おねっと日記

日々の出来事を感じたままにつづります

経験が冷静にさせる地震な夜

2011年04月08日 | 暮らし

4月7日23時46分、余震と言う名の大地震がまた起きました。
わが家の付近は震度6弱、そして再び停電。



大揺れの中で一番心配したのがこの愛するベティ。
パニックになって大騒ぎする大きな身体を必死で抱き包み(私がしがみついているようにしか見えないのですが)「大丈夫、大丈夫」と耳元で話かけます。
地震がおさまってからもしばらく、彼女の腰から後ろは小刻みに震え続けているのでした。
ぷるぷるふるえて上手く歩けていないようにも見えます。
彼女自身どうしたらよいかわからないのです。
夜中でしかも停電とは言え、一緒に居る時でよかったと私と主人は思うのです。

(ベティはなかなかそうはいきませんが)
人は経験で学んだ事を自らが冷静になるための糧にします。

翌朝の多くの人たちの行動を見てあらためてそれを実感しました。
いつも通り集団登校の子供たちを見送るお母さんたちに
「小学校からの連絡はあったのですか?休校とか・・」
「いいえ、何も。学校もそんな余裕もないでしょから、普通通り登校させました。ダメなら帰してよこすでしょう(笑)」
このおおらかさ、そして、地震の話題は一切出て来ません。

近所のコンビニに朝の缶コーヒーを買いに寄りました。
いつもより混みあってはいるのですが、その停電の店内で見たものは、お弁当が叶わなかったお父さんらしい人たち数人がお弁当をひとつ持って並ぶレジ。
さすがにパンは売り切れておりましたが、少なくとも私が店内にいる間は必要以上の買い込みをしている人は誰もおりませんでした。
「温められませんがよろしいですか?」
「ああ、全然かまわないよ」
うす暗い中、電卓で料金を打ち出す店員さん。
あわてることも無く列を乱さず並んでそれを待つお客さんたち。

この普通すぎる光景に感動してしまいました。

信号が全くつかない朝9時の主要道路。
車はかなり走っているのだけれど、あれ?いつもより渋滞が無い・・
みんないつもより減速で走っております。
これが逆に渋滞を起こさずにすんでいるようなのです。
いつか、テレビで40キロ走行を全員が守ったら絶対渋滞は起こらないとどこかの大学の先生が言ってたっけ。
交差点に及んではありえない程完璧な譲り合い。
だからどの路線も渋滞が発生していないのです。
みんなが譲り合い精神を持ち続けたら、信号は要らないと確信しました。

この街並みのすべてが今停電状態になっているなんて、信じられない程普通に行き交う車と人。
何事もなかったように出勤する人たち。
おしゃべり交わしたり、携帯さわりながら登校する学生たち。

経験による冷静さなのだと思います。

実は私はこの停電という不便さを得て、被災地の人たちの不便さのほんの少しでも共有できてるような気がして私自身の中では心の安堵感さえ覚えていたのです。
こんなに普通でいられるのはもしかしてみんなも同じ感覚があるのかしら?
そんな思いもうつろに浮かんでくるような朝。

そして・・・
ブレーカーを下げっぱなしにしていたのをすっかり忘れ、通電したのも知らずに停電の夜対策を始めていた私は娘からの電話で通電から2時間も遅く電気のお世話になり始めたのです(笑)