼学者たちが検討しました。
出来上がった憲法を、学者の権威で理論づけ、全国津々浦々に浸透させるため、GHQが作ったのが、田中氏がここでいう「日本会議」と、説明を省略した「東京大学社会科学研究所」でした。氏の話を聞きながら、自分が調べたネットの情報も、まんざら間違いでなかったと、確信を深めました。
ここから氏の話が、今回の講話の核心部分へ入っていきます。つまり、「日本学術会議」が行った、「軍事研究への協力をしない」といった「声明文」への批判です。この声明文については、時間がなかったのか、それとも周知のこととして省略したのか、言及していません。横道へそれますが、本題に入る前に、肝心の「声明文」を、ネットの情報から転記します。平成17年の3月24日に、発したものです。
「1950年に、『戦争を目的とする科学の研究は、絶対にこれを行わない』旨の声明を、」「また1967年には、同じ文言を含む『軍事目的のための、科学研究を行わない声明』を発した背景には、」「科学者コミュニティの戦争協力への反省と、再び同様の事態が生じることへの懸念があった。」
「近年、再び学術と軍事が接近しつつある中、われわれは、大学等の研究機関における。軍事的安全保障研究、」「すなわち、軍事的な手段による、国家の安全保障にかかわる研究が、」「学問の自由及び学術の健全な発展と、緊張関係にあることをここに確認し、」「上記2つの声明を継承する。」
以上が、声明の全文です。1950 ( 昭和25 ) とは、日本学術会議が設立された翌年ですから、この声明は、GHQによる占領政策の一環だと、うなづけます。
1967 ( 昭和42 ) 年は、佐藤内閣の時代です。ネットでその前年の動きを調べてみますと、日本学術会議が、改めて声明を出した理由が分かります。佐藤総理が米軍との連携を深め、自衛隊の強化を目指し、「建国記念日」の制定を強行しています。彼らはこの動きを、「日本の右旋回」とでも捉えたのでしょう。参考までにネットの情報を転記します。
3.10 佐藤首相,参院予算委で「沖縄防衛に日本も参加」と答弁。
3.11 社会党,「沖縄防衛参加は自衛隊の海外派兵につながる」と、審議中断。
3.16 佐藤首相,「法律・条約上沖縄に自衛隊は出動できない」と答弁。
5.30 米原子力潜水艦、横須賀に初入港。
11.29 国防会議、第3次防衛力整備計画大綱を決定。
12.8 建国記念日審議会(佐藤首相)、建国記念の日を旧紀元節の2月11日と答申
また、3回目の声明を出した平成17年は、大東亜戦争終結から60周年になります。ネットの情報を転記しますと、なぜ彼らがわざわざ第3回目の声明を出したのか、一目瞭然です。
2月19日 ~ 3月26日 - 硫黄島の戦い
3月10日 - 東京大空襲
3月27日 ~ 6月20日 - 沖縄戦
4月 7日 - 戦艦大和撃沈
8月 6日 - 広島への原爆投下
8月 9日 - 長崎への原爆投下
8月11日 ~ 8月25日 - 樺太の戦い ( ソ連の対日参戦 )
8月14日 - ポツダム宣言受諾
彼らは、GHQに与えられた「トロイの木馬」の役割を忘れず、忠実に活動を続けていることが分かります。これらの事実を頭に入れた上で、田中氏の説明を、次回にご報告します。