私が訪れた4月13日の船越湾は松林が倒れその下にはガレキが重なり痛ましい姿でした。
おそらく松林はまだそのまま手をつけられずにいるのでしょう。
しかし、浜の人たちの前向きな姿を知る度に私はまた胸が熱くなり、大きな拍手を送ります。
ガンバロウ東北、ガンロウいわて!声を上げて声援します。
最近は自宅に居る時は以前はほとんど見なかったテレビにかじりついております。
それは復興へむけて頑張っている多くの人たちの姿が刻々と映し出されているからなのです。
その姿が私の日常の励みとなり、常に「今自分に出来る事は何か」を考える「時」を与えてくれるからなのです。
これ程浜の人たちの生活を奪った「海」なのに、また「海」と共に生きようとしている姿。
自然を受け入れ、自然に添って生きようとする日本人の生き方はどこから来るのだろう?
日本人の自然観と宗教観を宮沢賢治の「なめとこやまの熊」から読みとる事ができるらしいのです。(山折哲雄氏(国際日本文化研究センター所長)「日本人の自然観と宗教」より)
『・・ぴしゃというように鉄砲の音が小十郎に聞えた。ところが熊は少しも倒れないで嵐(あらし)のように黒くゆらいでやって来たようだった。犬がその足もとに噛(か)み付いた。と思うと小十郎はがあんと頭が鳴ってまわりがいちめんまっ青になった。それから遠くでこう言うことばを聞いた。
「おお小十郎おまえを殺すつもりはなかった」
もうおれは死んだと小十郎は思った。そしてちらちらちらちら青い星のような光がそこらいちめんに見えた。
「これが死んだしるしだ。死ぬとき見る火だ。熊ども、ゆるせよ」と小十郎は思った。それからあとの小十郎の心持はもう私にはわからない。・・』 なめとこ山の熊より抜粋
この未曾有の災害時でさえ日本人のモラルが守られていた事実の背景にはこの「自然観」が血流となって私たちを生かしてきたからなのかもしれません。